1960年
大毎の慎太郎こと中西はマウンドからおりた直後はちょっと興奮していた。特徴のある早口がよけい速くなって聞きとりにくい。「苦しかった回? そんなのないけど、いやな回は五回だった。やらんでもええ一点をやってしもうてハラがたってかなわんわ」一点をとられたことが興奮の原因とすれば調子はすこぶるよかったのだろう。「はじめはボールが多かった?違う違う、あれはね意識的にボールを散らしたんや。きわどいコースばかりついてみたんや。だからボールになってもちっとも困りゃせん」報道陣の質問は否定されつづけた。「カーブを投げなかったのはヒジが痛いから?違う違う。向こうはカーブ、スライダーをねらってくると思ったから直球とシュートばかりで勝負したんや。八回森下を三振にとったのが会心のスライダーよ。ちゃんと投げられる」しゃべっているうちに興奮がさめてきた。二回森中の4球目をボールにとられたとき、ホーム・ベースまで走って捕手のかっこうでストライクだと抗議したことを「オレのいたずらや。あとで沖さんにあやまるよ」と上きげん。先発をいわれたのは試合前だったが、西本監督以下徹底的にとぼけた。本人も医務室の舞台にねころんだりして中西先発を報道陣にかくした。十一日に右ヒジに打球を受けて以来、都内豊島区椎名町の吉田接骨医宅に通いながら傷の状態を聞かれても電話口に吉田医師を出して答えてもらうほどの慎重さ。傷の経緯は本人の口からなんともいわれないうちに突如おどり出して南海を血祭りにあげたわけだ。しかしそのあと「右手がしびれていうことがきかん」といい出し、ロッカーにもどると二回に死球を受けた山内といっしょにフロにはいらずにすぐ吉田接骨医宅へ向かった。その途中ロビーから外へ出るまで中西はつぎつぎに女性ファンの握手を受けなかなか前へ進めない。スカッとしたふんい気からいつとはなしに慎太郎というアダ名がついたほどもてる中西でもある。
大毎の慎太郎こと中西はマウンドからおりた直後はちょっと興奮していた。特徴のある早口がよけい速くなって聞きとりにくい。「苦しかった回? そんなのないけど、いやな回は五回だった。やらんでもええ一点をやってしもうてハラがたってかなわんわ」一点をとられたことが興奮の原因とすれば調子はすこぶるよかったのだろう。「はじめはボールが多かった?違う違う、あれはね意識的にボールを散らしたんや。きわどいコースばかりついてみたんや。だからボールになってもちっとも困りゃせん」報道陣の質問は否定されつづけた。「カーブを投げなかったのはヒジが痛いから?違う違う。向こうはカーブ、スライダーをねらってくると思ったから直球とシュートばかりで勝負したんや。八回森下を三振にとったのが会心のスライダーよ。ちゃんと投げられる」しゃべっているうちに興奮がさめてきた。二回森中の4球目をボールにとられたとき、ホーム・ベースまで走って捕手のかっこうでストライクだと抗議したことを「オレのいたずらや。あとで沖さんにあやまるよ」と上きげん。先発をいわれたのは試合前だったが、西本監督以下徹底的にとぼけた。本人も医務室の舞台にねころんだりして中西先発を報道陣にかくした。十一日に右ヒジに打球を受けて以来、都内豊島区椎名町の吉田接骨医宅に通いながら傷の状態を聞かれても電話口に吉田医師を出して答えてもらうほどの慎重さ。傷の経緯は本人の口からなんともいわれないうちに突如おどり出して南海を血祭りにあげたわけだ。しかしそのあと「右手がしびれていうことがきかん」といい出し、ロッカーにもどると二回に死球を受けた山内といっしょにフロにはいらずにすぐ吉田接骨医宅へ向かった。その途中ロビーから外へ出るまで中西はつぎつぎに女性ファンの握手を受けなかなか前へ進めない。スカッとしたふんい気からいつとはなしに慎太郎というアダ名がついたほどもてる中西でもある。
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