1984年
高校(神奈川・桐蔭学園)時代は、宮城(ヤクルト)の横浜商、青木(大洋2位)の鶴見工を破り県大会決勝に進出。惜しくもその年、全国制覇した横浜に0対2で敗れはしたものの、愛甲(ロッテ)と互角に投げ合った。東洋大に進学したが、家庭の事情で、半年で中退、清工建設に入社。全国大会の経験はないが、重い速球とシュートを武器に「2年後には二ケタ勝利はかたい」(佐々木前スカウト)とかくれた逸材。
1984年
高校(神奈川・桐蔭学園)時代は、宮城(ヤクルト)の横浜商、青木(大洋2位)の鶴見工を破り県大会決勝に進出。惜しくもその年、全国制覇した横浜に0対2で敗れはしたものの、愛甲(ロッテ)と互角に投げ合った。東洋大に進学したが、家庭の事情で、半年で中退、清工建設に入社。全国大会の経験はないが、重い速球とシュートを武器に「2年後には二ケタ勝利はかたい」(佐々木前スカウト)とかくれた逸材。
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