心の自由

被曝を最小限にして命を繋ごう!

【よりそいホットライン】<0120-279-338>どんな悩みにも寄り添って、解決する方法を探す  

2014年07月07日 | 記事

 【よりそいホットライン】

 <0120-279-338  24時間通話料無料>

どんな人のどんな悩みにも寄り添って、一緒に解決する方法を探す。

 

音声ガイダンスが流れる。相談したいことを選ぶ

  ①生活や暮らし

  ②外国語による相談

  ③性暴力やドメステックバイオレンス等、女性の相談

  ④性別や同性愛

  ⑤死にたい程の辛い気持を聞いて欲しい

 

 

 

 

 

 

 

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http://279338.jp/yorisoi/index.html


【記事】<全身被曝した福島の県鳥・キビタキ>2012/1 東京新聞4/19夕刊 

2014年04月20日 | 記事

アマヤ@yosinagakoyuri さんより

全身被曝した福島の県鳥・キビタキ2012年1月 

「翼の黒い斑点は、羽や体に降り注いだ放射性物質。

腹部の色が少し濃いのは、昆虫や植物を食べて放射性物質が胃に直接入ったり、

筋肉に蓄積したりしたのだろう」

4月19日(土)夕刊・東京新聞

<全身被曝した福島の県鳥・キビタキ>2012年1月 

「翼の黒い斑点は、羽や体に降り注いだ放射性物質。腹部の色が少し濃いのは、

昆虫や植物を食べて放射性物質が胃に直接入ったり、筋肉に蓄積したりしたのだろう」

 

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【記事】<体内にセシウム 心臓疾患まねく>2013/7/29 ユーリー・バンダジェフスキー

2014年04月06日 | 記事

体内にセシウム 心臓疾患まねく チェルノブイリ事故で警鐘

                     (東京新聞 こちら特報部) 

<iframe src="http://dis.jp.as.criteo.com/dis/dis.aspx?pu=34122&cb=085d716c2a" width="1" height="1"></iframe>

 

                       2013年7月29日 東京新聞朝刊 こちら特報部


チェルノブイリ原発事故最大の被災国ベラルーシで、死亡した人を解剖して臓器ごとの放

射性セシウムを測定した医師がいる。

ウクライナ在住の病理解剖学者ユーリー・バンダジェフスキー氏(56)だ。

低線量内部被ばくに警鐘を鳴らす研究は当局に危険視され、投獄される憂き目も見た。

来日した「不屈の学者」に聞いた。(佐藤圭)


◆論文発表後逮捕 「不屈の学者」

「たとえ微量であっても、セシウムなど放射性物質が含まれる食品を継続的に食べ続け

ると、健康被害を誘発する恐れがある。内部被ばくと健康被害には相関関係がある」

バンダジェフスキー氏は今月10日、市民団体の招きで来日し、21日まで東京など全国

6カ所で講演した。日本を訪れるのは昨年春に続いて二度目。

チェルノブイリの教訓を日本に伝えるためだ。

旧ソ連のチェルノブイリ原発は現在のウクライナ北部にあるが、1986年の事故で最も被

害を受けたのは、国土の約23%が放射性物質に汚染された隣国ベラルーシだった。

病理解剖の専門家である同氏は90年、ベラルーシ第二の都市ゴメリにゴメリ医科大を

創設して初代学長に就任。内部被ばくの影響を調査した。

同氏は、人の臓器にどれくらい放射能があるかを実際に解剖して確かめたことで知られ

る。96~98年、ゴメリ市内の複数の病院で、心臓血管系の疾患や感染症が原因で死

亡した123人の大人や子どもを調査したところ、心臓や肝臓、腎臓などからセシウム

137が検出された。

同氏は、セシウム137は特に心筋細胞に蓄積しやすく、心筋障害や不整脈などの心臓

疾患が起きやすくなると結論付けた。ベラルーシ人の死因トップは心臓血管系の疾患

だ。

世界保健機関(WHO)などはチェルノブイリ事故で、放射性ヨウ素による小児甲状腺が

んしか認めていない。

同氏は、セシウムによる内部被ばくの論文を発表した直後の99年、収賄容疑で突然逮

捕される。一貫して無罪を訴えたが、2001年、禁錮8年の判決を受けて服役した。

海外の多くの人権団体が「政治的意図による冤罪(えんざい)」と非難する中、刑期途中

の05年に釈放されたものの、ベラルーシを国外追放された。

現在はウクライナで研究を続けている。

同氏は「私の研究が『国家へのクーデター』とみなされた」と振り返る。

逮捕後、ベラルーシ政府は、事故以来住民が避難していた汚染地域への「再入植」方針

を打ち出した。

「ベラルーシ国民の放射能への意識は高いが、政府が内部被ばくの影響

を軽視している以上、汚染地域で静かに生活するしかない」


◆「汚染食品食べない努力を」

福島原発事故から約2年5カ月後の日本の現状をどう見るか。

福島県が18歳以下の県民を対象に実施している甲状腺調査では、疑いも含めて27人

が甲状腺がんと診断されているが、県は「被ばくの影響は考えにくい」としている。

同氏はこう強調した。

「健康被害が出ないことを望んでいるが、チェルノブイリの経験からすると、楽観できな

い。

内部被ばくに対処するには、汚染食品を食べないように努力するしかない。

技術力と資金力のある日本は、よりよい食品の放射線量管理システムを確立できると信

じている」

http://www.asyura2.com/13/genpatu32/msg/670.html  全文転載


【必読】~宮城県から札幌に原発避難した大学生ユウさんの、親への想い~

2014年04月05日 | 記事

 

「だから、自信を持って、堂々としていて欲しい…もう自分を責めないでほしい。」  ~宮城県から札幌に原発避難した大学生ユウさんの、親への想い~    チーム☆OK唯一の大学生メンバー、ユウさんが、親御さんへの想いを綴ってくれました。  ユウさんは母子避難の息子。避難のために、北海道の大学を選び、母と妹と3人で避難して来たそうです。  なかなか語られることのない、「母子避難で連れてこられた子ども」の想いです。    ******    野球は中学校から始めたスポーツだ。  そのまま進学した高校でも硬式野球部に所属し、当時は甲子園優勝を目指して、毎日練習に励んでいた。  練習は厳しく、大変ではあったが、気の置けない仲間たちと過ごす時間は、充実したものであった。    そんな時であった。東日本大震災がおきたのは。    練習中でグラウンドにいた。突然の揺れ、それが5分以上続いた。  すぐに練習は中止され、帰れる者から家路についた。  私は、コンクリートが割れ、水が噴き出す道路に自転車を走らせ、何とか帰宅した。  その後1週間ほどは、毎日自転車で、食料を探す生活だった。    しかしそんな生活も、1~2週間もすればおさまり、復興も進み、元の生活に少しずつ戻っていった。野球部の練習も再開され、いつもの日常が再開しようとしていた。    そんな時、母が突然、意味の分からない、頭のおかしなことを言い出した。  「福島で原発が爆発し、放射線が広範囲に広がっているから、あまり外にでるな」というのだ。    TVや新聞から、福島で原発事故が起こっていることは知っていたが、政府も安全だと言っており、問題はないと思っていた。  どこか遠い、自分とは関係ないところで起きたことだと思っていた。    それなのに、母は外に出るなという。冗談じゃない。明日も明後日も練習があるのだ。  それに、部活の仲間も、監督も、誰も気にしてはいないじゃないか。当然の如く反発。割と強めに言ってやった。これでもう変なことは言ってこないだろう。    しかし、次の日も、そのまた次の日も、母は何度も何度も何度も何度も何度も、私に、「放射能が漏れているから外に出るな、マスクをしろ、食べ物に気を付けろ」と言い続けた。    ああもう、うるさい、私には野球の練習があるのだ。邪魔をするな。  誰一人として気にしていないのに、一人で何を騒いでいるのだ。  そのたびに強く反発し、時には声を荒げたこともあった。  そんな日々が、何か月も続いた。汚染の高い地域への遠征も強行した。  グラウンドを走り回り、野球に打ち込んだ。    頼むから、やっと戻った平和な生活を壊さないでくれ、周りのみんなと一緒に、普通の生活をさせてくれ。  そんなことをいつも考えていた。しかし、母が私に対して、無言になることはなかった。    きっかけはいつだったのか、事故から何か月経ったときだったのか。もう覚えてはいない。  そこまで言うのなら、一度話を「聞いてやろう」ではないか、そんな気持ちではあるが、母の話を正面から受け止めようと思った。    薄々感じてはいたのだ、私はただ、逃げていただけだということを、母の話から。  圧倒的大多数の周囲の人間の影に、隠れていただけだということを。  それに気づくことが出来たのは、母が私に何を言われても、怯むことなく放射能のことを言い続けたからだろう。    ともかく、母の話をじっくり聞いたあとは、自然と放射能のことを認めるようになっていた。  チェルノブイリの話も聞かされたし、放射能の怖さも、懇切丁寧に説明してくれた。  今までの日常は、もう戻ってこないという現実を、受け止めざるを得なかった。  少しでも目を背けようとすれば、母がすかさず現実を突きつけてきた。反発する気力は、もう残っていなかった。    「避難をしよう」。とうとう母は、私が最も恐れていたことを言い出した。  正直それだけは嫌だった。時は高校2年生。後輩もできて、最高に充実していた時だった。    私は母に、避難はもう少し待ってほしいと、「お願い」した。  結果、私が北海道の大学に進学するということで、野球を続けることを「許して」くれた。    私は最後まで野球部に所属し、春の大会で県ベスト8までいくことが出来た。  夏の甲子園予選では敗退してしまったが、最後は最高の仲間と一緒に、笑って引退することが出来た。  一つのことに打ち込むことの意味を学んだ。礼儀や挨拶の大切さを知った。両親が最後まで野球をやらせてくれたおかげだ。本当に感謝している。    そんなわけで、最後まで野球をやらせて貰った私には、ある約束が残されていた。北海道の大学に行くことである。  そして、受験勉強をしながら、今度は私が、周りの人たちに、放射能のことを伝える番だと思った。    しかし、現実は厳しかった。結局誰にも、理解はしてもらえなかったのだ。  特に、3年間共に野球に打ち込んだ仲間にも拒絶されたことは、流石にショックだった。  この辺の気持ちは、避難者の方ならわかると思う。この時初めて、母の気持ちを知ることが出来たのだ。    言う方も辛いのである。  何故なら、被災地で放射能の怖さを認めるということは、今この瞬間も、自分の身体が被爆しているということを、認めるということだからである。    しかし、だからこそ、相手の為を思って言うのであるが、結局変人扱いされ、笑われ、拒否される。  いつしか、放射能のことを周りに言うことを避けるようになった。自分が傷つくくらいなら、言わない方がいい。と言う訳だ。    ここまで傷ついてもなお、言い続けるためには、本気で相手のことを思っていないと出来ないことだと思う。  母はこんな環境で毎日戦っていたのだ。私と妹の為に・・・。    まだ北海道にはたくさんの雪が残っている3月。  私たちは、札幌に避難した。地元に父を残して。ここで、2千字以上書いてからようやく登場した父についても触れよう。    私たち家族の避難を認め、汚染地に残って今も働き続ける父だ。  何度も言うが、被災地において放射能の怖さを認めることは、並大抵のことではない。  ましてや、「家族が避難することを認める」というのは、「自らも被爆していることを認める」ということでもある。    勿論、最初から避難を認めていたわけではない。最初のころは、母と揉めることもかなりあったように思える。  しかし最後は、私たちを笑顔で送りだしてくれた。  今も、被災地に残って、仕事を続けている。私たちの生活を守るために。  父もまた、放射能の恐怖と、戦っているのだ。    以上が、私が避難してきた大体の顛末である。  何度も何度も揉めたが、今の札幌での暮らしを作ってくれた両親には、心から感謝している。  確かに多くのものを失ったが、かわりに札幌の新しい出会いもたくさんあった。  これから、北海道での思い出をたくさん作ることが出来れば、それでよいと思う。    子供は親の背中を見て育つという。本当にその通りだ。  私も、両親の様に、どんな時でも子供のためを想い、子供の命を守るために全力を尽くせる、そんな親になりたいと考えている。自分がどんなに傷ついても、最後まで子供の為に行動する。そんな親に・・・。    北海道に母子避難してきた小さな子供たち、「いのちのことり」風にいうと、「守られた輝く命」たちも、きっと私と同じ気持ちのはずだ。  例え今は、わからなかったとしても、いつか成長したときに、両親に対して感謝する時が必ず来る。私はそう信じている。    だから、自信を持って、堂々としていて欲しい。  これはチーム☆OKだけでなく、原発避難してきた全ての親たちに、私がこの文章を通して、一番伝えたいことだ。  「守られた輝く命」としての言葉だ。    大丈夫、あなたたちが、わたしたちのためを思って、多くのものを失い、苦しみ傷つき、それでも避難を決意し、今もなお、本当にこれでよかったのかと自問自答を繰り返していることは、ちゃんとわかっている。  その背中から、日々感じ取っている。  だから、もう自分を責めないでほしい。    そして、沢山の、笑顔の思い出を、避難先で作って欲しい、一緒に笑って過ごして欲しい。  あなたたちの笑っている顔を、わたしたちも見たいから。    「ありがとう」。今はまだ、恥ずかしくて言えないけれど、大きくなったら、きっと伝えます。  私たちの命を守ってくれた、大切な人たちに・・・。    (ユウ・大学2年生・宮城県から原発避難)    ※写真はユウさんが野球のトレーニングに利用した神社の階段です。    OK☆日記の記事はこちらです。  FB利用していない方にもぜひ、お知らせしてください。  http://teamokjapan.com/news/blog/7409/

「だから、自信を持って、堂々としていて欲しい…もう自分を責めないでほしい。」

~宮城県から札幌に原発避難した大学生ユウさんの、親への想い~

チーム☆OK唯一の大学生メンバー、ユウさんが、親御さんへの想いを綴ってくれました。

ユウさんは母子避難の息子。

避難のために北海道の大学を選び、母と妹と3人で避難して来たそうです。...

なかなか語られることのない、「母子避難で連れてこられた子ども」の想いです。

******

野球は中学校から始めたスポーツだ。

そのまま進学した高校でも硬式野球部に所属し、当時は甲子園優勝を目指して、

毎日練習に励んでいた。

練習は厳しく、大変ではあったが、気の置けない仲間たちと過ごす時間は、充実したものであった。

そんな時であった。東日本大震災がおきたのは。

練習中でグラウンドにいた。突然の揺れ、それが5分以上続いた。

すぐに練習は中止され、帰れる者から家路についた。

私は、コンクリートが割れ、水が噴き出す道路に自転車を走らせ、何とか帰宅した。

その後1週間ほどは、毎日自転車で、食料を探す生活だった。

しかしそんな生活も、1~2週間もすればおさまり、復興も進み、元の生活に少しずつ戻っていった。

球部の練習も再開され、いつもの日常が再開しようとしていた。

そんな時、母が突然、意味の分からない、頭のおかしなことを言い出した。

「福島で原発が爆発し、放射線が広範囲に広がっているから、あまり外にでるな」というのだ。

TVや新聞から、福島で原発事故が起こっていることは知っていたが、政府も安全だと言っており、

問題はないと思っていた。

どこか遠い、自分とは関係ないところで起きたことだと思っていた。

それなのに、母は外に出るなという。冗談じゃない。明日も明後日も練習があるのだ。

それに、部活の仲間も、監督も、誰も気にしてはいないじゃないか。当然の如く反発。

割と強めに言ってやった。これでもう変なことは言ってこないだろう。

しかし、次の日も、そのまた次の日も、母は何度も何度も何度も何度も何度も、私に、

「放射能が漏れているから外に出るな、マスクをしろ、食べ物に気を付けろ」と言い続けた。

ああもう、うるさい、私には野球の練習があるのだ。邪魔をするな。

誰一人として気にしていないのに、一人で何を騒いでいるのだ。

そのたびに強く反発し、時には声を荒げたこともあった。

そんな日々が、何か月も続いた。汚染の高い地域への遠征も強行した。

グラウンドを走り回り、野球に打ち込んだ。

頼むから、やっと戻った平和な生活を壊さないでくれ、周りのみんなと一緒に、普通の生活をさせてくれ。

そんなことをいつも考えていた。しかし、母が私に対して、無言になることはなかった。

きっかけはいつだったのか、事故から何か月経ったときだったのか。もう覚えてはいない。

そこまで言うのなら、一度話を「聞いてやろう」ではないか、そんな気持ちではあるが、母の話を正面から

受け止めようと思った。

薄々感じてはいたのだ、私はただ、逃げていただけだということを、母の話から。

圧倒的大多数の周囲の人間の影に、隠れていただけだということを。

それに気づくことが出来たのは、母が私に何を言われても、怯むことなく放射能のことを言い続けたから

だろう。

ともかく、母の話をじっくり聞いたあとは、自然と放射能のことを認めるようになっていた。

チェルノブイリの話も聞かされたし、放射能の怖さも、懇切丁寧に説明してくれた。

今までの日常は、もう戻ってこないという現実を、受け止めざるを得なかった。

少しでも目を背けようとすれば、母がすかさず現実を突きつけてきた。

反発する気力は、もう残っていなかった。

「避難をしよう」。とうとう母は、私が最も恐れていたことを言い出した。

正直それだけは嫌だった。時は高校2年生。後輩もできて、最高に充実していた時だった。

私は母に、避難はもう少し待ってほしいと、「お願い」した。

結果、私が北海道の大学に進学するということで、野球を続けることを「許して」くれた。

私は最後まで野球部に所属し、春の大会で県ベスト8までいくことが出来た。

夏の甲子園予選では敗退してしまったが、最後は最高の仲間と一緒に、笑って引退することが出来た。

一つのことに打ち込むことの意味を学んだ。礼儀や挨拶の大切さを知った。両親が最後まで野球をやら

せてくれたおかげだ。本当に感謝している。

そんなわけで、最後まで野球をやらせて貰った私には、ある約束が残されていた。

北海道の大学に行くことである。

そして、受験勉強をしながら、今度は私が、周りの人たちに、放射能のことを伝える番だと思った。

しかし、現実は厳しかった。結局誰にも、理解はしてもらえなかったのだ。

特に、3年間共に野球に打ち込んだ仲間にも拒絶されたことは、流石にショックだった。

この辺の気持ちは、避難者の方ならわかると思う。

この時初めて、母の気持ちを知ることが出来たのだ。

言う方も辛いのである。

何故なら、被災地で放射能の怖さを認めるということは、今この瞬間も、自分の身体が被爆しているとい

ことを、認めるということだからである。

しかし、だからこそ、相手の為を思って言うのであるが、結局変人扱いされ、笑われ、拒否される。

いつしか、放射能のことを周りに言うことを避けるようになった。自分が傷つくくらいなら、言わない方が

いい。と言う訳だ。

ここまで傷ついてもなお、言い続けるためには、本気で相手のことを思っていないと出来ないことだと思

う。母はこんな環境で毎日戦っていたのだ。私と妹の為に・・・。

まだ北海道にはたくさんの雪が残っている3月。

私たちは、札幌に避難した。地元に父を残して。ここで、2千字以上書いてからようやく登場した父につ

いても触れよう。

私たち家族の避難を認め、汚染地に残って今も働き続ける父だ。

何度も言うが、被災地において放射能の怖さを認めることは、並大抵のことではない。

ましてや、「家族が避難することを認める」というのは、「自らも被爆していることを認める」ということでも

ある。

勿論、最初から避難を認めていたわけではない。最初のころは、母と揉めることもかなりあったように思

える。

しかし最後は、私たちを笑顔で送りだしてくれた。

今も、被災地に残って、仕事を続けている。私たちの生活を守るために。

父もまた、放射能の恐怖と、戦っているのだ。

以上が、私が避難してきた大体の顛末である。

何度も何度も揉めたが、今の札幌での暮らしを作ってくれた両親には、心から感謝している。

確かに多くのものを失ったが、かわりに札幌の新しい出会いもたくさんあった。

これから、北海道での思い出をたくさん作ることが出来れば、それでよいと思う。

子供は親の背中を見て育つという。本当にその通りだ。

私も、両親の様に、どんな時でも子供のためを想い、子供の命を守るために全力を尽くせる、そんな親に

なりたいと考えている。自分がどんなに傷ついても、最後まで子供の為に行動する。そんな親に・・・。

北海道に母子避難してきた小さな子供たち、「いのちのことり」風にいうと、「守られた輝く命」たちも、き

っと私と同じ気持ちのはずだ。

例え今は、わからなかったとしても、いつか成長したときに、両親に対して感謝する時が必ず来る。

私はそう信じている。

だから、自信を持って、堂々としていて欲しい。

これはチーム☆OKだけでなく、原発避難してきた全ての親たちに、私がこの文章を通して、一番伝えた

いことだ。

「守られた輝く命」としての言葉だ。

大丈夫、あなたたちが、わたしたちのためを思って、多くのものを失い、苦しみ傷つき、それでも避難を

決意し、今もなお、本当にこれでよかったのかと自問自答を繰り返していることは、ちゃんとわかってい


の背中から、日々感じ取っている。

だから、もう自分を責めないでほしい。

そして、沢山の、笑顔の思い出を、避難先で作って欲しい、一緒に笑って過ごして欲しい。

あなたたちの笑っている顔を、わたしたちも見たいから。

「ありがとう」。今はまだ、恥ずかしくて言えないけれど、大きくなったら、きっと伝えます。

私たちの命を守ってくれた、大切な人たちに・・・。

(ユウ・大学2年生・宮城県から原発避難)

 

※写真はユウさんが野球のトレーニングに利用した神社の階段です。

OK☆日記の記事はこちらです。

FB利用していない方にもぜひ、お知らせしてください。

http://teamokjapan.com/news/blog/7409/


【記事】「「私は子孫を残していいのだろうか。いや、その前に死ぬかもしれない~」

2014年03月20日 | 記事

☆3月17日ツイッター投稿

「私は子孫を残していいのだろうか。いや、その前に死ぬかもしれない

~その思いを笑顔で沈めて生活している。

私たちの子孫が、放 射 線のために苦しんで生きていくことはないだろうか。

私達はこれからどうなるのだろうか。」

                                3/17 朝 日 声 の 欄

 

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【記事】汚染車両に乗車した子供が疼痛,痙攣,歩行障害 医師が「放射線による可能性」認め、診断書

2014年03月15日 | 記事

 

汚染車両に乗車していた子供が疼痛,痙攣,歩行障害 医師が「放射線による可能性がある」と認め、診断書

 
双子が送迎などで汚染車に乗車
 
北海道に移住した双子の子供が、福島県双葉郡の川内村に住んでいた祖父母が避難の際に
 
汚染地域から持ち出した車(ミニカ)に、3月から7月にかけて送迎の際に乗車していたところ
 
双子のK君Y君が、同時に倦怠感で寝込むようになったという。

更に7月下旬に、双子の祖父母が身の回り品と原発爆発から4ヵ月半、野外に放置されていた
 
別の車(フォレスター)を取りに、川内村に一時帰宅し、北海道へ持ち帰り、
 
双子はフォレスターにも乗車するようになった。
 
すると、8月半ばにK君の右足ふくらはぎ疼痛が始まり、Y君の痙攣が始まり、9月にはY君の
 
歩行障害が始まった。

ミニカの外部線量を計測したところ最大1,92μSv/hを記録
1,92μSv/h

[2011kazu.web.fc2.com]

ミニカの外部線量を計測したところ最大1,92μSv/hを記録したという。

医師が「放射線による可能性がある」と認め、診断書

その後、北海道内の病院にて神経内科を受診したところ、双子とも、神経に関する触診・

運動系テストでは異常無しだったが、痙攣や歩行困難、筋肉の疼痛や萎縮などが、

双子にほぼ同時に起きた経緯などから、

「放射線による可能性がある」と医師が認め、診断書がでたという。


K君の診断書
[2011kazu.web.fc2.com-K君の診断書]


Y君の診断書
[2011kazu.web.fc2.com-Y君の診断書]


11月下旬にY君の痙攣は外見的にはわからない程度まで回復した。

数グラムの「土埃」からセシウム合算6,494Bq

12月に、道民放射能測定所のベクレルモニターLB200にて、

土埃(耳かき数杯程度=数グラム)を測定したところ、

1万数千ベクレルを確認。

横浜の同位体研究所にも同検体を測定依頼したところ、

数グラムの「土埃」からセシウム137=3,587Bq、セシウム134=2907Bq、

セシウム合算6,494Bq(kg換算で130万ベクレル)が検出されたという。


[放射能汚染車両による被曝時系列表-2011kazu.web.fc2.com]

http://merx.me/archives/15657 より、全文掲載


【記事】内部被ばくの“証拠”撮影 長崎大研究グループ 2009

2014年03月10日 | 記事

 

原発はいますぐ廃止せよ ‏@kokikokiya 2月28日  さんより

 

 部被ばくの“証拠”撮影 長崎大研究グループ 2009/08/07 【共同通信】

 

 アルファ線が、被爆者の肺や腎臓、骨などの細胞核付近から放出され、黒い線を描いている

様子の撮影に成功した

 

 

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内部被ばくの“証拠”撮影 長崎大研究グループ

2014年03月09日 | 記事

内部被ばくの“証拠”撮影 長崎大研究グループ

 被爆者の腎臓の細胞核付近から、2本の黒い線(中央)を描いて放射線が放出されている様子を撮影した顕微鏡写真(長崎大提供)

 

 長崎原爆で死亡した被爆者の体内に取り込まれた放射性降下物が、被爆から60年以上たっても放射線を放出している様子を、長崎大の七条和子助教らの研究グループが初めて撮影した。放射線を体の外側に浴びる外部被ばくと別に、粉じんなど「死の灰」による内部被ばくを裏付ける“証拠”という。

 内部被ばくの実態は研究が進んでおらず、七条助教は「病理学の見地から内部被ばくの事実を証明することができた。今後、健康への影響を解明するきっかけになるかもしれない」と話している。

 七条助教らは、爆心地から0・5~1キロの距離で被爆、急性症状で1945年末までに亡くなった20代~70代の被爆者7人の解剖標本を約3年間にわたり研究。

 放射性物質が分解されるときに出るアルファ線が、被爆者の肺や腎臓、骨などの細胞核付近から放出され、黒い線を描いている様子の撮影に成功した。アルファ線の跡の長さなどから、長崎原爆に使われたプルトニウム特有のアルファ線とほぼ確認された。

 鎌田七男広島大名誉教授(放射線生物学)は「外部被ばくであればプルトニウムは人体を通り抜けるので、細胞の中に取り込んでいることが内部被ばくの何よりの証拠だ。広島、長崎で軽んじられてきた内部被ばくの影響を目に見える形でとらえた意味のある研究だ」としている。

2009/08/07 07:03   【共同通信】http://www.47news.jp/CN/200908/CN2009080701000061.html

 

 

 

    


【記事】<無防備な子どもたちが放射能の危険にさらされている。恐ろしいことだ>チョムスキー氏

2014年03月08日 | 記事
無防備な子どもたちが、放射線の危険にさらされている。恐ろしいことだ」
 
4日に東京都内のホテルで福島の親子らと面会したチョムスキー氏は嘆いた 。

東京新聞こちら「特報部」2014/03/08 (林啓太)から転載
リンク先→ http://blog.livedoor.jp/ryoma307/archives/7575490.html

「子どもらがどんなに不安でも、政府というのは心配するなとウソで
 
言い含めようとするものなのです」

写真は紙面見開きの右半分
 
写真: 「無防備な子どもたちが、放射線の危険にさらされている。恐ろしいことだ」pic.twitter.com/h7KUviy8Aq    4日に東京都内のホテルで福島の親子らと面会したチョムスキー氏は嘆いた 。    東京新聞こちら「特報部」2014/03/08 (林啓太)から転載  リンク先→ http://blog.livedoor.jp/ryoma307/archives/7575490.html     「子どもらがどんなに不安でも、政府というのは心配するなとウソで言い含めようとするものなのです」    写真は紙面見開きの右半分
 
FBより

【記事】<放射線測定徹底で安心を>鎌田実医師に聞く

2014年03月08日 | 記事

【記事】<放射線測定徹底で安心を>鎌田実医師に聞く
        
            
                    福島民報 平成26年3月8日(土)
 
ウクライナの町に自分の子供と住むことを選択した医師に昨年末、聞いた話。
 
事故から27年たって、空間線量が 0.1μSv/hになった今でも、
 
三つのことに注意して暮らしている。
 
①被曝線量や食品の放射線量を徹底的に測定して、「放射線の可視化」をすること
 
こまめに健康診断すること
 
③放射線の影響がない地域に、一定期間、子供を保養に出すこと
 
 
写真: 子どもを被ばくから守る、3つのこと。    福島民報 平成26年3月8日(土)

FBより

 


【記事】<首都圏に居住できない二つの理由>2011/12/13

2014年03月07日 | 記事

“首都圏に居住できない二つの理由

(Cs-137はロシアの安全基準に抵触・プルトニウムは放射線管理エリアに相当)

ポリーテイアー”   2011/12/13

 

 

 

ヤブロコフらによると、安全域だと考える土壌汚染レベルは、セシウム137の汚染レベルが

0.1キュリー/km2 つまり、約3700Bq/m2までである(注1)

表10.2,10.10,10.18で「安全な」対照群として0.1キュリー未満の汚染エリアが設定されている。

また、来日した医師スモルニコワ・バレンチナ先生は次のように述べている。

「子供は20Bq/kgの土壌汚染だとまだ安全。子供は50Bq/kgから危険がはじまる。

大人は200Bq/kgから危険です(注2)。」

要するに、0.1キュリーまでが安全域だというのは、チェルノブイリを経験したロシア人による

共通見解であるが、このことはしっかり認識されていない。

ジャーナリストの木下さんも同様の結論に達している(注3)。 ⇇(下部に掲載・必読 筆者注)

かくして、避難基準が明確になる。

つまり、『セシウム137による土壌汚染レベルが、0歳-6歳なら20ベクレル/kgまで、

小学生・中学生なら50ベクレル/kgまで。大人なら100ベクレル/kgまで、

が安全域だと結論できる。』

この基準を超えるようなところならば、移住した方が安全だと言える。

しかし、首都圏(関東)土壌調査結果(注4)を見ると、50ベクレル未満のエリアはほとんど存在しない。

他方、西日本の土壌調査結果(同注4)を見ると、20ベクレル/kg未満のところが全てだ。

つまり、西日本の土壌は、乳幼児が地べたをハイハイしても安全である。

 次に、プルトニウムの土壌汚染レベルが、放射線管理エリアに相当している点があげられる

―(注5)と(注6)。

米エネルギー省国家核安全保障局(NNSA)が、神奈川県横須賀市泊町のベースと呼ばれる

海軍基地の土壌、および御殿場の土壌において測定した結果、そのようなレベルのプルトニウムが

検出された。

もちろん福島県全域はプルトニウムで汚染されている。

首都圏もそうだったわけで、α線核種が広範に飛散している

(チェルノブイリではこれほどまでに広範囲にα線核種が散らばらなかった

[ヤブロコフの『チェルノブイリ』に記載された超ウラン元素の汚染地図と比較すれば一目瞭然]。

それが福島の事故とチェルノブイリとの違いだ)。

以上、土壌汚染のレベルが安全ではない二つの理由で、避難・移住するのが望ましい。

 土壌汚染のレベルが危険なところで作られた農産物は同様に危険であり、

西日本の安全な土壌で作られた地元の野菜を食べれば、内部被爆は避けられる。

(日本中どこでも汚染されており、西日本に移住しても同じだ―被爆は避けられない―という言説は、

印象操作のためのもの。東日本から西日本への移住をしにくくするためのイデオロギー)
 

また、ガイガーカウンターで空間線量を測定して、それで安全かどうかを判断しているのは、

端的に言って情報操作のイデオロギーにひっかかっている。

安全かどうかは土壌汚染のレベルが決める。空間線量で判断できるかのような錯覚を与えているのは、

情報操作であることに気がつかねばならない。

 はっきりいって、このようなことを指摘しても、大半の人は引っ越すことはできないだろうし、

土壌汚染による健康被害の危険性は無視して暮らしてゆくだろう。

しかし、衝撃波が来ると分かっているのといないのとでは対処の仕方が違うはずだ。

来ると分かっていれば、子供は逃がし、大人もときどき汚染されていない空気を吸うために転地療法なり、

疎開先での夏季休暇を長めにとったり、短期旅行に行ったりするはずだ。

 

(注1)ヤブロコフ『チェルノブイリ』から
(p.5) Nearly 400 million people resided in territories that were contaminated with radioactivity at a level higher than 4 kBq/m2 (0.11 Ci/km2) from April to July 1986.
(p.27)in 1986 up to 600 million men, women, and children lived in territories contaminated by Chernobylradionuclides at dangerous levels of more than 0.1 Ci/km2.
(p.261)Ukraine (Cs-137 levels of 5–15 Ci/km2) were significantly different from the same species bred in the less contaminated (
(p.259) Table10.2,p.263 Table10.10 Table10.18

(注2)http://www.asyura2.com/11/genpatu19/msg/164.html

 


 

(注3)いったい、どのくらいの土壌汚染から凌げなくなると考えるのか

                       木下黄太氏ブログ 2011/11/24

http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/3e2e18a95f357c459e2cc55833ae4010

小出先生が「1万Bq/㎡はびっくりして、私だったらその場には入らない」

という発言をしていますが、この数値はBq/kgに直すと、150Bq/kg位です。

また、チェルノブイリに詳しい専門家は「3000Bq/㎡から、

健康被害がおきる可能性は否定できない」とも言います。

これは、50Bq/kgです。

チェルノブイリ後のフランスの平均的な汚染は30Bq/kg、西ドイツは90Bq/kg、

イタリアは100Bq/kg。

西ドイツやイタリアでは健康被害はおきていて、フランスは平均的な場所では

ほぼおきていない。

こう考えると、100Bq/kg程度から注意が必要になると僕は思いますし、

150Bq/kgで、立ち入りたくないと言う感覚も理解できます。

僕は考え方としては、自宅や周辺環境の平均的な数値が100Bq/kg位までなら、

凌ぎたいと思う方が凌いで、すごすことはできるのだろうと思っていました

(もちろんこの数値以下で、健康上の不安を覚える方が避難することは、

当然の考えと思います)。

 


(注4)

首都圏(関東)土壌調査結果
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/96efbe3938f5412586fcabb1334ad92b

西日本土壌調査結果(安全)
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/8e9aeb829ea2882e26bec3fc6ba84adf

北海道・九州・沖縄土壌調査結果(総じて安全)
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/f190d70441d29febddca274cdde1a3c4

(但し、北海道では数十Bq/kgの汚染場所が山間部などに存在する可能性はある。北海道よりは西日本への移住の方が安全;風向きから考えて)。

 


 

(注5)
*ヤブロコフ『チェルノブイリ』p.314
移住義務ゾーンの定義:
The zone of involuntary resettlement is an area outside the exclusion zone where the level of ground contamination from Cs-137 is above 15 Ci/km2, that from Sr-90 is above 3 Ci/km2, or that from Pu-239 and Pu-240 is above 0.1 Ci/km2.
*ウクライナ基準:
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/saigai/Nas95-J.html
移住権利ゾーン;プルトニウム0.37~3.7(0.01Ci/km2-0.1Ci/km2)
放射能管理強化ゾーン;プルトニウム0.185~0.37(0.005Ci/km2-0.01Ci/km2)
*ECRR基準:
1.Zone of obligatory re-settlement: Caesium-137 – 40 Ci/km2, Strontium-90 – 3 Ci/km2,Plutonium – 0.1 Ci/km2,
2.Zone of re-settlement: Caesium-137 – 15 to 40 Ci/km2, Strontium-90 – 2 to 3 Ci/km2,Plutonium – 0.05-0.1 Ci/km2, when the annual dose can exceed 5 mSv/a.
But now over 28 thousand persons live in this zone {sic}, including 7,000 children. In the Ukraine all people were re-settled from the zone of 15 Ci/km2.
3.Zone with the right for re-settlement: Caesium-137 5 to 15 Ci/km2, Strontium-90 – 0.5 to 2 Ci/km2, Plutonium – 0.01 to 0.05 Ci/km2, when the permissible radiation limit for the population exceed 1 mSv/a.
4.Zone of living with periodical monitoring: Caesium-137 1 to 5 Ci/km2, when the permissible radiation limit for the population must not exceed 1 mSv/a.

(注6)http://www.asyura2.com/11/genpatu19/msg/207.html
 

                                        http://buff.ly/1f1ao3l


【記事】<放射能対策 生死を分ける「マスク」着用>ガンダーセン博士 2012-06-05

2014年03月04日 | 記事

放射能対策で、生死を分ける「マスク」着用(ガンダーセン博士)

 

【放射能対策、生死を分ける「マスク」着用】


原発の専門家であるアーニー・ガンダーセン博士によれば、上記の写真は、肺に取り込まれた

ホットパーティクル(放射性物質を含んだ埃)が周囲の細胞を破壊している様子だといいます。

詳しくはyoutubeの動画をご覧ください。

 

<iframe src="//www.youtube.com/embed/Bm2bZcWVfH8?feature=player_detailpage" frameborder="0" width="640" height="360"></iframe>

http://www.youtube.com/watch?v=Bm2bZcWVfH8&feature=BFa&list=PLDD955176CD2D96FE

 

*動画開始後7分半くらいのところから、ホットパーティクルによる内部被曝の危険の話に入りま

す。ホットパーティクルは、福島第一原発事故後、アメリカでも観測されたそうです。

この調査結果を受けて、ガンダーセン博士は、空気の放射能汚染による健康被害の危険性

ついて、繰り返し注意を喚起しています。

著作『福島第一原発 真相と展望』の中では、

博士がもし日本に住んでいたら、住んでいる場所がどこであれ、掃除機にはHEPAフィル

ターを使い、エアコンや車のフィルターをこまめに取り換えるだろうと述べています(p.115)

HEPAフィルターとは、原子力発電所などで採用されている放射性物質を取り除くための特殊な

空気清浄フィルターのこと。


【チェルノブイリでは、ゴメリ地域の子供の6割以上が呼吸器疾患】

琉球大学の矢ケ崎克馬教授が編集に携わっている

『チェルノブイリ原発事故がもたらしたこれだけの人体被害』

(合同出版)という本でも、呼吸器疾患の深刻さが読み取れます。

チェルノブイリ事故後、1997年までに医師の診断を受けた12万人ほどのゴメリ地区の子供

うち、実に8万人呼吸器疾患になったという統計結果が掲載されています。

これは、診断人数の6割を軽く超える数字です。(p.86)


【放射能汚染地域でマスクなしで過ごすのは自殺行為?】

こうした情報があるので、私は群馬県在住ですが、外出時は夏でもマスクをしています。

一方、周囲を見ても、マスコミの報道に触れても、

放射能汚染地域でマスクなしで過ごしている人の多さに驚きます。

福島第一原発事故後、福島入りした枝野幸男議員は、フル装備の防護服姿でした。

放射能の怖さを知っている人は、当然このような対策をします。

なので、ホットスポットの場合は、最低でもN95防塵マスクがいいと思います。

しかし、このマスクは息が苦しく、しかも大きめなので目立つのが問題です。

だからといって、普通の花粉症やインフルエンザのマスクですと、

マスクそのものは高性能でも、横の隙間からどんどん外気が入り込んでしまいます

最近、ファミリーマートで、あまり目立たない高性能の防塵マスクを見つけました。

私の場合は、しばらくこれでいこうかと考えています。

確かに、内部被ばくの健康被害については、専門家同士で論争中であり、

断定的なことは言えません。

しかし、健康被害にあってからでは遅いと思います。

なので、夏でもマスクをする仲間が増えてほしいなぁと思う今日このごろなのです。


http://d.hatena.ne.jp/rakkochan/touch/20120605/p1 


【記事】<土壌汚染600平方キロ>チェルノブイリでは強制移住

2014年03月03日 | 記事

 
3 Years from 3.11:【16】    その地域の危険度を何で測るのか?    チェルノブイリの知見では、もっとも信頼に足るのは、その場所の単位面積当たりの土壌のベクレル数。放射能物質が具体的にそこに降った実数を表すから。  線量のシーベルトは、例えば、地表からの距離でいくらでもごまかせる。また、モニタリングポストの周辺を除染すれば、線量計の下に鉄板を敷き込めば、あるいは線量計の感度を落とせば(実は、文科省はゼンブやっている)、見かけ上の線量は相当レベル下げられる。    結局チェルノブイリにおいて、避難の法定基準となったのも、土壌のベクレル/m2(平方m当たりのベクレル数)値であり、基本、基準は、55万5千Bq/m2である。(いわゆるチェルノブイリ法)    バイブルとも言われ、世界で標準的レファレンスとして認められている「チェルノブイリ被害実態」の編著者のアレクセイ・ヤブロコフ氏によれば、3万7千ベクレル/m2以上(これで、基本1mSvに対応)のところであれば、何らかの健康障害が出ている、と実情を述べている。    写真;55万5千ベクレル以上の汚染を示す、汚染地図。  オレンジより濃い場所148万Bq/m2は、強制避難地域相当。  148万ベクレルでおおよそ5mSv/year相当でチェルノブイリ強制避難基準。当然これでは不十分なので、チェルノブイリは悲惨な結果に終わったことが知られている。なのに日本は、どういうわけか、20mSv/yearまではOKとしている。(単純にIAEA-ICRPの緊急時基準に従っているだけ。)
 
 
 
その地域の危険度を何で測るのか?

チェルノブイリの知見では、もっとも信頼に足るのは、その場所の単位面積当たりの土壌のベクレル数。
 
放射能物質が具体的にそこに降った実数を表すから。
線量のシーベルトは、例えば、地表からの距離でいくらでもごまかせる。
 
また、モニタリングポストの周辺を除染すれば、線量計の下に鉄板を敷き込めば、
 
あるいは線量計の感度を落とせば(実は、文科省はゼンブやっている)、
 
見かけ上の線量は相当レベル下げられる。

結局チェルノブイリにおいて、避難の法定基準となったのも、土壌のベクレル/m2
 
(平方m当たりのベクレル数)値であり、基本、基準は、55万5千Bq/m2である。(いわゆるチェルノブイリ法)

バイブルとも言われ、世界で標準的レファレンスとして認められている
 
「チェルノブイリ被害実態」の編著者のアレクセイ・ヤブロコフ氏によれば、
 
「3万7千ベクレル/m2以上(これで、基本1mSvに対応)のところであれば、
 
何らかの健康障害が出ている」と実情を述べている。

写真;55万5千ベクレル以上の汚染を示す、汚染地図。

オレンジより濃い場所148万Bq/m2は、強制避難地域相当。
148万ベクレルでおおよそ5mSv/year相当でチェルノブイリ強制避難基準。
 
当然これでは不十分なので、チェルノブイリは悲惨な結果に終わったことが
 
知られている。
 
なのに日本は、どういうわけか、20mSv/yearまではOKとしている。
 
(単純にIAEA-ICRPの緊急時基準に従っているだけ。)
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土壌汚染、一部チェルノブイリ並み…専門家推計
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110525-OYT1T00075.htm?from=top
2011年5月25日 読売新聞  ↩??
 
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