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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

東条文博

2017-03-05 08:55:48 | 日記
1972年

ラジオ局の係り員があわてた。浅野のヒーロー・インタビューが終わりに近づいたころに、東条はバットとジャンパーをこわきにかかえて、さっさとベンチを出ようとしていた。そのウデを引っ張り込んで「打のヒーローですからお願いします」-が、その返答も「ボクはいいですヨ」だった。五回の一死一、三塁で先制の二塁打をとばしたというのに。結局はムリヤリにお立ち台に立たされたが、味もそっけもないやりとりだった。「浅野が一生懸命に投げてたから、打たねばいかんと思ってました。会心の当たりでした。調子ですか?悪くはないんですが、たまにしか出ませんから・・・」文字にすれば活気がある内容だが、鹿児島なまりの低い声でボツリボツリ・・・地味だった。東条によると、マイクをつきつけられたのは、プロ入り八年目ではじめてだった。だが、この東条、マイクへの話とは逆に、ハラの中では「やったゾ」という気持だったに違いない。この日が、四度目の先発メンバーだったのである。それは、船田が移籍してきたためだった。一昨年、盗塁王となり、チームではめずらしいタイトルホルダーも、キャンプの段階で、もう控えに回されている。それでもくさらなかった。花やかなふんいきをもつ船田と対照的に、黙々と練習を重ねた。シーズンに入ってからも、代走や守備固めでの出番に耐えた。試合前の練習でも、他の選手の二倍は走っている。船田だっていつかは調子をくずす。そのときはオレが・・・。そんな気持ちを東条はまた、ポツリといった。「辛抱すること。ボクらはくさったら終わりです」東条バンザイとクラブハウスまで、あとにつづくファンの間でのことばだった。「きょうはトウジョウがNO・1」ロペスもロバーツも同じことをいった。追加点がとれたのも東条のためという意味だった。この東条の起用。三原監督によると、連戦で疲れている城戸を休ませるためだった。「こんなに打つとわかっていたら、一番にすえています」とは、試合後のうれしい誤算の弁である。ヤクルトの連敗を食いとめたのは、大むこうをうならせる三原マジシャンでなく、地味な男の努力の積み重ねだった。

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