ちなみに、「月とスッポン」のスッポンとは「素盆」もしくは「朱盆」のなまったものだそうでございます。(^^ゞ
JA淡路日の出 ホームページ-雑学辞典-
月とスッポン
http://www.ja-hinode.com/knowledge/main.html#月
「月とスッポン」という言葉があります。スタミナ料理でおなじみのスッポンの甲羅がスベスベしていて丸く、あたかも月のような形をしているからと思っている人が多いようです。実は「月とスッポン」のスッポンは「素盆」もしくは「朱盆」のなまったものだそうです。ともに丸いものですが、ただのお盆と月を比べれば、どちらが優れているかは一目瞭然という意味の言葉でした。音が似ているだけで、いつの間にかスッポンがかり出されていたのでした。
ブログ漫才で元「某総合商社」のご隠居さんを批判している私の文章を読まれた方は、私が商社マンの全ての方々を嫌っているように勘違いされる方もあるかも知れませんが、それはマチガイです。
「月とスッポン」の「月」の方の記事を引用したところで、当方は単にうなづくだけのもんでしかありませんから、芸になりません。
ブログ漫才の相方には、「スッポン」の方ほど都合の良い相方はいないのですな。(^^ゞ
ちなみに、この「スッポン」見た目は「素盆」ですが、味は「スッポン」でございまして、なかなかにウマい素材です。(゜д゜)ウマ-
しかも一度噛み付けば雷が鳴るまで自分からは離れようとはしませんから、永く相方を続けてくれる人材でもあるのですな。
と言うことで、「粘着をしているのは私ではなくご隠居さんである。」と言うことを皆様ご理解していただけましたでしょうか?(;^_^A アセアセ・・・
Letter from Yochomachi
余丁町散人の隠居小屋 - Blog
3/26 Today 伊藤博文暗殺犯安重根の処刑(1910)……テロリスト、ところかわれば大英雄
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C111252006/E1474364414/index.html
(これ、一昨年3月26日のエントリー。小泉さんはイラクではアホしたが、国内改革では頑張っている。農村を中心とする既得権者の抵抗はものすごいが、負けずに頑張れ!)
1年も経てば普通の人であれば色々な情報を得て、前の記事を書き直すことをすると思うのであるが、どうもご隠居さんは成長ができない人間であるらしい。
こそこそと私を煽るようなセコイ文句を書くだけ人間的に退化していると思われる。
便所のラクガキですかい?(" ̄д ̄)けっ!
安重根は反日活動家にとっては英雄であるかも知れないが、当時の朝鮮半島の庶民にとって英雄であるか?と言えば、そうでもない。
【'96米】映画マイケル・コリンズと朝鮮独立運動の真実
http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/rekisi45.htm
情報元:
~不思議の国の韓国~
http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/doronpatop.htm
初期の義兵は、儒学の忠孝思想を大義名分として復仇の反日・抗日決起をした。しかし、所詮民衆の基盤を持たない運動であり、すぐさま義兵運動は平定され、ちりぢりとなった「義兵」は、「火賊」「東匪」「活貧党」などに変化し、匪賊化、単純な農民一揆へと変貌した。
朝鮮近代史に出てくる、「火賊」というのは、朝鮮人独自の殺人・掠奪・放火をはたらく強盗集団のことを指す。
彼らは、住民達をゆすり・たかり、その要求に応じなければ住居或いは、村全体を焼いてしまうと言う、極めて悪質な犯罪者集団であった。
日露戦争後の「義兵」にしても、実質的には「韓奸」「親日派の走狗」「政敵」を襲撃する匪賊と変わらない存在だった。
その証拠に「韓国独立運動史」(編集:金永学)によると、義兵闘争における死者数は、倭軍警(日本の軍隊・警察)の死者127名に対して、「敵の走狗」(日本に協力していると見なされた朝鮮人)が1250名と、実に10倍の数で殺されているのである。
朝鮮人同士の殺しあいのすさまじさを物語るであろう。匪賊と成り下がった「義兵」は、軍資金を民衆から強制徴用し、「運動」を展開していた。
日本から見ても、また朝鮮民衆から見ても、「義兵」とは匪賊以外の何者でも無かっただろう。
抗日運動が民衆の支持を得られなかったのは、李氏朝鮮時代の両班の支配より、日本統治下のほうがはるかにマシであったからです。
ちなみに安重根も両班の出身なのですな。
安重根についてはwikipediaでもその扱いが揉めていますが、次のような記述があります。
安重根 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%87%8D%E6%A0%B9
・義士説
1905年第二次日韓協約(乙巳保護条約)を結び、日本は韓国から外交権を奪って事実上の保護国とした。統監府が漢城に設け、初代韓国統監には伊藤博文が就任した。韓国支配の象徴的存在であった伊藤博文の暗殺は、民族の独立を願う志士の純粋な行動として、幕末の攘夷志士につながるところがあり、安重根の裁判を担当した日本の検事から「韓国のため実に忠君愛国の士」と感嘆の声があがるほどであった。ただし、明治時代の日本人は、立場が違っても、相手を忠義の志と見れば、一定の敬意を払うことがめずらしくなかった。そうした敬意は、時流を見誤った愚かな行為という判断と必ずしも矛盾しない。
と言うことで、ご隠居さんの次の文章にはあまり意味はありません。
日本でも彼を高く評価する人もいるのだ。上に上げたページにもあるが、安重根を監獄で監視していた日本軍の憲兵も彼に心服してしまったほどである。
だいたい暗殺の実行犯であったかどうかも疑問のようです。(・ω・ )モニュ?
・人身御供説
伊藤博文の随行員として事件現場にいた外交官出身の貴族院議員である室田義文が、
1.伊藤博文に命中した弾丸はカービン銃のものと証言しているのに、安重根が持っていたのは拳銃である。
2.弾丸は伊藤博文の右上方から左下方へ向けて当たったと証言している。
ことなどから、伊藤博文に命中した弾丸は安重根の拳銃から発射されたものではない、という説が根強くある。この説では、安重根は、事件の真相を闇に葬るための人身御供とされる。
安重根が庶民のために抗日運動に参加していたかと言えば、これも疑問です。(-_-?)
「月」の商社マンの方が次のようなコラムを書かれています。
歴史教科書のありかた
http://www.f5.dion.ne.jp/~t-izumi/histori-lernilo.htm
情報元:
国際派時事コラム「商社マンに技あり!」
http://www.f5.dion.ne.jp/~t-izumi/
一橋出版の教科書の安重根についての記述は、生い立ちから書き出している。
《黄海道の名門の両班ヤンバンの家に生れた安重根アンジュングンは、1906年に鎮南浦チンナムポで石炭や米国の取り引きをはじめたが、大きな資金と特権にものをいわせる日本人商人にたちうちできず、商売は長続きしなかった。その後かれは、経営のゆきづまった学校の校長をひきうけ、青年たちの民族意識を高めようとして愛国啓蒙運動にのりだした。》
「スッポン」のご隠居さんがお嫌いな既得権益を守ることから安重根の活動が始まったようですが、毎度のことながらご隠居さんの主張には一貫性がありませんなぁ。
( ̄へ ̄|||) ウーム
ちなみに「月」の商社マンの方はブログも書かれています。
知的な商社マンのブログのブックマークとして自分のブログに貼るのであれば、私はご隠居さんとこより、こちらの方をお勧めします。
「国際派時事コラム・商社マンに技あり!…ライブ版
http://plaza.rakuten.co.jp/yizumi/
韓国の異常なまでの反日には、戦後に米国が韓国の政界の要人に反日活動家を置いたことも原因ではありますが、次のような事情もあるようです。
韓国人の反日が異常にしつこい理由は何だろう?
http://toron.pepper.jp/jp/syndrome/shien.html
情報元:
Toron talker
http://toron.pepper.jp/index.html
湯澤甲雄氏による分析
過去に為した日本人の行為のために、反日意識を持つと考える日本人が多い。
しかし、韓国人の心情はそうではなくて、絶対的に優越する韓国人が、絶対的に劣位の日本人に支配されたと言う儒教朱子学上、あってはならない現実が起きてしまい、自らを許しがたいと慙愧反省しつつ、日本人はもっと許し難いというジレンマが反日となって噴出するのである。
儒教的世界観を転覆させてしまった自らが刻んだ歴史の汚点が、如何にやむを得ない事情で起きてしまったものであるかの免罪(イクスキューズ)を得るために、日本人の非道性、残虐性を殊更に唱えて安らぎを得る心情が俗に韓国人の「反日感情」といわれるものである。
ご隠居さんがマトモな商社マンであれば、サヨクの流す情報の上っ面しか読めないことも無かったでしょう。
ご隠居さんのブログから感じられる知性では、現役時代にも集められたデータの価値は理解できておらず、周りの方々に尻拭いをして貰っていたのかも知れませんなぁ。
***** この情報に価値を感じたら *****
← Click!してね。
JA淡路日の出 ホームページ-雑学辞典-
月とスッポン
http://www.ja-hinode.com/knowledge/main.html#月
「月とスッポン」という言葉があります。スタミナ料理でおなじみのスッポンの甲羅がスベスベしていて丸く、あたかも月のような形をしているからと思っている人が多いようです。実は「月とスッポン」のスッポンは「素盆」もしくは「朱盆」のなまったものだそうです。ともに丸いものですが、ただのお盆と月を比べれば、どちらが優れているかは一目瞭然という意味の言葉でした。音が似ているだけで、いつの間にかスッポンがかり出されていたのでした。
ブログ漫才で元「某総合商社」のご隠居さんを批判している私の文章を読まれた方は、私が商社マンの全ての方々を嫌っているように勘違いされる方もあるかも知れませんが、それはマチガイです。
「月とスッポン」の「月」の方の記事を引用したところで、当方は単にうなづくだけのもんでしかありませんから、芸になりません。
ブログ漫才の相方には、「スッポン」の方ほど都合の良い相方はいないのですな。(^^ゞ
ちなみに、この「スッポン」見た目は「素盆」ですが、味は「スッポン」でございまして、なかなかにウマい素材です。(゜д゜)ウマ-
しかも一度噛み付けば雷が鳴るまで自分からは離れようとはしませんから、永く相方を続けてくれる人材でもあるのですな。
と言うことで、「粘着をしているのは私ではなくご隠居さんである。」と言うことを皆様ご理解していただけましたでしょうか?(;^_^A アセアセ・・・
Letter from Yochomachi
余丁町散人の隠居小屋 - Blog
3/26 Today 伊藤博文暗殺犯安重根の処刑(1910)……テロリスト、ところかわれば大英雄
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C111252006/E1474364414/index.html
(これ、一昨年3月26日のエントリー。小泉さんはイラクではアホしたが、国内改革では頑張っている。農村を中心とする既得権者の抵抗はものすごいが、負けずに頑張れ!)
1年も経てば普通の人であれば色々な情報を得て、前の記事を書き直すことをすると思うのであるが、どうもご隠居さんは成長ができない人間であるらしい。
こそこそと私を煽るようなセコイ文句を書くだけ人間的に退化していると思われる。
便所のラクガキですかい?(" ̄д ̄)けっ!
安重根は反日活動家にとっては英雄であるかも知れないが、当時の朝鮮半島の庶民にとって英雄であるか?と言えば、そうでもない。
【'96米】映画マイケル・コリンズと朝鮮独立運動の真実
http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/rekisi45.htm
情報元:
~不思議の国の韓国~
http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/doronpatop.htm
初期の義兵は、儒学の忠孝思想を大義名分として復仇の反日・抗日決起をした。しかし、所詮民衆の基盤を持たない運動であり、すぐさま義兵運動は平定され、ちりぢりとなった「義兵」は、「火賊」「東匪」「活貧党」などに変化し、匪賊化、単純な農民一揆へと変貌した。
朝鮮近代史に出てくる、「火賊」というのは、朝鮮人独自の殺人・掠奪・放火をはたらく強盗集団のことを指す。
彼らは、住民達をゆすり・たかり、その要求に応じなければ住居或いは、村全体を焼いてしまうと言う、極めて悪質な犯罪者集団であった。
日露戦争後の「義兵」にしても、実質的には「韓奸」「親日派の走狗」「政敵」を襲撃する匪賊と変わらない存在だった。
その証拠に「韓国独立運動史」(編集:金永学)によると、義兵闘争における死者数は、倭軍警(日本の軍隊・警察)の死者127名に対して、「敵の走狗」(日本に協力していると見なされた朝鮮人)が1250名と、実に10倍の数で殺されているのである。
朝鮮人同士の殺しあいのすさまじさを物語るであろう。匪賊と成り下がった「義兵」は、軍資金を民衆から強制徴用し、「運動」を展開していた。
日本から見ても、また朝鮮民衆から見ても、「義兵」とは匪賊以外の何者でも無かっただろう。
抗日運動が民衆の支持を得られなかったのは、李氏朝鮮時代の両班の支配より、日本統治下のほうがはるかにマシであったからです。
ちなみに安重根も両班の出身なのですな。
安重根についてはwikipediaでもその扱いが揉めていますが、次のような記述があります。
安重根 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%87%8D%E6%A0%B9
・義士説
1905年第二次日韓協約(乙巳保護条約)を結び、日本は韓国から外交権を奪って事実上の保護国とした。統監府が漢城に設け、初代韓国統監には伊藤博文が就任した。韓国支配の象徴的存在であった伊藤博文の暗殺は、民族の独立を願う志士の純粋な行動として、幕末の攘夷志士につながるところがあり、安重根の裁判を担当した日本の検事から「韓国のため実に忠君愛国の士」と感嘆の声があがるほどであった。ただし、明治時代の日本人は、立場が違っても、相手を忠義の志と見れば、一定の敬意を払うことがめずらしくなかった。そうした敬意は、時流を見誤った愚かな行為という判断と必ずしも矛盾しない。
と言うことで、ご隠居さんの次の文章にはあまり意味はありません。
日本でも彼を高く評価する人もいるのだ。上に上げたページにもあるが、安重根を監獄で監視していた日本軍の憲兵も彼に心服してしまったほどである。
だいたい暗殺の実行犯であったかどうかも疑問のようです。(・ω・ )モニュ?
・人身御供説
伊藤博文の随行員として事件現場にいた外交官出身の貴族院議員である室田義文が、
1.伊藤博文に命中した弾丸はカービン銃のものと証言しているのに、安重根が持っていたのは拳銃である。
2.弾丸は伊藤博文の右上方から左下方へ向けて当たったと証言している。
ことなどから、伊藤博文に命中した弾丸は安重根の拳銃から発射されたものではない、という説が根強くある。この説では、安重根は、事件の真相を闇に葬るための人身御供とされる。
安重根が庶民のために抗日運動に参加していたかと言えば、これも疑問です。(-_-?)
「月」の商社マンの方が次のようなコラムを書かれています。
歴史教科書のありかた
http://www.f5.dion.ne.jp/~t-izumi/histori-lernilo.htm
情報元:
国際派時事コラム「商社マンに技あり!」
http://www.f5.dion.ne.jp/~t-izumi/
一橋出版の教科書の安重根についての記述は、生い立ちから書き出している。
《黄海道の名門の両班ヤンバンの家に生れた安重根アンジュングンは、1906年に鎮南浦チンナムポで石炭や米国の取り引きをはじめたが、大きな資金と特権にものをいわせる日本人商人にたちうちできず、商売は長続きしなかった。その後かれは、経営のゆきづまった学校の校長をひきうけ、青年たちの民族意識を高めようとして愛国啓蒙運動にのりだした。》
「スッポン」のご隠居さんがお嫌いな既得権益を守ることから安重根の活動が始まったようですが、毎度のことながらご隠居さんの主張には一貫性がありませんなぁ。
( ̄へ ̄|||) ウーム
ちなみに「月」の商社マンの方はブログも書かれています。
知的な商社マンのブログのブックマークとして自分のブログに貼るのであれば、私はご隠居さんとこより、こちらの方をお勧めします。
「国際派時事コラム・商社マンに技あり!…ライブ版
http://plaza.rakuten.co.jp/yizumi/
韓国の異常なまでの反日には、戦後に米国が韓国の政界の要人に反日活動家を置いたことも原因ではありますが、次のような事情もあるようです。
韓国人の反日が異常にしつこい理由は何だろう?
http://toron.pepper.jp/jp/syndrome/shien.html
情報元:
Toron talker
http://toron.pepper.jp/index.html
湯澤甲雄氏による分析
過去に為した日本人の行為のために、反日意識を持つと考える日本人が多い。
しかし、韓国人の心情はそうではなくて、絶対的に優越する韓国人が、絶対的に劣位の日本人に支配されたと言う儒教朱子学上、あってはならない現実が起きてしまい、自らを許しがたいと慙愧反省しつつ、日本人はもっと許し難いというジレンマが反日となって噴出するのである。
儒教的世界観を転覆させてしまった自らが刻んだ歴史の汚点が、如何にやむを得ない事情で起きてしまったものであるかの免罪(イクスキューズ)を得るために、日本人の非道性、残虐性を殊更に唱えて安らぎを得る心情が俗に韓国人の「反日感情」といわれるものである。
ご隠居さんがマトモな商社マンであれば、サヨクの流す情報の上っ面しか読めないことも無かったでしょう。
ご隠居さんのブログから感じられる知性では、現役時代にも集められたデータの価値は理解できておらず、周りの方々に尻拭いをして貰っていたのかも知れませんなぁ。
***** この情報に価値を感じたら *****
← Click!してね。