前回父の遺品のことを書きましたので、今回は母の遺品の中から母が絵の個展を開いたとき地元の新聞に載った記事のことなどを書いてみたいと思います。
神戸の実家の母は60歳になってから水彩画を習いはじめ2度の個展、5度の受賞と精力的に絵画活動をしていました。
これは当時の神戸新聞に掲載された個展を開いた時の画廊での母と母の水彩画で、写真の絵の画題は京都の「哲学の道」です。
写生会で描いてきたものと思います。
この絵はいま東京の私の家の玄関に飾っています。
新聞記事の一部を引用させていただきますと、
「いま出発(たびだち)のとき-これは先日開かれた初個展のタイトルである。
「自分の絵を人前にさらすなんて、裸になるみたいで本当はすごく迷ったんです」と少女のようにはにかむ。
話す声もか細く野に咲くスミレを連想させる。
大正生まれで幼い時から絵画に親しみ、女学校時代は絵筆を片時も離さなかった。
当時から「きれいでかわいくやさしい絵」が好きで、セザンヌや竹久夢二にあこがれ展覧会に通うロマンチストだったという。
・・・
風景画には「哲学の道」「ワイン城への道」など、必ず「道」がモチーフとされ繊細なタッチで描かれている。
はるかかなたに続く、終わりのないものに無性にひかれると話す。
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「元気である限り、描き続けます」、いまが出発のときである。」
と書かれています。
東京で仕事に忙しかった私は一度も母の個展に行かなかったばかりか、母が好きだったルノアールなどの絵のある海外の美術館に連れて行ってあげられなかったことが今となって悔やまれます。
今は神戸にいる私の妹が水彩を習っていますが母の腕前に到達しますかどうか。
母は水彩からパステル、水墨画へと進み、上の絵「室生寺」は兵庫県会議長賞をもらったそうです。
私は大変な母っ子でした。
この写真も遺品の中から出てきたものですが、小学校の運動会で昼休みに教室で母手作りのお弁当を食べています。
母っ子の私は妹そっちのけでちゃっかり母の横に座ってご満悦です。
今の時代からみれば当時の教室の机や備品は粗末だったことがうかがえます。
私が妻と出掛けると時折見かけない服を妻が着ています。
「それ、買ったの?」と聞くと「あなたのお母さんのよ、似合うでしょ」と言うので、妻が母の遺した服を今も大事にして喜んで着てくれているのをとても嬉しく思っています。
また妻と喫茶店で休憩していると「このテーブルはあなたのお母さんとよくお茶した場所よ」と言われて、私の知らない間に妻は神戸の震災後東京へ移住してきた不安な母とよく出歩いてはショッピングやおしゃべりなど母の相手をしてくれていたようで、移住後母が亡くなるまでわずか1年の命でしたが母は楽しかっただろうと思い妻に感謝です。
関連ブログ:
・母の絵(2011.10.31)
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