膠東郡王道彥
淮安王神通の子で孝行であった。
父神通が李淵の反乱に応じて起兵したのに従う。
義寧1.9
長安が陥落すると朝請大夫。
高祖即位後
義興郡公
膠東郡王.隴州刺史となった。
武德九年
皇族整理により膠東郡王から郡公に降爵された。
貞觀初
相州都督
岷州都督となるが丁父憂、帰服してまた岷州都督。
党項所部を帰服させた。
貞觀二年正月
岷州都督として吐谷渾の侵攻を撃退した。
貞觀八年十二月
岷州都督膠東郡公から赤水道行軍總管となり吐谷渾を討った。
九年七月
大総管李靖は吐谷渾を討つため、黨項羌酋長拓跋赤辭と結んでおり、赤辭は同盟を信用していた。
ところが赤水道行軍總管道彥は赤辭が油断しているのをみて襲い、その牛羊數千頭を奪った。
黨項羌は激怒し、赤辭は道彥・樊興軍を大破し潰滅させた
道彥は敗戦の責任を問われ邊地へ流された。
久しくして媯州/涼州都督?
貞觀十二年十一月
交州都督?として明州山獠を討った[廣寧縣公道興の誤り]。
卒.贈禮部尚書.