葵のマンションに珍しく父が訪ねてきた。臨床現場に入って半年、息子のダメっぷりを聞きたいのかなと葵は思った。父は今年84歳。葵は父が56歳の時の子供で男ばかりの4人兄弟の末っ子。そして、葵の母だけが兄たちの母親と違う。
「妾」と呼ばれ、本妻から暴言、暴力を母は度々受けていた。そのくせ、本妻は父まで家から追い出した。葵が10歳の時、母が肺炎で亡くなるまで父と母と葵は一緒に暮らしていた。60近い父は息を切らしながら幼い末息子と遊んでくれた。
母の死後、父は本宅に葵をつれて行ったが、本妻は葵を家に入れることを拒んだ。
父は、小さな中古住宅を買い、そこに葵を住まわせ自分は本宅に戻った。葵の日常の世話は家政婦がし、学校関係の対応は父がした。この父親は葵の母親を亡くした悲しみから抜け出せず、母エリ譲りの葵の赤毛を見るのが辛くてたまらなかったのである。
葵は幼い頃から「将来はお父さんと同じ仕事につくんだよ。君は心が病気の人のお医者さんになるんだ。」と言われて育った。成長するにつれ自分の置かれた状況が分かると「早川家」という家の人間は殆どが医学の道に進んでいる事を知った。
腹違いの兄たちは私大の医学部出身。葵は本妻の百合が大嫌いだった。兄たちもあのババアも驚かしてやる。。。彼が日本で最難関の国立の医大にこだわった理由はこれだった。
それでも、残念ながら葵は天才肌ではなく、地道に努力を重ねることしかできないタイプだった。
あかりと付き合った3年3ヶ月。外でデートしたことはなかった。留年しないために葵はアップアップしていた。今、思い返すと2人で外食すらしていなかった。
葵とあかりのデートは、葵の家で2人で過ごすだけ。それでも十分幸せだった。
「LINEもメールも電話もしない。勉強の邪魔はしない。」それは、あかりが提案したことだった。
デートした日に次の予定を立てる。「葵が夢を叶えたら、私は葵のお嫁さんになるの。」まだ、高校生だった彼女は無邪気に言って居た。10年待てると思っていた。2人とも。
夢見た未来は一つ叶い、もう一つは早々と砕け散った。
哲也が「最近、どうだね?」といつものように葵に尋ねた。葵は、父と話す時だけは子供のようになる。「あのさー、僕主治医でいいんですかって患者さんに尋ねたくなる。相変わらず、面談の後、備品倉庫で泣いちゃうし。。。」
父親は大笑いして「現場の臨床医一年生なんだからそんなもんだろ。仕事は経験と一生勉強だよ。他には?恋人ができたとか?」
「そんなもの、いらない。困っているのはメシ。っていうか、生活がめちゃくちゃ。部屋はご覧の通り。クリニックから帰ってきてからも、文献漁ったり、国内外の論文読んだり、大学の時より勉強してるかも。」
父は息子の顔を見て言った。「そう言えば少し痩せたな。。。私は、もうすぐエリのところへ行くからエリに叱られる」
すると葵は怒ったように言った。「そんなこと言わないで。100まで生きるの!」
哲也は暫く考えて「また、家政婦を雇おう。うちで頼んでいる家政婦協会にお願いするよ。医者の無養生はダメだ。お金でなんとかなることはそうした方がいい。百合は家事なんてしたことないよ。」と言った。
「あのお婆さんなら、そうだろうね。」と葵はそっぽを向いた。
エリは、親子の会話を哲也の背中に寄りかかって聞いていた。
葵が10歳の時、エリは人間としての実体化を解いた。エリは姿を消して夫と息子のそばにずっといた。セキの方は、早川哲也になりきっている。自分の正体も完全に忘れている。後、半年でセキも実体化を解いて私達は赤界に還る。葵が大人になったから。
ここから先、葵はどうなるのだろう。元々、子供を持つ気はなかった。セキと2人で十分幸せだったから。イザナギからの「赤色の者を1人、派遣してください。“思し構い“に紛れ込ませたい。」との文がきて何十年経ったか。。。できる限りの協力をした。子供を持ってみるという経験もさせてもらった。お返しに「重い気の病に犯されている高天原の女王」のために息子を「気の病の医者」にした。それなのに。。。私は、ずっと見てきた。なぜ、アマテラスが息子を裏切ったのかの理由も知っている。
「己の課題の答えは己の足で辿り着くのみ」これが鉄則だ。我々「在る者」の。それはアマテラスも同じ。葵も。
哲也が訪ねてきた2週間後。葵の元に家政婦が派遣された。
40代の女。週3日。家事全般をしてくれるという。朝10時〜夕方5時まで。
口数は多くなく。落ち着いた女性だった。
葵は彼女を一目見て生活のサポートをしてもらうことに抵抗がなくなった。
5に続く。。。