唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

李復伝

2019-02-27 21:33:46 | Weblog
武将とは言えないかもしれない、しかし常に困難な部署を的確に治める
有能な官僚將軍ではあった。

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李復伝
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太子太傅齊物の子。字初陽。

父の蔭位で江陵府司錄に至る。

吏務に通じていて、軍人上がりの節度使衛伯玉に厚遇される。

性は厳格で、江陵縣令、江陵少尹を歴任。

その後饒州、蘇州刺史となり政績を上げる。

淮西李希烈が反し、討伐にあたった荊南節度張伯儀は敗北し、荊南が動揺したため、復が江陵少尹兼御史中丞充節度行軍司馬として安撫した。

貞元二年.容州刺史兼御史中丞充本管容州刺史本管經略守捉招討處置等使として、西原蠻の乱後に荒廃していた容管を立て直し、功績により檢校右常侍を加えられた。

三年.廣州刺史兼御史大夫嶺南嶺南節度經略觀察處置等使に転じ、安南都護府の兵乱を鎮定し、

五年.久しく蠻域となっていた瓊州[海南島]を回復した。

八年.檢校工部尚書宗正卿として入朝。

九年.軍閥.華州節度李元諒の没後、檢校戶部尚書兼御史大夫華州刺史潼關防御鎮國軍使として安撫した。

十年.鄭滑節度使李融が卒し,軍乱が起こると檢校兵部尚書兼滑州刺史義成軍節度鄭滑觀察營田等使兼御史大夫として鎮定し、營田に勤め生産を上げた。

十二年,檢校左僕射。

十三年四月卒官,年五十九。贈司空。諡曰昭。

目立った戦勝はないが、常に混乱から回復させ安定させる実力者であった。反面蓄財に励み、散じないので批判されていた。

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