唐史話三眛

唐朝順宗・憲宗→宣宗→德宗時代の流れを、私見を付け加えて
記述していきます。ご異見があればよろしく。

唐初功臣傳7 何潘仁 

2024-05-11 10:57:53 | Weblog
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何潘仁
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隋煬帝義寧元年九月
反乱を起こした李淵[唐高祖]軍は黄河を渡り隋長安を攻めた。

長安付近にいた淵の娘で柴紹の妻である李氏[平陽公主]は周囲の豪傑や盗賊に働きかけて軍を形成していった。
西域商胡何潘仁は司竹園を根拠地として數萬の軍を編成した總管と自称し、捕らえた前尚書右衛李綱を長史としていた。李氏は家奴馬三寶を派遣して説かせ味方にした。
その後潘仁は鄠縣を陥した、

潘仁は世民[太宗]軍に配属された。李綱は淵に仕えて專掌選事として人事を担当した。

武德二年閏二月
左屯衛將軍何潘仁は山賊張子惠と司竹で戦い敗死した。

九月
禮部尚書領太子詹事李綱は太子建成と世民の対立に辟易し引退を求めた。高祖は怒り「お前は潘仁にさえ仕えていたのに、俺には仕えられないのか」と罵りました。対して綱は「潘仁は賊であり、濫りに殺人しましたが、臣が諫めるとやめました。だから仕えていたのです。いま臣が太子を諫めても聞かれません、だから辞めるのです」と答えた。

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