クリックで拡大↓(戻るときは×を押さないで戻る矢印← を押してね)

これは、私が書いた絵です。
先週、横浜のカルチャースクールで岩崎ちひろの講座(東京のちひろ美術館のひとが来て)をうけてきました。
安曇野と東京と、岩崎ちひろの美術館は2つありますが、なんでも東京のほうが古いらしい。東京のほうはちひろの家、安曇野のほうはちひろの実家、を使っているそうです。
ちひろは水彩絵具だけで絵を描きますよね。
それも、白い絵具は使いません、白いところは紙の色を残してあるところです。
そして、ちひろの絵の画用紙はくにゃくにゃだそうです。
それは何故かというと……。
まず、普通の画用紙に「はけ」で水を塗ってしまうそうです。その水が乾かないうちに、筆で、透明水彩絵具をぽとり、落として、その隣にも違う色をぽとり……。
すると!
それが混ざって淡いグラデーションになるんです。
水気をきりたい場合は、ちひろはドライヤーを使っていました。
また、「はけ」で水を塗るときには、色を付かせたくない場所には水を塗りません。
私の傘の絵も、半分そうしてみました。あとはてるてる(坊主)を置いてみました。
てるてるの右横が長袖シャツを着ている少年の手みたくなりました。別に狙ったわけじゃないです。今見たら、お、手に見える、と思いました。
赤いところは撫子(なでしこ)のつもり。
でも、講座をうけている方々は私よりも絵がお上手な方たちばかりで……。細かく色を塗っていました。凄いな。
面白い講座でした。

これは、私が書いた絵です。
先週、横浜のカルチャースクールで岩崎ちひろの講座(東京のちひろ美術館のひとが来て)をうけてきました。
安曇野と東京と、岩崎ちひろの美術館は2つありますが、なんでも東京のほうが古いらしい。東京のほうはちひろの家、安曇野のほうはちひろの実家、を使っているそうです。
ちひろは水彩絵具だけで絵を描きますよね。
それも、白い絵具は使いません、白いところは紙の色を残してあるところです。
そして、ちひろの絵の画用紙はくにゃくにゃだそうです。
それは何故かというと……。
まず、普通の画用紙に「はけ」で水を塗ってしまうそうです。その水が乾かないうちに、筆で、透明水彩絵具をぽとり、落として、その隣にも違う色をぽとり……。
すると!
それが混ざって淡いグラデーションになるんです。
水気をきりたい場合は、ちひろはドライヤーを使っていました。
また、「はけ」で水を塗るときには、色を付かせたくない場所には水を塗りません。
私の傘の絵も、半分そうしてみました。あとはてるてる(坊主)を置いてみました。
てるてるの右横が長袖シャツを着ている少年の手みたくなりました。別に狙ったわけじゃないです。今見たら、お、手に見える、と思いました。
赤いところは撫子(なでしこ)のつもり。
でも、講座をうけている方々は私よりも絵がお上手な方たちばかりで……。細かく色を塗っていました。凄いな。
面白い講座でした。
有名な「木の花は」の段では、清少納言の色の好みが分かります。
以下、参照。
古文が苦手な方は、1~6のところの解説を楽しんでくださればいいです。
木の花は(計7種類)、濃きも薄きも紅梅。……1
桜は、花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。……2
藤の花は、しなひ[=花房]長く、色濃く咲きたる、いとめでたし。
四月のつごもり、五月のついたちのころほひ、橘の葉の濃く青きに、花のいと白う咲きたるが、雨うち降りたるつとめてなどは、世になう心あるさまにをかし。花の中より黄金の玉かと見えて、いみじうあざやかに見えたるなど、朝露にぬれたるあさぼらけの桜に劣らず。ほととぎすのよすがとさへ思へばにや、なほさらに言ふべうもあらず。
梨の花、よにすさまじき[=つまらない]ものにして、近うもてなさず、はかなき文つけなどだにせず。……3 愛敬おくれたる人の顔などを見ては、たとひに言ふも、げに、葉の色よりはじめて、あいなく見ゆるを、唐土には限りなきものにて、文にも作る、なほさりともやうあらむと、せめて見れば、花びらの端に、をかしきにほひ こそ、心もとなうつきためれ。 楊貴妃の、帝の御使ひに会ひて泣きける顔に似せて、
「梨花一枝、春、雨を帯びたり。」
など言ひたるは、おぼろけならじと思ふに、なほいみじうめでたきことは、たぐひあら じとおぼえたり。
桐の木の花、紫に咲きたるはなほをかしきに、葉の広ごりざまぞ、うたてこちたけれど、異木どもとひとしう言ふべきにもあらず。唐土にことごとしき名つきたる鳥の、えりてこれにのみゐるらむ、いみじう心ことなり。まいて琴に作りて、さまざまなる音のいでくるなどは、をかしなど世の常に言ふべくやはある。いみじうこそめでたけれ。
木のさまにくげなれど、楝の花……4 いとをかし。かれがれ[=離れ離れ]にさまことに咲きて、必ず五月五日にあふもをかし。
解説
1……『万葉集』ではすべて白梅(参照:古典とウメ 2)
『古今和歌集』905年(『枕草子』より前)ではウメ(白梅)<サクラ
『枕草子』でやっと紅梅がでてきた。
2……葉の濃き→ヤマザクラonly
3……白くて、葉の色もあわい→すさまじ but 楊貴妃の手紙にも。
4……紫色
⇒清少納言の好み・・・紅 or 紫
花の木ならぬは(計20種類)かへで[カエデ]。……5 かつら[カツラ]、五葉(ごえう)[ゴヨウマツ]。たそばの木[カナメモチ]、しななき心地すれど、花の木ども散り果てて、おしなべて緑になりにたる中に、時もわかず[=季節を問わず]濃き紅葉のつやめきて、思ひもかけぬ青葉の中よりさし出でたる、めづらし。
まゆみ[マユミ]、さらにもいはず。その物となけれど、やどり木[ヤドリギ]といふ名、いとあはれなり。さか木[サカキ]、臨時の祭の御神楽(みかぐら)の折など、いとをかし。世に木どもこそあれ、神の御前のものと生ひはじめけむも、とり分きてをかし。
楠の木[クス]は、こだち多かる所にも、ことにまじらひたてらず、おどろおどろしき思やりなどうとましきを、千枝にわかれて恋する人のためしに言はれたるこそ、誰かは数をしりていひはじめけむと思ふに、をかしけれ。
檜の木[ヒノキ]、また気近からぬ物なれど、三葉四葉(みつばよつば)の殿づくりもをかし。五月に雨の声をまなぶらむもあはれなり。かへで(鶏冠木)[モミジ]……6 の木の、ささやかなるに、もへいでたる葉末(はずゑ)のあかみて、おなじかたに広ごりたる葉のさま、花もいとものはかなげに、虫などの枯れたるに似て、をかし。
あすは檜の木[アスナロ]、この世に近くも見え聞こへず、御獄(みたけ)に詣でて帰りたる人などの、持て来める。枝さしなどは、いと手ふれにくげに、あらくましけれど、何の心ありて、あすは檜の木となづけけむ。あぢきなきかねごとなりや。誰にたのめたるにか、と思ふに、聞かまほしくをかし。
ねずもちの木[イヌツゲ]、人なみなみになるべきにもあらねど、葉のいみじう細かに小さきがをかしきなり。 楝(あふち)の木[センダン]。山たち花[ヤマタチバナ]。山なしの木[ヤマナシノキ]。
椎(しひ)の木[シイ]。常磐木はいづれもあるを、それしも葉がへせぬためしに言はれたるもをかし。
白樫(しらかし)[イチイガシ]といふ物は、まいて深山木の中にもいと気どをくて、三位二位の上の衣そむる折ばかりこそ、葉をだに人の見るめれば、をかしき事めでたき事にとりいづべくもあらねど、いづくともなく雪の降り置きたるに見まがへられ、素戔嗚尊(すさのおのみこと)出雲の国におはしける御事こと思ひて、人丸(人麿)が詠みたる歌などを思ふに、いみじくあはれなり。折につけても、一ふしあはれともをかしとも聞きおきつるものは、草木鳥虫もおろかにこそおぼえね。
ゆづり葉[ユズリハ]の、いみじう房やかにつやめきたるは、青うきよげなるに、おもひかけず似るべくもあらぬ茎は、いと赤くきらきらしく見えたるこそ、あやしけれどをかし。なべての月には見えぬものの、師走のつごもりのみ時めきて、なき人の食ひ物に敷く物にや、とあはれなるに、また、よはひをのぶる歯固めの具にも、もてつかひためるは。いかなる世にかは、「紅葉せむ世や」といひたるもたのもし。
かしは木[カシハ]、いとをかし。葉守りの神のいますらむもかしこし。兵衛の、督(かみ)、 佐(すけ)、尉(ぞう)など言ふもをかし。姿なけれど、棕櫚(すろ)の木[シュロ]、唐めきてわるき家の物とは見えず。
解説
5……三巻本(=最も古態を留めた文体であると考えられている写本)には冒頭の「楓」が書かれていない。
6……この10番目に出てきた「かえで」はカエデではない。赤い字のところより、モミジのこと。オレンジ色の字のところの「花」は果実のこと。
草は・・・・・・
草の花は・・・・・・
以上、「源氏物語の花」シリーズの続き、「枕草子の植物・花」シリーズはこの第二弾で終わります。
第一弾はこちら。
このシリーズも湯浅先生に習ったものですよ♪
お付き合いくださりありがとうございました。
以下、参照。
古文が苦手な方は、1~6のところの解説を楽しんでくださればいいです。
木の花は(計7種類)、濃きも薄きも紅梅。……1
桜は、花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。……2
藤の花は、しなひ[=花房]長く、色濃く咲きたる、いとめでたし。
四月のつごもり、五月のついたちのころほひ、橘の葉の濃く青きに、花のいと白う咲きたるが、雨うち降りたるつとめてなどは、世になう心あるさまにをかし。花の中より黄金の玉かと見えて、いみじうあざやかに見えたるなど、朝露にぬれたるあさぼらけの桜に劣らず。ほととぎすのよすがとさへ思へばにや、なほさらに言ふべうもあらず。
梨の花、よにすさまじき[=つまらない]ものにして、近うもてなさず、はかなき文つけなどだにせず。……3 愛敬おくれたる人の顔などを見ては、たとひに言ふも、げに、葉の色よりはじめて、あいなく見ゆるを、唐土には限りなきものにて、文にも作る、なほさりともやうあらむと、せめて見れば、花びらの端に、をかしきにほひ こそ、心もとなうつきためれ。 楊貴妃の、帝の御使ひに会ひて泣きける顔に似せて、
「梨花一枝、春、雨を帯びたり。」
など言ひたるは、おぼろけならじと思ふに、なほいみじうめでたきことは、たぐひあら じとおぼえたり。
桐の木の花、紫に咲きたるはなほをかしきに、葉の広ごりざまぞ、うたてこちたけれど、異木どもとひとしう言ふべきにもあらず。唐土にことごとしき名つきたる鳥の、えりてこれにのみゐるらむ、いみじう心ことなり。まいて琴に作りて、さまざまなる音のいでくるなどは、をかしなど世の常に言ふべくやはある。いみじうこそめでたけれ。
木のさまにくげなれど、楝の花……4 いとをかし。かれがれ[=離れ離れ]にさまことに咲きて、必ず五月五日にあふもをかし。
解説
1……『万葉集』ではすべて白梅(参照:古典とウメ 2)
『古今和歌集』905年(『枕草子』より前)ではウメ(白梅)<サクラ
『枕草子』でやっと紅梅がでてきた。
2……葉の濃き→ヤマザクラonly
3……白くて、葉の色もあわい→すさまじ but 楊貴妃の手紙にも。
4……紫色
⇒清少納言の好み・・・紅 or 紫
花の木ならぬは(計20種類)かへで[カエデ]。……5 かつら[カツラ]、五葉(ごえう)[ゴヨウマツ]。たそばの木[カナメモチ]、しななき心地すれど、花の木ども散り果てて、おしなべて緑になりにたる中に、時もわかず[=季節を問わず]濃き紅葉のつやめきて、思ひもかけぬ青葉の中よりさし出でたる、めづらし。
まゆみ[マユミ]、さらにもいはず。その物となけれど、やどり木[ヤドリギ]といふ名、いとあはれなり。さか木[サカキ]、臨時の祭の御神楽(みかぐら)の折など、いとをかし。世に木どもこそあれ、神の御前のものと生ひはじめけむも、とり分きてをかし。
楠の木[クス]は、こだち多かる所にも、ことにまじらひたてらず、おどろおどろしき思やりなどうとましきを、千枝にわかれて恋する人のためしに言はれたるこそ、誰かは数をしりていひはじめけむと思ふに、をかしけれ。
檜の木[ヒノキ]、また気近からぬ物なれど、三葉四葉(みつばよつば)の殿づくりもをかし。五月に雨の声をまなぶらむもあはれなり。かへで(鶏冠木)[モミジ]……6 の木の、ささやかなるに、もへいでたる葉末(はずゑ)のあかみて、おなじかたに広ごりたる葉のさま、花もいとものはかなげに、虫などの枯れたるに似て、をかし。
あすは檜の木[アスナロ]、この世に近くも見え聞こへず、御獄(みたけ)に詣でて帰りたる人などの、持て来める。枝さしなどは、いと手ふれにくげに、あらくましけれど、何の心ありて、あすは檜の木となづけけむ。あぢきなきかねごとなりや。誰にたのめたるにか、と思ふに、聞かまほしくをかし。
ねずもちの木[イヌツゲ]、人なみなみになるべきにもあらねど、葉のいみじう細かに小さきがをかしきなり。 楝(あふち)の木[センダン]。山たち花[ヤマタチバナ]。山なしの木[ヤマナシノキ]。
椎(しひ)の木[シイ]。常磐木はいづれもあるを、それしも葉がへせぬためしに言はれたるもをかし。
白樫(しらかし)[イチイガシ]といふ物は、まいて深山木の中にもいと気どをくて、三位二位の上の衣そむる折ばかりこそ、葉をだに人の見るめれば、をかしき事めでたき事にとりいづべくもあらねど、いづくともなく雪の降り置きたるに見まがへられ、素戔嗚尊(すさのおのみこと)出雲の国におはしける御事こと思ひて、人丸(人麿)が詠みたる歌などを思ふに、いみじくあはれなり。折につけても、一ふしあはれともをかしとも聞きおきつるものは、草木鳥虫もおろかにこそおぼえね。
ゆづり葉[ユズリハ]の、いみじう房やかにつやめきたるは、青うきよげなるに、おもひかけず似るべくもあらぬ茎は、いと赤くきらきらしく見えたるこそ、あやしけれどをかし。なべての月には見えぬものの、師走のつごもりのみ時めきて、なき人の食ひ物に敷く物にや、とあはれなるに、また、よはひをのぶる歯固めの具にも、もてつかひためるは。いかなる世にかは、「紅葉せむ世や」といひたるもたのもし。
かしは木[カシハ]、いとをかし。葉守りの神のいますらむもかしこし。兵衛の、督(かみ)、 佐(すけ)、尉(ぞう)など言ふもをかし。姿なけれど、棕櫚(すろ)の木[シュロ]、唐めきてわるき家の物とは見えず。
解説
5……三巻本(=最も古態を留めた文体であると考えられている写本)には冒頭の「楓」が書かれていない。
6……この10番目に出てきた「かえで」はカエデではない。赤い字のところより、モミジのこと。オレンジ色の字のところの「花」は果実のこと。
草は・・・・・・
草の花は・・・・・・
以上、「源氏物語の花」シリーズの続き、「枕草子の植物・花」シリーズはこの第二弾で終わります。
第一弾はこちら。
このシリーズも湯浅先生に習ったものですよ♪
お付き合いくださりありがとうございました。
清少納言は、966年清原元輔の末女として生まれた。
981年橘則光と結婚→則長をもうける。
991年26歳で藤原棟世と再婚→小馬命婦をもうける。
「少納言」という理由は、藤原信義(20歳年上)と結婚してたから、という説もある。
994年、中宮定子の女房になる(定子は藤原道隆の娘)。
997年、藤原道隆死去。弟の道長の勢力が強くなる。
1002年、定子死去。『枕草子』ができたのはこの頃ではないか?――という説あり。
『枕草子』では
草本類77種類・木竹類61種類
計138種類
――の植物と花がある。
cf.『源氏物語』より多い。
981年橘則光と結婚→則長をもうける。
991年26歳で藤原棟世と再婚→小馬命婦をもうける。
「少納言」という理由は、藤原信義(20歳年上)と結婚してたから、という説もある。
994年、中宮定子の女房になる(定子は藤原道隆の娘)。
997年、藤原道隆死去。弟の道長の勢力が強くなる。
1002年、定子死去。『枕草子』ができたのはこの頃ではないか?――という説あり。
『枕草子』では
草本類77種類・木竹類61種類
計138種類
――の植物と花がある。
cf.『源氏物語』より多い。
光源氏は、35歳のとき、源氏ゆかりの女性たちを一ヶ所の場所に集めました。
それが、「六条院の街(庭)」と呼ばれる所です。
六条院の庭は、
春が右下
夏が右上
秋が左下
冬が左上
にありました。
私は、このホームページを参考にします。(湯浅先生が喋り終わらなかったもので。)
こちら。
春の町には、紫の上と源氏が、
夏の町には、花散里と玉鬘と、源氏の長子・夕霧(夕霧大将)(葵の上の忘れ形見)が、
秋の町には、秋好中宮(六条御息所と源氏の叔父との子ども)が、
冬の町には、明石の君が、
住んでおりました。
ちなみに、源氏の子どもは夕霧(葵の上との子ども。のちに大臣。)・明石の中宮(明石の君が産んで、紫の上が育てた。のちに国母。第三皇子に匂宮がいる。)・冷泉帝(桐壺帝の第十皇子となっているが、本当は源氏と藤壺の不義の子)の3人だけ。
※薫は源氏の子に見えるが、柏木の子。
「源氏物語の花」完。
源氏物語に出てくる植物・花の種類は111種類だそうですよ。
では、「枕草子の植物・花」もこんど語りますね。
それが、「六条院の街(庭)」と呼ばれる所です。
六条院の庭は、
春が右下
夏が右上
秋が左下
冬が左上
にありました。
私は、このホームページを参考にします。(湯浅先生が喋り終わらなかったもので。)
こちら。
春の町には、紫の上と源氏が、
夏の町には、花散里と玉鬘と、源氏の長子・夕霧(夕霧大将)(葵の上の忘れ形見)が、
秋の町には、秋好中宮(六条御息所と源氏の叔父との子ども)が、
冬の町には、明石の君が、
住んでおりました。
ちなみに、源氏の子どもは夕霧(葵の上との子ども。のちに大臣。)・明石の中宮(明石の君が産んで、紫の上が育てた。のちに国母。第三皇子に匂宮がいる。)・冷泉帝(桐壺帝の第十皇子となっているが、本当は源氏と藤壺の不義の子)の3人だけ。
※薫は源氏の子に見えるが、柏木の子。
「源氏物語の花」完。
源氏物語に出てくる植物・花の種類は111種類だそうですよ。
では、「枕草子の植物・花」もこんど語りますね。
第二弾。
花とか植物で人を象徴させる方法を紫式部はとっています。
第一弾にも載せた1帖~10帖をもう一度載せます。
桐壺 帚木(ははきぎ) 空蝉 夕顔 若紫 末摘花 紅葉賀(もみじのが) 花宴(はなのえん) 葵 賀木(さかき)
・桐
500円玉も表面には桐が、裏面には竹と橘がデザインされている。
昔のパスポートも桐が、
外務省のマークも桐が、デザインされている。
・夕顔
ユウガオ(ウリ科)
cf.ヨルガオ(ヒルガオ科)
ユウガオ=苦みのないヒョウタン
=カンピョウ
カンピョウは球形ですね。
紫式部は植物をうまく使って展開をさせています。
⇒夕顔の娘は玉鬘(たまかずら)。
玉鬘 金の岬 は2つの記事に分かれているので、ぜひ2つとも読んでください(*'-')ノ
玉は、丸い実の美称。
鬘は、蔓(つる)です。
・末摘花
鼻が赤くてびっくりな姫ですよね。
実は、ベニバナの紅は褪めない(さめない)赤色だそうです。それにかけているんですね。
また、さめない → 一途で、光源氏のことをずっと待っている愛のようです。
・葵
葵は、フタバアオイで、名の通りハート形の葉を普通は二つつける特徴があります。
また、京都の葵祭の賀茂葵でもあります。
上賀茂神社と下賀茂神社ですね。
上賀茂神社は、別名・賀茂別雷神社ともいうんです。
(そして、私のお兄ちゃんが結婚式を挙げた場所でもある!)
賀茂別雷神⇒火(⚡)・水(雨)
なので、湯浅先生曰く、源氏物語に出てくる光源氏の正妻・葵は火みたいで、夕顔は水みたいで、調整をとっていたのではないか、ということでした。
cf.湯浅先生曰く、相撲は昔、雨が多いと火の力士、雨が少ないと水の力士がやっていた(?)みたいです。
cf.賀茂は加茂と書くこともあるようです。
加茂一族・・・出雲
彼らは、製銅・製鉄をやっていました。
銅鏡とか発掘されたらしいです。
たたら集団だったそうです。
(たたらは「もののけ姫」に出てくるよ)
次は、源氏35歳の庭のことについて語ります。
お楽しみに。
花とか植物で人を象徴させる方法を紫式部はとっています。
第一弾にも載せた1帖~10帖をもう一度載せます。
桐壺 帚木(ははきぎ) 空蝉 夕顔 若紫 末摘花 紅葉賀(もみじのが) 花宴(はなのえん) 葵 賀木(さかき)
・桐
500円玉も表面には桐が、裏面には竹と橘がデザインされている。
昔のパスポートも桐が、
外務省のマークも桐が、デザインされている。
・夕顔
ユウガオ(ウリ科)
cf.ヨルガオ(ヒルガオ科)
ユウガオ=苦みのないヒョウタン
=カンピョウ
カンピョウは球形ですね。
紫式部は植物をうまく使って展開をさせています。
⇒夕顔の娘は玉鬘(たまかずら)。
玉鬘 金の岬 は2つの記事に分かれているので、ぜひ2つとも読んでください(*'-')ノ
玉は、丸い実の美称。
鬘は、蔓(つる)です。
・末摘花
鼻が赤くてびっくりな姫ですよね。
実は、ベニバナの紅は褪めない(さめない)赤色だそうです。それにかけているんですね。
また、さめない → 一途で、光源氏のことをずっと待っている愛のようです。
・葵
葵は、フタバアオイで、名の通りハート形の葉を普通は二つつける特徴があります。
また、京都の葵祭の賀茂葵でもあります。
上賀茂神社と下賀茂神社ですね。
上賀茂神社は、別名・賀茂別雷神社ともいうんです。
(そして、私のお兄ちゃんが結婚式を挙げた場所でもある!)
賀茂別雷神⇒火(⚡)・水(雨)
なので、湯浅先生曰く、源氏物語に出てくる光源氏の正妻・葵は火みたいで、夕顔は水みたいで、調整をとっていたのではないか、ということでした。
cf.湯浅先生曰く、相撲は昔、雨が多いと火の力士、雨が少ないと水の力士がやっていた(?)みたいです。
cf.賀茂は加茂と書くこともあるようです。
加茂一族・・・出雲
彼らは、製銅・製鉄をやっていました。
銅鏡とか発掘されたらしいです。
たたら集団だったそうです。
(たたらは「もののけ姫」に出てくるよ)
次は、源氏35歳の庭のことについて語ります。
お楽しみに。
源氏物語は、みなさんもご存知のとおり、「紫式部」が書いたお話です。
今日は朝日カルチャーで湯浅先生に習ってきた、源氏物語の花を書こうと思います。
紫式部。
でも、「式部」というのは男の役職だそうです。
紫式部の父親は藤原為時(ためとき)で、「藤式部(とうしきぶ)」と呼ばれていたそうです。「紫式部」はいわゆるペンネームで、本物の名前は「藤原香子(かほるこ or たかこ)」というそうです。
(かほるこだったら、源君物語(いま連載中のエロイマンガ)と同じ!)
藤原為時は菅原文時(ふみとき)から漢文やなんやかんや教わっていたそうです。
紫式部は973年 (970年 or 978年説もあり)生まれで、998年(26歳)のとき藤原宣孝(のぶたか)(45歳)と結婚したそうです。しかし、夫は浮気ばかりしていて、いろんなところに女をつくっていたそうなので、湯浅先生曰く、光源氏のモデルはこの藤原宣孝ではないか、ということでした。
また、当時は『源氏物語』と呼ばれていなくて、『紫ゆかりの物語』と呼ばれていたそうです。『更級日記』にそう書かれているとか?
――――
光源氏の父親は、桐壺帝です。
桐(キリ)の花は紫色で、でも色褪せちゃう。
光源氏が幼い頃から恋焦がれていた人は、藤壺です。
藤(フジ)の花は紫色で、でも色褪せちゃう。
光源氏は若紫(紫の上)(藤壺の姪)を一番の奥さんに最終的にします。
そう、紫ですが、これは紫草という植物の根からとれた貴重な紫で、褪めない(さめない)色の紫です。
いかに『紫ゆかりの物語』でしょ?
――――
『源氏物語』の54帖のうち半分の題は植物がらみです。
まあ、題はのちの人がつけたという説が有力ですが。
ここでは、特に、1帖~10帖まで挙げてみます。
桐壺 帚木(ははきぎ) 空蝉 夕顔 若紫 末摘花 紅葉賀(もみじのが) 花宴(はなのえん) 葵 賀木(さかき)
空蝉(うつせみ)だけが植物ではありませんね。
でも、光源氏が逃げ回っていた空蝉と何とか関係を持とうとして空蝉のもとに忍んで行った際に明かりの落ちた部屋で空蝉と間違われそのまま光源氏と関係を持つ人物を「軒端荻(のきばのおぎ)」と呼ぶ。これは光源氏が送った和歌「ほのかにも軒端の荻を結ばずは露のかことを何にかけまし」(夕顔巻)に由来する呼称である。
(Wikipedia参考)
ほら、荻も植物でしょ?
シリーズ『源氏物語の花』の第一弾はここで終了とします。
第二弾をお楽しみに。
今日は朝日カルチャーで湯浅先生に習ってきた、源氏物語の花を書こうと思います。
紫式部。
でも、「式部」というのは男の役職だそうです。
紫式部の父親は藤原為時(ためとき)で、「藤式部(とうしきぶ)」と呼ばれていたそうです。「紫式部」はいわゆるペンネームで、本物の名前は「藤原香子(かほるこ or たかこ)」というそうです。
(かほるこだったら、源君物語(いま連載中のエロイマンガ)と同じ!)
藤原為時は菅原文時(ふみとき)から漢文やなんやかんや教わっていたそうです。
紫式部は973年 (970年 or 978年説もあり)生まれで、998年(26歳)のとき藤原宣孝(のぶたか)(45歳)と結婚したそうです。しかし、夫は浮気ばかりしていて、いろんなところに女をつくっていたそうなので、湯浅先生曰く、光源氏のモデルはこの藤原宣孝ではないか、ということでした。
また、当時は『源氏物語』と呼ばれていなくて、『紫ゆかりの物語』と呼ばれていたそうです。『更級日記』にそう書かれているとか?
――――
光源氏の父親は、桐壺帝です。
桐(キリ)の花は紫色で、でも色褪せちゃう。
光源氏が幼い頃から恋焦がれていた人は、藤壺です。
藤(フジ)の花は紫色で、でも色褪せちゃう。
光源氏は若紫(紫の上)(藤壺の姪)を一番の奥さんに最終的にします。
そう、紫ですが、これは紫草という植物の根からとれた貴重な紫で、褪めない(さめない)色の紫です。
いかに『紫ゆかりの物語』でしょ?
――――
『源氏物語』の54帖のうち半分の題は植物がらみです。
まあ、題はのちの人がつけたという説が有力ですが。
ここでは、特に、1帖~10帖まで挙げてみます。
桐壺 帚木(ははきぎ) 空蝉 夕顔 若紫 末摘花 紅葉賀(もみじのが) 花宴(はなのえん) 葵 賀木(さかき)
空蝉(うつせみ)だけが植物ではありませんね。
でも、光源氏が逃げ回っていた空蝉と何とか関係を持とうとして空蝉のもとに忍んで行った際に明かりの落ちた部屋で空蝉と間違われそのまま光源氏と関係を持つ人物を「軒端荻(のきばのおぎ)」と呼ぶ。これは光源氏が送った和歌「ほのかにも軒端の荻を結ばずは露のかことを何にかけまし」(夕顔巻)に由来する呼称である。
(Wikipedia参考)
ほら、荻も植物でしょ?
シリーズ『源氏物語の花』の第一弾はここで終了とします。
第二弾をお楽しみに。
11月28日はこちらの小さなリースを作ってきました。
クリックで拡大↓(戻るときは×を押さないで戻る矢印← を押してね)

なんでも、この木は外国の木らしいですよ。
昨日11月30日は、プリザーブドフラワーの大きなリースを作ってきました。
こちら↓↓
クリックで拡大↓(戻るときは×を押さないで戻る矢印← を押してね)

みなさん、首を90度曲げて見てね(*'-')
わざと三日月にして、リースの一番上が赤いリボンの一番上にならないようにして、作りました。
左横にたれている赤と金色の紐には、ベルが大中小と3つついているんですよ(≧▽≦)
どうですかこのデザイン!――っても先生と相談して決めたんですけどね💦
もう家中、プリザーブドフラワーだらけです(ノ≧∀)人(∀≦\)
クリックで拡大↓(戻るときは×を押さないで戻る矢印← を押してね)

なんでも、この木は外国の木らしいですよ。
昨日11月30日は、プリザーブドフラワーの大きなリースを作ってきました。
こちら↓↓
クリックで拡大↓(戻るときは×を押さないで戻る矢印← を押してね)

みなさん、首を90度曲げて見てね(*'-')
わざと三日月にして、リースの一番上が赤いリボンの一番上にならないようにして、作りました。
左横にたれている赤と金色の紐には、ベルが大中小と3つついているんですよ(≧▽≦)
どうですかこのデザイン!――っても先生と相談して決めたんですけどね💦
もう家中、プリザーブドフラワーだらけです(ノ≧∀)人(∀≦\)