唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

開成二年(837年.承和四年)

2006-11-11 19:16:06 | Weblog
官界は李裕派が優勢となりつつあった。
六月河陽で軍乱が起き節度使李泳が追放された。親衛軍として編成された神策軍もまた宦官達によって腐敗し、その権利を買った商人達によって弱体化していた。
李泳は京師の商人であり、河陽節度使として投資の回収に励みすぎたため將士の怒りを買ったわけである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

開成元年(836年.承和三年)

2006-11-11 18:01:42 | Weblog
宦官達の報復行動は拡大したが文宗や新任の宰相達は抑えることができなかった。
二月昭義節度使劉従諫は使者を派遣し、甘露の変でまきぞえをくって殺された宰相王涯の罪名を問うた。そのため宦官達は自分たちの行きすぎを曝かれることを懼れやや自制するようになった。
一方李訓達に失脚させられた官僚達の復権がすすみ、一時期収まっていた牛李の党争も再燃してきた。
八月文宗の母蕭太后の弟と称していた洪が偽物であることが発覚し流された。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする