唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

藩鎭軍乱6 邠寧節度 移鎭拒否

2017-09-10 23:03:32 | Weblog
大暦3年12月
[新]辛酉,涇原兵馬使王童之謀反,伏誅。
[旧]己酉,以邠寧節度使馬璘為涇原節度,移鎮涇州,其邠寧割隸朔方軍。
邠州將吏以燒馬坊為亂,兵馬使段秀實斬其兇首八人,方定。
[通]己酉,徙馬璘為涇原節度使,以邠、寧、慶三州隸朔方。璘先往城涇州,以都虞候段秀實知邠州留後。

[背景]邠寧節度[邠寧慶涇原の五州管轄]には、西域の安西より安史の乱鎮定に動員された安西四鎭行営節度使[李嗣業から始まり、当時は馬璘が節度使]が入り、吐蕃に対して最前線で戦ってきた。しかしその兵力では到底京師の防衛には不足する。そこで唐朝は強力な兵力を擁する河中の郭子儀を邠州[邠寧慶三州]に分派し、馬璘を涇州[涇原二州]に移すことにした。河北各地を転々としてやっと邠州に落ちついていた安西軍は、さらに荒涼とした最前線の涇州への移転に激しい不満を抱き、節度使馬璘の不在を利して王童之を中心として蜂起しようとした。

[結果]移鎭には全軍が不満であるが。節度使馬璘には人望があり、留守の責任者である段秀實は予期して対策を立てていた。そして反乱を小規模に抑え、中心の数人のみを処罰して事を収めた。移鎭後馬璘は涇原の貧を訴え、河南の鄭潁二州を管轄するようにした。
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