1959年
ともかく前評判は凄かった。昨年度の甲子園大会で一番注目されていたが第一回戦の松阪商戦で、立ち上がり3四球とタイムリーであっさりと得点を許してしまった。甲子園初登板というので固くなったせいもあろうが、慌てたのはネット裏にいたスカウト連中、益田産業高の一年生のときからマークされ、正面切って勝負を挑み、無類の制球力を誇る福原が、晴れの甲子園で馬脚を現したのである。甲子園の第一回戦敗退で前評判は大分低下したが、福原自身の答弁は固くなっていたことも事実だが、打者を牛耳ろうとしたのがわるく、ことに四球を出したあとリキんだのが失敗だったといっていた。しかし、巨人と近鉄との引き抜きの手は激しく、夏の大会終了後、一段と激化した。なぜ近鉄を選んだかーそれは近鉄の投手力が非力であり、見るにしのびず働けば働き甲斐があると感じたこと。また近鉄のカラーがなんとなく好きになったという。非力みるにしのびずというあたりはそうとうな闘争心の所有者である。大洋との四回戦(オープン)で2イニング投げたが、正統派らしい、いいピッチングを見せた。林コーチの言葉を借りると普通に投げても、ナチュラル・シュートするから、バッターにとって打ちにくい。武器はシュートだが、新人投手としては及第点がつけられ、夏ごろから第一線に登場できるとのこと。渡辺主将も新人で使えるのは、河野と福原だと言明しているのをみても、高く評価されていることがわかる。典型的なファイト・マン。山陰の雪国育ちにしては珍しい性格で、福原も第一線で投げさせてもらうことが・・・とはっきりいってるくらいだから、負けん気の強いことはそうとなもの。本人自身スタミナをつけること。ピッチングが単調にならないことに重点をおいているというが、近鉄の契約第一号として、昨年十一月に早くも契約したという割り切りよう。基礎的にいい素質を持っているのだから、案外な伏兵的投手として注目される。
ともかく前評判は凄かった。昨年度の甲子園大会で一番注目されていたが第一回戦の松阪商戦で、立ち上がり3四球とタイムリーであっさりと得点を許してしまった。甲子園初登板というので固くなったせいもあろうが、慌てたのはネット裏にいたスカウト連中、益田産業高の一年生のときからマークされ、正面切って勝負を挑み、無類の制球力を誇る福原が、晴れの甲子園で馬脚を現したのである。甲子園の第一回戦敗退で前評判は大分低下したが、福原自身の答弁は固くなっていたことも事実だが、打者を牛耳ろうとしたのがわるく、ことに四球を出したあとリキんだのが失敗だったといっていた。しかし、巨人と近鉄との引き抜きの手は激しく、夏の大会終了後、一段と激化した。なぜ近鉄を選んだかーそれは近鉄の投手力が非力であり、見るにしのびず働けば働き甲斐があると感じたこと。また近鉄のカラーがなんとなく好きになったという。非力みるにしのびずというあたりはそうとうな闘争心の所有者である。大洋との四回戦(オープン)で2イニング投げたが、正統派らしい、いいピッチングを見せた。林コーチの言葉を借りると普通に投げても、ナチュラル・シュートするから、バッターにとって打ちにくい。武器はシュートだが、新人投手としては及第点がつけられ、夏ごろから第一線に登場できるとのこと。渡辺主将も新人で使えるのは、河野と福原だと言明しているのをみても、高く評価されていることがわかる。典型的なファイト・マン。山陰の雪国育ちにしては珍しい性格で、福原も第一線で投げさせてもらうことが・・・とはっきりいってるくらいだから、負けん気の強いことはそうとなもの。本人自身スタミナをつけること。ピッチングが単調にならないことに重点をおいているというが、近鉄の契約第一号として、昨年十一月に早くも契約したという割り切りよう。基礎的にいい素質を持っているのだから、案外な伏兵的投手として注目される。
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