心の自由

被曝を最小限にして命を繋ごう!

☆星野富弘☆白い息よ おまえに逢える冬の朝は ひと息ごとに 蒸気機関車のような力が湧いてくる

2014年01月10日 | 日記

星野富弘さんの詩 (故郷の、同世代の詩人)に改めて勇気を貰う!

                  この詩が飾られた住居の整理記念日に

 

白い息  (雪割草)

     白い息よ

     おまえに逢える冬の朝は

     ひと息ごとに

     蒸気機関車の様な力が湧いてくる

     さあ 古い悩みなんか吐き出し

     新しい困難を思い切り燃やし

     今日という

     原野を走ろう

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E9%87%8E%E5%AF%8C%E5%BC%98


<親と子>カリール・ジブラン 『予言者』より ☆移住の決意表明 

2013年10月06日 | 日記

    『親と子』

あなたの子はあなたの子ではありません。

自らを保つこと、それが生命の願望。

そこから生まれた息子や娘、それがあなたの子です。

あなたを通ってやってきますが、あなたからではなく、

あなたと一緒にいますが、それでいて、あなたのものではありません。

子に愛を注ぐがよい。でも考えは別です。

子には子の考えがあるからです。

あなたの家に子の身体を住まわせるがよい。でもその魂は別です。

子の魂は明日の家に住んでいて、あなたは夢の中にでも、

そこには立ち入れないのです。

子のようになろうと努めるがよい。

でも、子をあなたのようにしようとしてはいけません。

なぜなら、命は後へは戻らず、昨日を一緒に留まってもいません。

あなたは弓です。その弓から、子は生きた矢となって放たれて行きます。

射手は無窮の道程にある的を見ながら、力強くあなたを引きしぼるのです。

かれの矢が遠くに飛んでいくために。

あの射手にひきしぼられるとは、何と有難いことではありませんか。

なぜなら、射手が、飛んで行く矢を愛しているなら、

留まっている弓をも愛しているのですから。

                      カリール・ジブラン 『予言者』より


私は子供二人を育ててきた。

十数年前、この言葉に出会って、自分を叱咤激励して生きてきた。

この言葉は強い味方であった。

3・11から、息子達に働きかけるも、失敗してメールの返事さえ来なくなった。

被曝の危険を正確なデータで伝え、避難しかないと勧めても聞いてくれない。

それでも諦めないで、祈りをもって立ち向かうことにする。

二度と逢えなくてもかまわない。

この言葉に支えられて、小雀を育てた古巣を片付け、困難な移住の道を踏み出す。

 


<今年の反省>

2012年12月27日 | 日記
大切な家族の誰一人にも、関東の放射能汚染の危険な現実を伝える言葉を失い、自らの無力さに絶望した!
大切な命を福島から逃がすために、ほとんど何も出来なかった!自分も移住出来なかった!
絶望しながら、やれる事を模索しながら突き進む!
せめて、私心なく闘ってきた自分を褒めてやろう!

提案<日比谷公園ブラブラ散策!>子供緊急避難させろ・瓦礫拡散阻止・反原発・

2012年07月06日 | 日記

<注意事項>

①歩きながら拡声器を使ったりプラカードや幟旗を出すとデモ扱いとなる。

警察からなにか言われるかもしれない。

歩きながらの場合、拡声器を使わなければ大抵大丈夫です。

②止まっている場合、通路の確保さえしていれば大抵大丈夫である。

<プラカード> 私的作成法

①ファイルの大きさの紙を用意、使い終わったカレンダーの紙等、多少厚紙に鉛筆で下書きする。

②油性ペンで好きな標語を書く。文字が細い時は、線引き使いながら、塗り絵する。

③はみ出したら修正液使用。ほとんど綺麗に完成。

④首やバッグにぶら下げる場合

 ファイルにいれて、20センチ間隔の穴を、上の2センチ位の所に開ける。

 適当な布紐・タコ糸を通し、長さ調節。

ネットプリント  1時間後 アップします。


提案7・6<日比谷公園ブラブラ散策!>福島の子供緊急避難させろ・瓦礫拡散阻止・反原発・

2012年07月06日 | 日記

<注意事項>  必ずマスクをして、ご参加ください。

①歩きながら拡声器を使ったりプラカードや幟旗を出すとデモ扱いとなる。

警察からなにか言われるかもしれない。

歩きながらの場合、拡声器を使わなければ大抵大丈夫です。

②止まっている場合、通路の確保さえしていれば大抵大丈夫である。

<プラカード> 私的作成法

①ファイルの大きさの紙を用意、使い終わったカレンダーの紙等、多少厚紙に鉛筆で下書きする。

②油性ペンで好きな標語を書く。文字が細い時は、線引き使いながら、塗り絵する。

③はみ出したら修正液使用。ほとんど綺麗に完成。

④首やバッグにぶら下げる場合

 ファイルにいれて、20センチ間隔の穴を、上の2センチ位の所に開ける。

 適当な布紐・タコ糸を通し、長さ調節。

<ネットプリント >

カラー100円 白黒20円(最大) 同じもの複数枚はコピーで安価に 80円 10円

 ナンバーと標語メモしてセブンイレブンへ。出来たらファイルを100円ショップで購入するとよい。

 http://xnonukesx-placard.tumblr.com/


北九州

2012年05月25日 | 日記
<北九州市の震災瓦礫受け入れ・試験焼却に反対> 抗議します。 
 
①<北九州市や九州の現状 >     
  福島原発事故で放射能汚染を免れた、安心して暮らせる所。
  汚染されてない、安全食材の供給産地として、
   九州ブランドは北海道・四国と並び、都会で安心購入されてる。
 ②<汚染予想地域>
   瓦礫焼却したら、確実に汚染が進行する。
   運び込まれた放射性物質は空中散布され、焼却灰は置き場から、
   川・海へ、 近隣市町村も巻き込んで汚染が広がる。
   風向きによっては山口県も被害を受ける。
 ③<静岡県島田市、焼却後データとバグフィルターについて>
   瓦礫焼却によって島田市焼却場近辺、焼却前土壌:10数Bq/Kg:
     焼却後、焼却場近隣小学校2校土壌:730~1970Bq/Kgとなった。
   明らかに焼却によって土壌汚染が進行した。(5/22頃発表情報)
   焼却時、空中の放射性物質は、バグフィルターで取りきれず。
   データあり、35%位空中散布される。
   バグフィルターを作る会社全てが、<放射性物質100%捕獲を保障せず>    
 ④<放射線取扱者不在は法律違反である。>
 ⑤<瓦礫焼却後、予測される事態>
  ★市が確実に放射能汚染される。低線量被曝、★子供達に健康被害が出る。
   近隣の市町村、川や海に汚染が広がる。
  ★九州ブランドの農産物・魚介類が、被害を受ける。
  ★実害と風評被害が重なって、★九州ブランドが大打撃を受ける。
 ⑥自分の状況
  九州産野菜・果物・豚肉をスーパーで発見、購入に喜びを感じていた。
  市が受け入れたら、自分は★九州ブランドを信頼せず。購入拒否する。
            

  ☆分子生物学☆ から学んだこと

2012年05月20日 | 日記

学生の頃<分子生物学>を学びたくてたまらなかっ た。当時新しい分野で、薬学に不要な単位(ほとんど医学部)だった。 人智を超えた、神の領域を覗いているようだった。二重螺旋(らせん)構造の不思議なしくみを学んだ。この世にたった一つの、取替えの効かない、かけがえのない個々の命に畏敬の念を抱いた。自分も他者も、同じように大切なことに気がつかされた。学問する喜びを知った。

☆一番大切な命=それぞれの人の、この世でたった一個しかないDNA二重螺旋構造を、狂った利権集団の餌食にさせない。 命の限り闘うことを、ここに宣言する。☆

☆日本人のDNA守り隊 隊長 (兼隊員) 

☆拡散仕事人     「反原発! 反瓦礫拡散!」 のために喜んで情報拡散。

              「情報相手が喜ばない場合」は、その人の拡散中止!

☆一人バックパックデモ  9×9cm 手書き(二年目に突入)  画像参照


2<福島の子供達を疎開・避難させよ>5/16毎水曜19~21時:文科省前抗議

2012年05月15日 | 日記
インターネットで野菜を注文

校庭表土が5センチ削り取られ、地中深くに埋められた。数ヶ月前から校庭活動が公式に許可。
「そんなの全然納得できない」と言うのは、福島で学校経営するフランス系カナダ人Rさん。
「僕は表土を15㎝削り取ったよ。それで他県から運んで来た土で表土を覆った。だけど子供たちにはもう外では遊ばせないようにしてるんだ。」                                彼の奥さんは取材時、妊娠9ヶ月。彼女は3人目となる子供を福島で産むことにした。
「みんな、近所の人が明日もここに居るかしら、と考えながら暮らしています。それは正直かなり辛いです。避難をするかどうかというのはあくまでも私的な決断ですが、いつだって他の人たちから何かしら言われるものなんです。」

6歳児の母Kさんは「国や県の言うことなんか信用していません。福島を離れることによるストレスと、残ることのストレスを天秤にかけて、ひとまず残ることにしたんです。親戚は皆福島だし、お店のローンの返済も終わっていないし・・・」                                    彼女は旦那さんと、子供を産んだばかりの妹さんと両親と共に、ここで生きていくことにした。知り合いの母親たちと測定器を手にしつつ、ホットスポットをなるべく避けて動く。
「野菜は全部インターネットで注文、福島から遠くで生産されていて、何ベクレル以下か表示されているものを選ぶようにしています。今では割と簡単にそういったものを見つけることができるんです。でも食費は2倍になりました」子供服の売り上げは半分に下がってしまったという。

市内のスーパーで「地産池消」の掛け声の下、福島県産の果物や野菜が他県のものに比べて半分か3分の1の値段で販売されている。野菜の並ぶ棚には「安心、安全」と表示。 それを信じてもいいのなら--- 
Kさんはそんな福島での精神の疲労をこう語る。                                                       「畑が汚染されているなんてみんなわかっています。でも一度ここで採れた野菜を食べてみたってすぐ何か起こるわけじゃない。それで、もう生きるのを自分で大変にするのはやめにしようと思って何かをやめることにするんです。忘れることにさえしてみたら、日々の暮らしは本当にシンプルになるからです。」
現在の彼女たちにとっての最大の脅威、それは元に戻ったかに見える福島の日常の中で、放射能の存在を忘れていくことなのだ。

「一番難しいのは思春期の子供たちです」と、郡山に住む中高生の母親たち。
「中学生たちはマスクをつけるのすら嫌がるし、牛乳を飲むなと言っても言うことを聞いてくれません。ある日娘が外出していて、どこに行ってたの?と聞いてみたら
「福島牛のバイキングに行って来た」と嬉しそうに言うんです!家ではこんなに気を付けてるのに。                                                           子供が「俺は原発推進派だからな」なんて言うこともあるんです。」

チェルノブイリでは14歳から19歳までという、言うことを聞かない世代が、ガンの発生数が一番高かったという。
<郡山に住む小中学生が集団で安全な場所に疎開できるように>と郡山市に対して裁判を起こしている。けれども裁判は棄却された。彼女たちは裁判を続けることにしたものの、あくまでも匿名であろうとする。                                                    「放射能のことについて何か言うのは、まわりから嫌な目で見られます。今ではもう、みんな普通の生活を送っていたいんです。」

福島の中学で、部活動は廊下で行われている。
学校側の見解は「雪が降ってあまりに寒いから。福島の冬というのはこんなもの」だそうだ。
この取材をしていた1月初め、お正月の地震の後でセシウム降下量が急上昇したのは誰もが知っていることだ。
13歳の息子の母親Sさんは、そんな学校の先生たちの態度に耐えきれなくなったという。
彼らは生徒に対して放射能への注意を促すことをやめた。

嫌気がさした彼女は子供を連れて関西に引っ越しをすることにした。
私たちが彼女の息子に、避難することについてどう思うかと尋ねてみた時、彼女の運転する車内は長いこと重い沈黙に支配されていた。
運転席からこちらを振り返った彼女は目に涙を浮かべながらこう聞いた。

「あなただったら? あなたが私の立場だったら? あなただったらどうします?」                                                                                                     (終わり)   
 
☆☆福島のお母さん達から突きつけられた課題の答えは?☆☆
それぞれのおかれた場で、真摯に受け止めていくしかない。
私はプラカードを作って文部科学省前で掲げる。そこで、何が出来るか考える。

1<福島の子供達を疎開・避難させよ>5/16(毎水曜)19~21時文科省前抗議

2012年05月15日 | 日記

文/Sophie Pasquet ソフィー・パスケ(フォトジャーナリスト)   (以下転載・抜粋)

no.1                                                          新幹線で福島駅に着いてみると、普段より呼吸を控えようとする自分に気が付いた。
チェルノブイリの事故以来、最大級の原発事故で有害物質がまき散らされた空気の中で、そんなことをしようとするのは馬鹿げた試みだった。
2児の母のAさんは笑いながらこう言った。「私たちも始めはそう思ってました。呼吸してもいの?って。だけどすぐ呼吸しないなんて無理だってことに気が付くんです。爆発の後から日常のほんの些細なことですら、いちいち疑問に思うようになりました。                          この水は飲んでもいいの?食べ物は?外で干せなくなった洗濯物は?                 ちょっと窓を開ける時ですら、風向きを確認してから開けるんです。」

原発から60キロの福島市は他の都市と大して変わらない雰囲気。津波や地震による痕跡はほとんど残ってない。マスクをしている人を見かけることすらまれ。
この街で事故を想起させるのは、母親のカバンに入ったガイガーカウンター、子供の姿の見えない公園、窓際から離して置かれた子供用のマットレス。
福島市には放射能通りと呼ばれる道があり、高線量を示すらしい。
親達の頭を離れることがない疑問。                                      「今日の福島は、子供達にどれほどの危険性があるのだろう?」

1月福島市民主催の子ども健康相談会が開催された。
毎月日本中から10名位の小児科医や栄養士、心理士たちがボランティアでやって来て、福島の住民が無料で身体の調子や悩みについて相談する。                            やってくる親は、中学生の子供の慢性的疲労や、小さい子の気になる症状、病院での検査結果などを抱えてやってくるという。
チェルノブイリの架け橋のメンバーで、小児科医のHさん「福島の子供達から、大量の鼻血や下痢が報告されています。チェルノブイリ以来、これらは外部から大量の放射線を浴びた結果の初期症状だとわかっています。子供の免疫力は大人の8分の1の強さしかないのです。」

N医師によると、爆発後の急激な外部被曝に加え、呼吸や食べ物で引き起こされる内部被爆が、
一番危険だという。今日の日本のコンセンサスとは違った言葉で話を締めくくる。
「福島産の果物や野菜、水や牛乳、米はなるべく避けること。体内の放射性物質を除去する効果があるペクチンをなるべく摂取すること。子供達の様子を定期的にチェックすること。        可能な限り頻繁に、遠く離れた所へ子供を連れて行って保養させること。               そしてもし可能なら--- 避難させること。」

避難・・・愛着のある土地や人から離れて引っ越しをする・・・。 
福島県では人口200万人のうち、すでに6万2千人が県外へ避難したという。
爆発直後、避難区域に指定されたのは20キロ圏内だけ。数団体が「福島市まで避難区域にすべき」だと主張。福島市では避難区域の立ち入り禁止地区より高線量を示すところがあるから・・・                                                     「少なくとも家庭を持つ人や妊婦さんで避難したい人たちは補償をもらって避難できるようにするべきと思います。20キロの避難区域なんて、当時のチェルノブイリ以下です」と言うのは福島市に市民放射能測定所を設立したIさん。

お金の問題は避難を妨げる主要な要因。けれど問題はそれだけじゃない。
福島に残る方がいいと言う人たちも沢山いるのが現状。                          離れようとすると家族がバラバラになることもある。                                                       30代でエレガントな女性のNさんは台所で娘さん達の料理を作りながら取材に答えてくれた。                           「5月に内閣参与の方が涙ながらに訴えているのをテレビで見た時にすごく衝撃を受けました。 彼は政府が子供達の放射線許容量を引き上げようとしているのが許せなかったんです。     それを訴えて彼は辞任。その頃長女のリンパ腺は腫れ、大量の鼻血を何度も出しました。    鼻血を止めるのにティッシュを一箱使うことすらあったんです。私のまわりには今までに見たこともないような症状を出した子供達が沢山いました。」
彼女は料理を教える仕事を中断し、住んでいた郡山市から110キロ離れた山形県の借り上げ  住宅に移ることにした。3部屋あるアパートの家賃は山形県が払ってくれる。
以降彼女は家族の形を保とうとして努力している。旦那さんは週末に山形にやってくる。「以前に比べて毎月10万円近い出費。今のところ節約してやっていますが、この先は?           主人と離れて暮らすのは本当に辛いです。」

事故から1年が過ぎようとしても、この出来事は人間関係を引き裂いている。
カップル間、家族間、世代間、市民間、避難区域に指定された人たちと自主避難者との間でも、放射能の危険性について話を始めた途端、ギクシャクしたものに変わってしまう。           強制避難区域を広げることを拒否した政府は「除染」効果を強調することを選び、「福島での生活は危険でない」と言っている。                                             福島市役所の説明「今後5年間で森林も道路も全ての家も放射線の除染が完了する予定」
                                                                                            
  フランス語翻訳、取材同行通訳 飯田美樹                      (続く)                       


返信

2012年05月01日 | 日記

お手紙ありがとうございます。自己紹介に書いたとおりに自分の活動をやっています。

話題にあった出来事については、説明困難です。出来事は見る位置によって違って見えるからです。 

自分の体験は得がたい貴重な体験でした。それのおかげで多くの判断力を養う事が出来ました。

人とのやり取りを通して、自らを省みたり、自分の問題を他者にぶつけたりします。何が自分の問題で、何が相手の問題かを明確にすることが重要と考えています

日本は更に混迷を深め、国中がおかしな方向に向かっています。それのどこかに風穴を開けていくために、TWで多くの個人と連帯を深めています 

今度の闘いは命がけです。逃げる事は出来なくなりました。ご心配戴いてとても嬉しく思いましたが、自らの人生を賭けて倒れるその日までやっていきたいです。

自分が頑張らなくとも、誰かに支えられているのを感じています。

akagikonuma 勇虎 は生きていくのが楽になりました。

 

<関西>訪問した観光地の空間放射線量測定結果

2012年04月20日 | 日記

 1週間大阪滞在。訪問先(大阪京都兵庫)の空間放射線量測定。

                  単位μSv RADEX RD1503(測定値×0.5で調整)

                                 (東京都健康安全センター草むら 測定同一地点で約2倍を確認)

13日晴れ 7:50東京中野0.07  8:40東京駅こだまホーム0.05  

        13:00新大阪駅こだまホーム0.04

14日曇り 11:00動物園前0.08   11:07通天閣下0.07   12:43難波駅近歩道0.08 

              12:55難波駅地下鉄車内0.04   13:06尼崎駅車内0.05

              13:30 甲子園駅出てすぐコンビ二近歩道0.10   13:44甲子園筋歩道0.07

        14:14阪神甲子園球場ライト0.05 

15日曇り 11:30曽根崎警察署 前0.07   11:42大阪駅JRバスターミナル(屋根あり)0.07

16日曇り 9:02京都駅近くバス車内0.06   9:57仁和寺 駐車場0.05

             10:37金閣学区駐車場0.06   11:20原谷苑内0.07 

       13:50仁和寺12番札所山中0.07

17日晴れ 9:30地下鉄東梅田駅ホーム0.05   9:47天満橋駅出てすぐ歩道0.06

             10:50大阪造幣局 中①0.09   10:55造幣局 中②0.08  

       11:20造幣局出てすぐの歩道0.07

             16:50阪神三宮車中0.05  17:06市営地下鉄三宮ホーム0.05

             17:35運動公園駅近くの車中0.05    17:50ほっともっとフィールド神戸外周0.08

             18:04球場内ライト0.06

20日曇り 16:35東京中野0.07    ( 関西は東京低め地帯とあまり変らない?)


放射線実験恐怖体験記

2012年04月14日 | 日記
放射線実験恐怖体験記   2011年03月30日の日記(再掲載)

大学四年の時、放射線を使った実験を、 初めて入る、
通常の研究室と隔離された、黄色に黒のマークがついた、
<放射線(専用)実験室>でやることになった。

ストマイに放射線でマーカー(目印?)をつけて、 <ストレプトマイシン(抗生物質)について書かれた、米国の論文>を検証することになった。
<どういう条件で、ストマイの何処の箇所で吸着するか否か> を調べた。

卒論で私を指導する(私淑する)山岸三郎教授 ※は、多忙を極めていた。
教授の代わりということで、○○助手と一緒に実験することになった。
助手は、初めての、ものものしい、隔離された、遠くの実験室に私を案内した。
私を残して、何故かあっという間に、頑丈な扉を閉めて帰っていった。

付き添ってくれると思っていたので、突然の事態にうろたえ、混乱する私。
「何故初めての放射線実験で一人なんだ、何が起こったのか?」の言葉が頭を駆け巡り、 足はがくがく、心は震え、頭は恐怖でパニックになった。
  
血気盛んな頃だったから、逃げ出したい恐怖を抑えて、
かろうじて踏みとどまり、震えながら、両足を広げて踏ん張り、
深呼吸をしながら、やっとのことで実験を終了。
当時の詳細は全て、所要時間さえ、記憶からぶっとんだ。

当時、誰にも話したことは、多分ない。それすらも判らない。
胸の奥深くにしまわれていたようだ。
緘口令とかでなく、恐怖からの防衛反応かも知れない。
稀に頭の片隅でぼんやり思い出すことがある、という感じ。

※ http://ci.nii.ac.jp/els/110003648242.pdf?id=ART0004169845&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1308408204&cp=

福島原発での三人の方の被爆事故で、昔の体験が強く引き出された。
私の恐怖体験の地に近い、放医研に入院した三人を、

  「神様、どうか、三人の命を助けて下さい」
   と、日本中で祈るしか、すべはなかった。
   私も祈り続けた。

ご無事で退院されて、本当に良かった。
(これからも後遺症の心配が、案じられるが。)

あの、三人の被爆事故は人災だ。
「専門家が同席して、放射線測定や指導をしたら防げた」と、素人として考える。
私は、この放射線実験恐怖体験(放射線が見えない、無知でわからない、初めて)を味わったからこそ、彼らの苦悩を想像することが出来た。
今は、恐怖体験が出来て良かったと思う。


追加)
 日記を書いてから、学部の同級生4人に読んで貰った。
 皆「一人での放射線実験はしなかった」との事だった。
 私の放射線実験は、後にも先にもこれ一回限りだった。
 恐怖の中身を、誰にも理解(共感)して貰えず、残念であった。  



心の旅と自由

2012年04月12日 | 日記

図書館で、たまたま手にした一冊の本、<癒やしへの旅> たどりたくて、たどれなかった道が示されていた。

次にこちらを購入した。 数十頁読み始めたら3月11日、東日本大震災、原発事故に遭遇。 落とし穴に陥落する。 心の奥から泉のように湧き上がる想いに、自らが圧倒された。 「他人事なのに、どうしてそんなに泣くの?」家人は不思議がり心配する。

 身体にめまいとゆれを伴う、頭が割れるような不思議な旅が始まった。 時々、本書を読みながら<出逢い>のCDを聴きながら、溢れでる涙を止めないで、 眩暈にこの身を委ね、執着のひとつずつを捨ててゆく。

大宇宙を信じて、心の赴くがままに旅は続く、果てしなく何処までも。

 手に入り始めた自由は、何物にも変えがたい大切な宝物になった。 (2011,11,28日記) 

心の自由を探す旅  ブランドン・ベイズ   http://www.810.co.jp/book/ISBN978-4-89295-652-2.html

出会い~我が心の歌~新垣勉                http://www.amazon.co.jp/%E5%87%BA%E9%80%A2%E3%81%84-%EF%BD%9E%E6%88%91%E3%81%8C%E5%BF%83%E3%81%AE%E6%AD%8C%EF%BD%9E-%E6%96%B0%E5%9E%A3%E5%8B%89/dp/B00006S2ND