武徳三年(620年.推古二十八年) 2007-01-03 09:52:22 | Weblog 四月秦王世民は劉武周を破り太原を回復した。 これにより北邊は一応安泰となり東征の余裕が生まれた。 七月秦王は東都王世充を伐ち、皇太子は突厥防禦にあたった。 秦王は世充を圧迫し、世充の勢力は崩れていった。 竇建は幽州羅藝を攻めていたが戦果は上がらなかった。