que sera, sera なるようになってるよ~!

2027年W杯に行けることを祈りながら、歌舞伎を楽しむ児太郎さんと隼人さん贔屓の毎日

香港と私

2020-10-21 17:19:49 | 香港日記

香港にやってきてもうすぐ、29年になるのね。でも、そのうち2年は日本に帰ってしまったので、27年なんやけどね。香港には1988年に初めて旅行で来た。友達とどっか旅行行きたいねと話してて、国内にする予定がたまたまどっかで香港ツアーのチラシを友達がもらってきた。値段がすごく安くて国内よりええやん~、という事で急遽香港に行くことにした。香港ってなんのイメージもなく、ただブルース・リーかジャッキーか?あと、うるさい広東語のイメージ。5月の末やったと思う、カイタック空港に着いた時、空気がねっとりしてて、独特の匂いが鼻を突いたのを覚えてる。泊まったホテルはCWBのパークレーンホテル。そこが香港のどこに位置しているのかもわかってなかった。安いツアーにありがちなおみやげ物屋さんを連れまわされて、1日の自由行動の日はガイドさんが個人的に香港を案内してくれはった。これが、私が香港に住むことになるきっかけでもあるのです。(笑 活気あるエネルギッシュな香港と、異国情緒がある観光地と可愛いガイドに魅せらて私たちは、帰国の日、帰るのが嫌でイミグレで大泣きするんですわ。(笑 泣きながらパスポート出したら、そこで、イミグレのオフィサーになぜかナンパされる。住所と電話番号を書いた紙を渡されたのです。しばらく、文通してたわ、そういえば。(笑 帰国してからは、次いつ香港に行くか友達と盛り上がって、その後香港に住み始めるまで年3回旅行で来てました。その間、広東語も習い始めたんだわ。一発で恋に落ちたんよね、香港に。ほんまに好きで好きで仕方なかったな。通い詰めるうちにガイドさんとかその友達と仲良くなって、私達の香港に対する情熱にほだされて仕事を紹介してくれたのよ。キンバリーホテル内の日本料理屋花水木の受付で、お家と食事つきでお給料は9,500ドルやったかなあ?もう、とにかく香港にいけるなら~と飛びついた。仕事はしんどかったよ。拘束時間が長いから。。。まだ、お店から家が近いので休憩に帰れたのはよかったなあ。まあ、その家も泥棒に入られたり、色々あったけど。(笑 基本、お金は使わへんかったので貯金は出来たけど。契約は1年やったので終了間際はお客様相手に就職活動して、日系のステンレスの会社に雇ってもらった。そのころは香港人の彼がいて、広東語もメキメキ上達してましたの。だって、相手は日本語話せへんし、私が覚えるしかないしというか広東語話せるようになりたかったしね。ステンレスの会社は2年半くらい働いて、次は不動産屋に就職した。ここには97年に帰国するまで働きました。この時にはもう広東語はネイティブくらい話せたのよ。家のオーナーさんとかも私が日本人やって言うてるのに、両親はどっちか香港人か?祖父母が香港人か?って言われるくらい。あのままの状態が続けばよかったんやけどなあ。最近は使わへんからむっちゃへたくそ、惜しい事した。そして97年の返還後、色々あって彼とも別れ日本に本帰国したんです。2年住んだけど、やっぱり香港が恋しくてねえ。また、就職活動をして知り合いの紹介で住友海上に就職したのでした。そして、1999年12月の末に2回目の香港への引っ越し。1回目の香港がどロカールな生活やったとしたら、2回目はどちらかと言えばローカルとは一線を引いた生活になったねえ。戻ってきて出来た彼がイギリス人やったし、彼が住んでるDBに引っ越してからは広東語を話す機会も減ったしなあ。英語も97年の帰国前にちょっと話す機会が増えて、そこからは勉強と実践。まあ、彼氏の国の言葉は付き合うようになったら上達するというものや。今は、彼なんていない生活なのでなんかどっちつかずな感じ~。でも、生活には困らへんから良いのです。(笑 香港に来てから山あり谷ありの人生で、香港のエネルギーに負けそうになったり、元気づけられたり。ほんまに、香港は大好き。でも、来年はここを去るのね。さみしすぎるけど、もう仕方ない。永久居民やから、また戻ってきたりするかもしれへんけど。(笑 最後の年にこんな状況で香港内もウロチョロできず、なんか残念ですねえ。あと、半年ちょっともっと香港をエンジョイしなければ!

 







 

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無事手術終了

2020-10-11 10:39:00 | 香港日記

白内障と診断されてから1ヶ月半、両目の手術が今週終わりました。白内障と言われてからコンタクトを外して眼鏡での生活。度があんまり合ってないのと右目がよく見えなのでこの生活はほんまにしんどかった。そして、9月23日にまず右目を手術。どう言うふうに手術をするのか経験がないのでわからへん、9時15分に行って目薬の点眼が始まって10時くらいに手術しに入って、まず目の際に麻酔をされた。これが痛かったよ。この後、徐々に目の前が真っ白になってもう先生とかの影がちょっと見えるくらいになって、いよいよ開始。じゃあ始めますね、って言われて目になんか入る感じがした。目の前が真っ白になるって結構気持ちが悪くって、ちょっとパニックになってたなと今から思えば。血圧もすごく上がった気がするわ。。。このまま死んだらどうしようと思いながら、なんかワンワンと言う音がして少し目に振動を感じた。多分、これで水晶体を砕いてるんやろうなと思った。広東語の歌がかかってたのでそれを聞きながら気をそらしたりして、先生が終わったよ、パーフェクトっていってくれた。右目をしたので左目は空いてるけど、視力が悪いからほとんど見えないのが辛い。一人では帰れないので、友達の娘さんが迎えに来てくれはった。そう言うことに気もつかず、手術をしたことのある友達が帰りは一人で帰れないよって教えてくれて、友達は仕事があるので娘さんが来てくれることになったの。ほんま助かったわ。しばらく病院で待機した後、お金を払って帰宅しました。喉がかわいてたんで、アラビカでコーヒーを買って娘ちゃんと一服。子供の頃から知ってるけど、彼女は素直でええ子や。20過ぎてるけど、ほんま可愛らしい。その後、船に乗って家の前まで送ってもらった。私は軽くご飯食べて家に電話してから、ちょっと横になった。やっぱり緊張して最近あんまり寝れてなかったので、お昼寝って言うてもすごく寝れたわ。その日はお昼寝もしたのに夜もよく眠れた。翌日は眼帯を取りに行くことになってるけど、2時半やったからギリギリまで横になってた。簡単な手術というてもやっぱり疲れるもんなのよね。で、いよいよ眼帯取りに病院へ向かった。今日は一人で行くことにしてたけど、偶然ピアでMっちゃんに会って病院まで送ってくれはって助かったわ。ちょっと待ったらすぐに眼帯外しますって言われて外されたら、もうびっくり。むっちゃよく見えて怖いくらい。ちょっと信じられへんくらいやった。でも左目は見えない状態なのでここから2週間はキツかった。手術の日からその週いっぱいはシックリーブをとって家でゆっくり過ごした。仕事を始めたら、片目で仕事するのはかなりキツかったけど、また国慶節と中秋節とで4連休があったのはラッキーやった。で、10月5、6日と二日仕事して10月7日に左目をしました。1回してるとはいえ、あんまり経験したくない感触。でも、1回目より早く終わった。先生が、ちょっと予定より傷口が大きくなったっていわはったと思ってんけど、手術後はボーってしたのではいとしか言われへんかったん。で、この日は終わってすぐに家に帰っていいと言われて、ゆっくりと家に帰って家でまた休みました。前回と同じように翌日病院にいって、眼帯をとってもらうまで、色々考えて不安ではあったけど、今回も無事目が見えてほんまにありがたかった。白内障って言われた時はどんなことになるのかと思ったけど、まさかこんなに視力が戻るとは思いもよらんかった。左目はちょっと度を緩くしたので、手術後正直後悔したこともあったけど、目がアジャストするよと友達に言われて、3日くらいしたらほんまにあんまり苦にならんようになった。ただ、目の傷が右より違和感が少し大きい気がするので、ほんまやったら今日1週間後のチェックで見てもらう予定が、なぜか風もないのにT8が出て1日休みになってしまい今日のアポはキャンセルになった。次は木曜日の朝一にいつもと違うクリニックにいかんとあかん、、、ダメもとで先生に明日見てもらえへんかとメールしたけど、まあ無理やろうなあ。。。ちょっと不安。早く見て欲しいなあ、なんで今日T8なん?ほんま腹立つわ。。。でもまあ、手術の日にT8にならなくてよかったと思うしかないねえ。しばらく目がしんどかったので、ブログ書けなかったけど、やっと書けるようになりました。まずは、やれやれっていうところです。

 







 

 

 

コメント (2)
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