1995年
あす22日のドラフト会議に二者択一の夢をかける高校生がいる。上宮の182㌢左腕、大場豊千だ。高校3年間で一度も甲子園に行けなかったことが気になる。逆指名も認めれてはいない。が、巨人への思いを胸に秘めたままにしておけなかった。「野球を始めたころから大好きなチームが巨人でした。これからも野球を続けていくからには、やっぱり一番強いチーム、一番伝統のあるチームでやってみたいんです」今夏の大阪大会では準々決勝で阪南大高に敗れたが、1回戦(対高津)では6回コールドながら、最速140㌔の速球を武器に7三振を奪った。大会後には巨人、中日、ダイエー、ロッテの4球団から進路調査書が届いた。それでも、気持ちは巨人一本に変わりはない。大阪担当の巨人山下スカウトは将来性を高く評価する。「上背があり、将来が楽しみな投手。まだ下半身ができていないが、鍛えればまだまだスピードは出る。打撃も非凡なものを持っている」父隆広さん(47=自営業)も同じく投手として1966年、ドラフト1位で中日に入団した。大場の巨人入りが実現すれば、親子2代のプロ野球選手誕生ともなる。巨人入りの夢がかなわなければ、米国留学してでも来季にかける決意だ。ダイエーの指名を蹴ってハワイ留学し、1年後に巨人入りを果たした上宮の先輩元木と同じ路線を歩むことになる。隆広さんは現役時代から、米大リーグ・ドジャースの会長補佐だった故アイク生原氏と親交があった。「巨人で野球をやりたいなら、その夢を追えばいい。ダメなら米国へ留学すればいい」と父の全面バックアップを受けて、傘下の2Aチームが有力な受け入れ先となっている。「ドラフトのことを考えると胸がドキドキします」と大場。PL学園・福留孝介遊撃手(18)やチームメイトの三木肇遊撃手(18)に比べれば知名度は低いが、追いかかる夢の高さは同じだ。上宮高では1年秋から外野手として出場も、甲子園経験はなし。好きなプロ野球選手は巨人吉村。182㌢、74㌔、左投げ左打ち。家族は両親と弟、妹。
大場にとって巨人は小さいころから特別な存在だった。「王さんと対戦して全然ストライクが入らず、四球を出したことを、父からよく聞きました」大場が生まれる10年前、父隆広さんは中日の黄金ルーキーとして、将来を嘱望されていた。開幕2戦目に先発を言い渡されたほどだったが、直前に足首をねん挫してつまずく、そしてその年の9月、初めて巨人と対戦、リリーフで登板し世界の王に四球、続く森、国松といったV9戦士にも四球を与え、一死も取れずに降板した。「長嶋さんから、あのカン高い声で、やあ、こんにちはと声をかけられたら、もうぼうっとしてしもうてねえ」と、隆広さんは言う。隆広さんが登板した時、一塁塁上にいたのが大スター、長嶋茂雄(現巨人監督)だった。打者3人、四球3、投球数15、これが対巨人戦の全成績。その後近鉄、南海と移った隆広さんは、結局プロで1勝も挙げられず引退した。大場は「父のことは内心では意識している」と言う。口には出さないが、同じプロの世界で同じくサウスポーだった父の無念を晴らしたい。しかも飛び込んでいった場所が長嶋監督率いる巨人というのも「縁があるんでしょうね」と隆広さんは話した。担当の巨人中村スカウトは「体、とくに関節の柔らかさが大きな魅力」と言う。打つ方でも飛距離だけならPLの福留に負けない、と関係者は口をそろえる。だが大場親子は「投手で」という気持ちが強い。隆広さんが南海のトレーニングコーチをしていたこともあり、早速親子で自主トレを開始する。「まず父を抜くこと。でも1勝すれば抜いちゃうか」と言う息子に、父は「そんなこと言うとったら蹴っ飛ばすぞ。もっとスケールも大きくいかな」と本気で怒っていた。
あす22日のドラフト会議に二者択一の夢をかける高校生がいる。上宮の182㌢左腕、大場豊千だ。高校3年間で一度も甲子園に行けなかったことが気になる。逆指名も認めれてはいない。が、巨人への思いを胸に秘めたままにしておけなかった。「野球を始めたころから大好きなチームが巨人でした。これからも野球を続けていくからには、やっぱり一番強いチーム、一番伝統のあるチームでやってみたいんです」今夏の大阪大会では準々決勝で阪南大高に敗れたが、1回戦(対高津)では6回コールドながら、最速140㌔の速球を武器に7三振を奪った。大会後には巨人、中日、ダイエー、ロッテの4球団から進路調査書が届いた。それでも、気持ちは巨人一本に変わりはない。大阪担当の巨人山下スカウトは将来性を高く評価する。「上背があり、将来が楽しみな投手。まだ下半身ができていないが、鍛えればまだまだスピードは出る。打撃も非凡なものを持っている」父隆広さん(47=自営業)も同じく投手として1966年、ドラフト1位で中日に入団した。大場の巨人入りが実現すれば、親子2代のプロ野球選手誕生ともなる。巨人入りの夢がかなわなければ、米国留学してでも来季にかける決意だ。ダイエーの指名を蹴ってハワイ留学し、1年後に巨人入りを果たした上宮の先輩元木と同じ路線を歩むことになる。隆広さんは現役時代から、米大リーグ・ドジャースの会長補佐だった故アイク生原氏と親交があった。「巨人で野球をやりたいなら、その夢を追えばいい。ダメなら米国へ留学すればいい」と父の全面バックアップを受けて、傘下の2Aチームが有力な受け入れ先となっている。「ドラフトのことを考えると胸がドキドキします」と大場。PL学園・福留孝介遊撃手(18)やチームメイトの三木肇遊撃手(18)に比べれば知名度は低いが、追いかかる夢の高さは同じだ。上宮高では1年秋から外野手として出場も、甲子園経験はなし。好きなプロ野球選手は巨人吉村。182㌢、74㌔、左投げ左打ち。家族は両親と弟、妹。
大場にとって巨人は小さいころから特別な存在だった。「王さんと対戦して全然ストライクが入らず、四球を出したことを、父からよく聞きました」大場が生まれる10年前、父隆広さんは中日の黄金ルーキーとして、将来を嘱望されていた。開幕2戦目に先発を言い渡されたほどだったが、直前に足首をねん挫してつまずく、そしてその年の9月、初めて巨人と対戦、リリーフで登板し世界の王に四球、続く森、国松といったV9戦士にも四球を与え、一死も取れずに降板した。「長嶋さんから、あのカン高い声で、やあ、こんにちはと声をかけられたら、もうぼうっとしてしもうてねえ」と、隆広さんは言う。隆広さんが登板した時、一塁塁上にいたのが大スター、長嶋茂雄(現巨人監督)だった。打者3人、四球3、投球数15、これが対巨人戦の全成績。その後近鉄、南海と移った隆広さんは、結局プロで1勝も挙げられず引退した。大場は「父のことは内心では意識している」と言う。口には出さないが、同じプロの世界で同じくサウスポーだった父の無念を晴らしたい。しかも飛び込んでいった場所が長嶋監督率いる巨人というのも「縁があるんでしょうね」と隆広さんは話した。担当の巨人中村スカウトは「体、とくに関節の柔らかさが大きな魅力」と言う。打つ方でも飛距離だけならPLの福留に負けない、と関係者は口をそろえる。だが大場親子は「投手で」という気持ちが強い。隆広さんが南海のトレーニングコーチをしていたこともあり、早速親子で自主トレを開始する。「まず父を抜くこと。でも1勝すれば抜いちゃうか」と言う息子に、父は「そんなこと言うとったら蹴っ飛ばすぞ。もっとスケールも大きくいかな」と本気で怒っていた。