●立川談春“20年目の収穫祭”
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0009V1GQW/qid%3D1135510634/250-4041199-3411401
立川談春師噺家生活20周年の記念CDである。
このCDには、
『九州吹き戻し』と『文七元結』が収録されている。
私が保有する落語CDの中でダントツでNo.1であり、
特に『文七元結』は、頻繁に聴いている。
『文七元結』に関しては、市販のCDの中では
一番優れていると私は思う。
私は、談志・志ん朝・小三治・志ん生
・八代目林家正蔵のCD『文七元結』を全て聴いたが、
談春師の右に出るものはなかった。
『文七元結』には3つの山場が存在する。
①娘のお久を預けに行った吉原の佐野鎚での女将と
長平衛のやり取り
②吾妻橋の上で50両を前にしての長平衛と文七のやり取り
③近江屋の旦那がお久を身請けして、長平衛宅へ連れてくる
身請けの結びの場面
大抵の噺家は②の場面のみを強調する。当然である。
この噺の一番の山場なのだから。
ここをおろそかにしては、噺の骨格が崩れてしまう。
しかし、①の場面を活かすかどうかで
この噺の幅が決まってくると私は考えるのだ。
(ちなみに、五代目古今亭志ん生師・八代目林家正蔵師は、
この場面自体を省略している)
談春師は、①の場面をたっぷりと演じ、佐野鎚の女将の
凄みを表現する。そのことで、五十両の重みがずっしりと
伝わってくる。
談春版佐野鎚の女将は、博打を打つ長平衛に対して、
博打について説く。
「人間と人間がやる博打の中で仕事が絡んでいない博打は、
一つもないんだ。だから、勝てる。
買った負けたで遊んでいるうちは遊び人というんだ」
「博打は場で朽ちるというように、
骨がしゃりになっても止められないのが博打なんだ」
談春師自体、博打打ち(競艇狂)であり、
博打打ちの了見を知り尽くしているため、説得力が全然違う。
②の場面は、長平衛の葛藤と狂喜を見事に表現している。
「死んじゃいけねえ」長兵衛のメッセージが
熱い感動となって聞き手に伝わってくる。
50両を投げつけてからの50両の背景を涙ながらに文七に語る
シーンは圧巻である。江戸弁で一気にまくしたてるため、
口は悪いが、情に厚い江戸っ子気質が見事に伝わってくる。
この場面は、落ち込んでいる時に聞くと元気が出て、
生きる勇気が沸いてきます。
「死んだほうが楽だよ。しかし、死んじゃいけねえんだよ。
生きてるほうが辛いんだよ。辛くてもしょうがないんだよ」
「俺は酒と博打でめちゃくちゃになっちゃったんだよ。
おめえじゃねえんだ、俺なんだよ。
俺なんて生きてたってしょうがないんだよ。
生きてたってしょうがないけど、死ねねえんだよ!」
「うちは誰も死なねえんだ。俺だって死なねえ、かかあだって死なねぇ、娘だって女郎になるけど死なねえんだよ!
おめえは死ぬって言っただろう。
死んじゃいけねえんだよ、だから50両持ってけって言ってるんだよ」
『文七元結』のみならず、『九州吹き戻し』も素晴らしいので、
本格古典落語の魅力を味わいたい人にはお薦めの一枚です。
(参考文献)
八木忠栄(2005)『落語はライブで聴こう』(新書館)
びいと
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0009V1GQW/qid%3D1135510634/250-4041199-3411401
立川談春師噺家生活20周年の記念CDである。
このCDには、
『九州吹き戻し』と『文七元結』が収録されている。
私が保有する落語CDの中でダントツでNo.1であり、
特に『文七元結』は、頻繁に聴いている。
『文七元結』に関しては、市販のCDの中では
一番優れていると私は思う。
私は、談志・志ん朝・小三治・志ん生
・八代目林家正蔵のCD『文七元結』を全て聴いたが、
談春師の右に出るものはなかった。
『文七元結』には3つの山場が存在する。
①娘のお久を預けに行った吉原の佐野鎚での女将と
長平衛のやり取り
②吾妻橋の上で50両を前にしての長平衛と文七のやり取り
③近江屋の旦那がお久を身請けして、長平衛宅へ連れてくる
身請けの結びの場面
大抵の噺家は②の場面のみを強調する。当然である。
この噺の一番の山場なのだから。
ここをおろそかにしては、噺の骨格が崩れてしまう。
しかし、①の場面を活かすかどうかで
この噺の幅が決まってくると私は考えるのだ。
(ちなみに、五代目古今亭志ん生師・八代目林家正蔵師は、
この場面自体を省略している)
談春師は、①の場面をたっぷりと演じ、佐野鎚の女将の
凄みを表現する。そのことで、五十両の重みがずっしりと
伝わってくる。
談春版佐野鎚の女将は、博打を打つ長平衛に対して、
博打について説く。
「人間と人間がやる博打の中で仕事が絡んでいない博打は、
一つもないんだ。だから、勝てる。
買った負けたで遊んでいるうちは遊び人というんだ」
「博打は場で朽ちるというように、
骨がしゃりになっても止められないのが博打なんだ」
談春師自体、博打打ち(競艇狂)であり、
博打打ちの了見を知り尽くしているため、説得力が全然違う。
②の場面は、長平衛の葛藤と狂喜を見事に表現している。
「死んじゃいけねえ」長兵衛のメッセージが
熱い感動となって聞き手に伝わってくる。
50両を投げつけてからの50両の背景を涙ながらに文七に語る
シーンは圧巻である。江戸弁で一気にまくしたてるため、
口は悪いが、情に厚い江戸っ子気質が見事に伝わってくる。
この場面は、落ち込んでいる時に聞くと元気が出て、
生きる勇気が沸いてきます。
「死んだほうが楽だよ。しかし、死んじゃいけねえんだよ。
生きてるほうが辛いんだよ。辛くてもしょうがないんだよ」
「俺は酒と博打でめちゃくちゃになっちゃったんだよ。
おめえじゃねえんだ、俺なんだよ。
俺なんて生きてたってしょうがないんだよ。
生きてたってしょうがないけど、死ねねえんだよ!」
「うちは誰も死なねえんだ。俺だって死なねえ、かかあだって死なねぇ、娘だって女郎になるけど死なねえんだよ!
おめえは死ぬって言っただろう。
死んじゃいけねえんだよ、だから50両持ってけって言ってるんだよ」
『文七元結』のみならず、『九州吹き戻し』も素晴らしいので、
本格古典落語の魅力を味わいたい人にはお薦めの一枚です。
(参考文献)
八木忠栄(2005)『落語はライブで聴こう』(新書館)
びいと
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