唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

天授二年~延載元年 西暦691~694年

2020-05-30 10:03:07 | Weblog
天授二年 西暦691年
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正月乙未,殺丘神勣、庚子,殺史務滋。二月、死周興。
使い終わった酷吏達も処分されていきました。

五月、岑長倩為武威道行軍大總管,以擊吐蕃。
残った名将長倩に吐蕃征討を命じましたが、則天は疑惑を持ち中止することにしました。

十月己酉,殺宰相岑長倩、歐陽通、格輔元、殺樂思晦。
則天は登用した宰相達を信用することができず、すこしでも逆らうと次々と殺しました。

天授三年/如意元年/長壽元年 西暦692年
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正月庚午,貶任知古為江夏令,狄仁傑彭澤令。流裴行本於嶺南。
新たに登用した宰相達も信用できず流しました。近年の歴史本では則天は人材登用を良くしたと言われていますが、実際はむやみに登用し、むやみに廃したというのが実情です。それまでの唐朝宰相のような権威も能力もない濫用でした。「数打てば当たる」の状況です。

正月丁卯,太后引見存撫使所舉人,無問賢愚,悉加擢用。
宰相以下も濫用で、官員はむやみに増加しましたが、酷吏達が次々に陥れて整理しました。

四月大赦,改元如意。
九月庚子,大赦,改元長壽。
むやみな大赦と改元が好きでした。

八月、太后春秋雖高,善自塗澤,雖左右不覺其衰。丙戌,敕以齒落更生,
則天は厚化粧して。臣下に老衰を見せず。新たに歯が生えたと称しました。

九月癸丑,流李游道、袁智弘、王璿、崔神基、李元素於嶺南。
また新規登用した宰相達を流しました。

長壽二年 西暦693年
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臘月癸亥,殺皇嗣妃劉氏、德妃竇氏。
丁卯,降封皇孫成器達為郡王。
則天は皇嗣周辺を疑い、妃達を殺し、息子達を降格しました。

一月甲寅,殺尚方監裴匪躬、内常侍範雲仙。
則天の許可を得ず皇嗣に拝謁した者達を殺しました。

一月庚子,以夏官侍郎婁師德同平章事。
師德は有能な人物であったが、隠忍の人で常に謙虚であったので、酷吏達も誣告できず生きのびることができました。

二月、或告嶺南流人謀反,太后遣萬國俊,悉召流入,矯制賜自盡。
大量に嶺南に配流していた者を殺しました。

長壽三年/延載元年 西暦694年
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臘月甲戌,突厥默啜寇靈州。
二月庚午,薛懷義為伐逆道行軍大總管,領十八將軍以擊默啜。
突厥が第二帝国を形成し内地へ侵攻してくるようになりました。

七月癸未,嵩岳山人武什方為正諫大夫、同鳳閣鸞台平章事。
則天は河内老尼や山人什方に欺瞞されて、深く信仰し宰相に任じたりしました。

九月壬午朔,來俊臣、王弘義など使用済みの酷吏に、責任転嫁し流罪にして整理していきました。

九月壬寅,貶宰相李昭德為南賓尉。
昭德は則天に信任され専権していましたが、増長したため流されました。

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