唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

劍南東川節度使 その2

2012-06-18 11:39:57 | Weblog
・叔明の統治は貞元2年[786年]まで続き、その後も兵馬使王叔邕が昇格して貞元18年[802年]まで続いた。
19年より行軍司馬李康が昇格し節度使となった。
・永貞元年[805年]西川韋皐が卒すると、その幕僚達は劉闢を押し立てて自立しようとした。即位したて
の憲宗皇帝はそれをみとめたが、闢は東川も併呑しようとした。そのため元和元年[806年]高崇文が
討伐に派遣された。康は闢軍に敗北して捕らわれ、韋丹が任命されたが、
丹は崇文軍の根拠地が必要であると上奏し譲った。
・崇文は3月梓州を回復し、10月西川も平定した。山西嚴礪が東川に移された。
・その後は安定し主に高位文官[李逢吉・王涯・李絳等]の赴任先となった。
・太和3年[829年]西川は杜元潁の失政により南詔の来寇を招き成都外郭が陥落した。
東川郭は西川を兼務したが、軍備には欠け、南詔と交渉して撤退を求める他はなかった。

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