唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

山南東道節度使 その5

2011-12-26 18:41:28 | Weblog
・淮西平定後の山南東道は安定した藩鎭となり、宰相前後の回遊地として
淮南・西川などと同じような高い藩鎭格となったが重要性は低くなった。
・李逢吉・王涯・竇易直・裴度・牛僧孺などの宰相格が長慶~太和年間にみられる。
・大中~咸通年間になると藩鎭格は低下し、高位文官の就任先となった。
・大中・咸通・乾符年間になると各節度使は近隣藩鎭より警備兵力を強化した。
宣歙の反乱鎮定や、桂管からの龐の北進阻止などにはその力がしめされた。
・乾符6年[879年]賊黃巢は廣州から北上し荊州を攻撃し、鎮定するはずの
都統王鐸は遁走した。山東節度使劉巨容はこれを荊門に大破したが、唐朝の
軍人に対する処遇に不満をもつ巨容達はとどめをささず、黃巢の勢力が再び
回復することをゆるした。


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