天智天皇は天皇に即位する前までは中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と名乗っていました。
・・・常識ですね。
で、それで、なかなか即位しなかったんです。
なぜ、なかなか即位しなかったかというと、
1.皇太子の身分でいるほうが自由に振舞いやすい
2.自分と同母の妹とみちならぬ相思相愛関係をもっていた
からです。
この万葉の時代、異母兄弟姉妹であれば結婚は許されたものの、さすがに同母の兄弟姉妹の間柄では結婚はNGでした。
中大兄皇子いろいろとやばいですね。
以下、どのようにやばかったのか説明しておきますが、
簡潔にまとめると、
①有馬皇子(ありまのみこ)をおとしいれた
②同母の妹とできていた
③弟の大海人皇子が自分の妻にしていた額田王(ぬかたのおおきみ)を、とりあげて自分の妻にした
④額田王の姉である鏡王女(かがみのおおきみ)をも妻にしていたにもかかわらず、あとでもらいうけた額田王のほうを愛した
⑤あとで鏡王女は、家来である中臣鎌足(なかとみのかまたり)の正妻としてあげちゃった
中大兄皇子と、その妹の中皇女(なかつすめらみこと)の母は、斉明天皇(=皇極天皇)です。
分かりやすくするために、系図をしるしとくと、
(天皇という字の次の数字は第何代目の天皇かをしめします)
(水色の字は女性であることをしめします)
――――――――
Ⅰ Ⅰ
Ⅰ 皇極天皇35=======舒明天皇34
Ⅰ (斉明天皇37) Ⅰ
Ⅰ ―――――――――――
Ⅰ Ⅰ Ⅰ Ⅰ
孝徳天皇36==間人皇后 Ⅰ 天智天皇38
Ⅰ (中皇女) Ⅰ (中大兄皇子)
Ⅰ Ⅰ Ⅰ
Ⅰ Ⅰ ―――――――
有馬皇子 Ⅰ Ⅰ Ⅰ
天武天皇40===持統天皇41 弘文天皇39
(大海人皇子)Ⅰ (大友皇子)
草壁皇子
んと、系図にちゃんとみえますかね。
ではまず、①の、悲劇の皇子、有馬皇子のお話からいきたいところなんですが…、いまはちょっとお出かけするので、あとでうpします!
あとでもみてくださいね!
今はちょっと簡単に…
ひとつ万葉集の歌の紹介を。
渡津海乃 豊旗雲尓 伊理比紗之 今夜乃月夜 清明己曽
海神(わたつみ)の豊旗雲(とよはたくも)に入日さし
今夜(こよい)の月夜清けくありこそ
[作者]中大兄皇子
訳:海原の大きく旗がなびくような雲に西日が射している、今夜の月はさやかであってほしいね。
新羅に侵攻された百済を救援するときの船旅の途中、
詠まれた歌とされています。
このときは斉明天皇の時代です。
額田王もこの船旅に同行したといわれています。
ではまたあとで!
・・・常識ですね。
で、それで、なかなか即位しなかったんです。
なぜ、なかなか即位しなかったかというと、
1.皇太子の身分でいるほうが自由に振舞いやすい
2.自分と同母の妹とみちならぬ相思相愛関係をもっていた
からです。
この万葉の時代、異母兄弟姉妹であれば結婚は許されたものの、さすがに同母の兄弟姉妹の間柄では結婚はNGでした。
中大兄皇子いろいろとやばいですね。
以下、どのようにやばかったのか説明しておきますが、
簡潔にまとめると、
①有馬皇子(ありまのみこ)をおとしいれた
②同母の妹とできていた
③弟の大海人皇子が自分の妻にしていた額田王(ぬかたのおおきみ)を、とりあげて自分の妻にした
④額田王の姉である鏡王女(かがみのおおきみ)をも妻にしていたにもかかわらず、あとでもらいうけた額田王のほうを愛した
⑤あとで鏡王女は、家来である中臣鎌足(なかとみのかまたり)の正妻としてあげちゃった
中大兄皇子と、その妹の中皇女(なかつすめらみこと)の母は、斉明天皇(=皇極天皇)です。
分かりやすくするために、系図をしるしとくと、
(天皇という字の次の数字は第何代目の天皇かをしめします)
(水色の字は女性であることをしめします)
――――――――
Ⅰ Ⅰ
Ⅰ 皇極天皇35=======舒明天皇34
Ⅰ (斉明天皇37) Ⅰ
Ⅰ ―――――――――――
Ⅰ Ⅰ Ⅰ Ⅰ
孝徳天皇36==間人皇后 Ⅰ 天智天皇38
Ⅰ (中皇女) Ⅰ (中大兄皇子)
Ⅰ Ⅰ Ⅰ
Ⅰ Ⅰ ―――――――
有馬皇子 Ⅰ Ⅰ Ⅰ
天武天皇40===持統天皇41 弘文天皇39
(大海人皇子)Ⅰ (大友皇子)
草壁皇子
んと、系図にちゃんとみえますかね。
ではまず、①の、悲劇の皇子、有馬皇子のお話からいきたいところなんですが…、いまはちょっとお出かけするので、あとでうpします!
あとでもみてくださいね!
今はちょっと簡単に…
ひとつ万葉集の歌の紹介を。
渡津海乃 豊旗雲尓 伊理比紗之 今夜乃月夜 清明己曽
海神(わたつみ)の豊旗雲(とよはたくも)に入日さし
今夜(こよい)の月夜清けくありこそ
[作者]中大兄皇子
訳:海原の大きく旗がなびくような雲に西日が射している、今夜の月はさやかであってほしいね。
新羅に侵攻された百済を救援するときの船旅の途中、
詠まれた歌とされています。
このときは斉明天皇の時代です。
額田王もこの船旅に同行したといわれています。
ではまたあとで!
面白い人物だ・・・フムフム
歴史大好きなのでありがたいです(*´∀`*)