私は 以前 インパール作戦の戦史を読んで 悲惨な戦いに なんて愚かだと思い、
たくさんの日本兵の無駄死にひどく絶望的な思いをしたけど、ヘンリー・S・ストークス の本を読み
チャンドラ・ボースの話を読んで インドにとっては 素晴らしい事だったのだと知った。
日本は アメリカに追い込まれて太平洋戦争に至った訳だけど、アジアに対する人種差別や
植民地支配についても 人種差別に苦しんだ日本は許し難かった訳で 大東亜戦争となずけて
アジアの開放を大義名分にしたので、東南アジアに対しても 支配してからは 支配層の欧米人の
仕事を取り上げて アジア人に与え、独立の為の軍事訓練や 自国の文化を守る為にそれぞれの国の
文化と言葉を 学校を建てて 教える事で 独立国として生きられるように配慮している。
(例えば イギリスの植民地支配がどうだったかというと、汽車のミニュチュアを 作って
イギリス人に 無邪気に見せた人達は 殺されたりした。 そういう有能な若者は
植民地支配には 邪魔なだけで、愚民でいいのだ。そんな扱いが アジア中で行われていた)
数年の短い間だけど、それにより 戦後 また植民地化しようと戻ってきた欧米から
それぞれが 独立戦争を戦い 独立を達成する事ができたし、その為に 日本に戻らず
独立戦争に参加した日本兵もたくさんいて、指揮官的立場なので、先頭に立つ為に
戦死した人も多かった。
インドに対しても イギリス軍はインド兵が主力だったので 共に日本と一緒にアジアの
開放の為に戦おうと呼びかけ 大量の投降者が出た事で シンガポール陥落も 成功したと
いう事だ。 その志願したインド兵達と インパール作戦を共に戦った訳だけど、
結局 日本は負け チャンドラボースも飛行機事故で 亡くなり 太平洋戦争が
終わり ちょうど 東京裁判の頃、インドでは 日本と共に戦ったインド国民軍の裁判を
イギリスが始めると インド中で それに反対し イギリスの引き上げを要求する運動が
起こり それを阻止しようとしたイギリスの発泡で死傷者が出ると 全国的にイギリスへの
支配への反抗が始まり イギリスは もう対応できなくなり、結局 インド国民軍は
釈放され そうして インドの独立につながっていく。 大規模なデモでは 手作りの
日本の旗を振るインド人もいて、インパール作戦で亡くなった たくさんの日本兵や
インド兵達は 無駄死にではなかった。 戦死した彼らの亡霊は デリーまで 進軍したのだ
と ヘンリー・S・ストークスは 言っている。 日本は満身創痍となって降伏したが、
有色人種の開放という奇跡を行ったと。 長い人類の歴史の中で 捨て身の日本の
戦いは 良い進歩も促したという大きな一面もあるという事だね。 インドの対日感情が
いいのも そういう面があり、アメリカに追随するだけでなく、昔の日本人のような気概を忘れ
ない事も 日本には 必要な事だと思うね。