大暦3年6月
[新]壬寅,幽州兵馬使朱希彩殺其節度使李懷仙,自稱留後。
[旧]壬辰,幽州節度使、檢校侍中、幽州大都督府長史李懷仙為麾下兵馬使朱希彩所殺。
[通]壬辰,幽州兵馬使朱希彩、經略副使昌平朱泚、泚弟滔共殺節度使李懷仙,希彩自稱留後。
[背景]
安史の乱の末期、幽州を守備していた李懷仙[柳城胡人で契丹より帰降して安禄山に仕えた]は、敗走してきた史朝義を裏切って殺し、唐朝に帰順し幽州節度使となった。懷仙は節度使となると唐朝に敵対し、部下にも専横となっていった。不満派の朱希彩や朱泚やその弟滔達は謀議して殺害し、希彩を擁立した。
[結果]
唐朝は最初、李懷仙の舊僚である成德節度使李寶臣に鎮圧を命じたが、寶臣は形式的に討伐し敗戦すると反って希彩を推薦した。唐朝は文官で宰相の東都留守王縉を派遣して幽州を回収しようとしたが、希彩達は瑨を厚遇するが従おうとはせず、縉は懼れて希彩を留後として河東へ去った。その後希彩は節度使に就任した。
[新]壬寅,幽州兵馬使朱希彩殺其節度使李懷仙,自稱留後。
[旧]壬辰,幽州節度使、檢校侍中、幽州大都督府長史李懷仙為麾下兵馬使朱希彩所殺。
[通]壬辰,幽州兵馬使朱希彩、經略副使昌平朱泚、泚弟滔共殺節度使李懷仙,希彩自稱留後。
[背景]
安史の乱の末期、幽州を守備していた李懷仙[柳城胡人で契丹より帰降して安禄山に仕えた]は、敗走してきた史朝義を裏切って殺し、唐朝に帰順し幽州節度使となった。懷仙は節度使となると唐朝に敵対し、部下にも専横となっていった。不満派の朱希彩や朱泚やその弟滔達は謀議して殺害し、希彩を擁立した。
[結果]
唐朝は最初、李懷仙の舊僚である成德節度使李寶臣に鎮圧を命じたが、寶臣は形式的に討伐し敗戦すると反って希彩を推薦した。唐朝は文官で宰相の東都留守王縉を派遣して幽州を回収しようとしたが、希彩達は瑨を厚遇するが従おうとはせず、縉は懼れて希彩を留後として河東へ去った。その後希彩は節度使に就任した。