日本の唱歌で名曲中の名曲に林古渓作詞、成田為三作曲「浜辺の歌」があります。
成田為三の代表作であり抒情歌として広く親しまれています。

成田為三 (1893-1945)
この曲にはよく歌われる1、2番の歌詞の次に下のような3番の歌詞が存在します。
疾風(はやち)忽(たちま)ち 波を吹き
赤裳(あかも)の裾(すそ)ぞ 濡れも漬(ひ)じし
病みし我は 既に癒(い)えて
浜辺の真砂(まなご) 愛子(まなご)今は
(注)初出詩での真砂のルビは「まさご」ではなく「まなご」となっています。
実は元々歌詞は4番まであったようで、編集の際作者に無断で3番の歌詞前半2行と4番の歌詞後半2行をつなぎ合わせて3番歌詞として出版されてしまい、作詞者はこれでは原作の趣きを失ってしまってわけがわからないと言って歌われることを望まなかったそうです。
もっともなことです。
歌のおばさん、安西愛子さんは「失われた部分には古渓の恋人が湘南海岸で結核の転地療養をして元気になった様子が書かれていて、古渓の本当の気持ちが織り込まれていたと思われます」と語っておられます。
なぜそんなことになってしまったかいろいろ推測されていますが、作詞者自身早くにその手控えを失ってしまったため再案に至らずそのまま上記歌詞が3番歌詞として定着してしまったようです。
失われた残り4行はどんな歌詞だったことでしょう。
それにしても難しい言葉遣いの歌詞です。
この歌ですぐ連想しますのは、高峰秀子主演の名作映画「二十四の瞳」で小豆島の小学生が四国に修学旅行に行く船の中でマアちゃんが歌う場面です。
この名曲をYouTubeで由紀さおり・安田祥子、倍賞千恵子、芹洋子など実力派歌手が歌っています。
ここではヒーリングの女王、スーザン・オズボーン(Susan Osborn、1950-、アメリカ)の歌で聴いてみたいと思います。
何とも癒される歌唱です。
最後はやはりマンドリンで。
演奏は台北曼陀林樂團(Taipei Mandolin Ensemble)、トップ奏者は団長の陳雅慧さん、この曲は中野二郎編曲のものがよく演奏されますがここでは武藤理恵編曲での演奏です。
青山忠氏がこの楽団の顧問をされています。
台湾での曲名は「海濱之歌」です。
成田為三と「浜辺の歌」についてはこことここにとても興味深い話しが載っています。
また成田為三と近衛秀麿が徹底して仲の悪った話しがここやここに書かれています。
北秋田市にある浜辺の歌音楽館では成田為三に関する資料が収蔵・展示されています。
一度訪れてみたくなりました。
その頃いろいろ調べ、4番を推理していたのですが、近年、辻堂駅の駅メロをこれにしようという試みに触発されて、この試みをまとめてしまいました。
そこそこよさそうな結果が得られました。どうでしょうか?
なかなか深い推考をなされた3、4番の歌詞、とても興味深く読ませていただきました。
この歌の旋律は唱歌として子供にも歌いやすいですが歌詞は子供が歌うには難し過ぎますからメロディと歌詞がまったくアンバランスだと感じます。
大人が歌う日本を代表する抒情歌曲としてとらえたいです。
小生はマンドリンを弾きますので遠くイタリア公演でも演奏し現地の人に喜んでいただきました。
いつまでも口ずさんで愛される曲であり続けてほしいものです。