goo blog サービス終了のお知らせ 

プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

山本和男

2017-12-24 19:21:56 | 日記
1989年

左の貴重な中継ぎとして広島カープから移籍してきたベテラン投手。プロ入り8年で通算8勝4敗防御率3.53をマーク、常に一軍で投げ続けてきた実績の持ち主。内外角にスライダー、シュートを巧みに投げ分ける投球術はまだまだ衰えを見せない。「優勝に中継ぎで貢献したい」とカズさんは意欲満々。新天地オリックスの水にすっかり慣れた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関清和

2017-12-24 19:18:34 | 日記
1989年

1年目、2年目と同期の西崎、阿波野におくれをとったが、今年こそ飛躍の年。速球と和製トムシーバーの異名もとった切れのいいスライダーを武器にローテーションの仲間入り。一気に2ケタ勝利も夢ではない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飯尾為男

2017-12-24 19:15:39 | 日記
1963年

阪神は飯尾為男投手(30)の整理を決めた。同投手は十二試合に登板して勝敗なし。前半戦はもっぱら負けている試合のリリーフ、後半戦はファーム落ちしていた。また飯尾投手以外の59選手全員の第一次保留名簿を15日セ・リーグに提出した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホフマン

2017-12-24 19:04:22 | 日記
1989年

大リーグ通算17勝の実績を持つ、オリックス期待の左腕投手、カーブ、シュート、スライダー、チェンジアップと多彩な変化球に加え、140㌔台の重いストレートを武器に、一昨年レッズで9勝をマーク。外人としては小柄(178cm)ながら、下半身が安定しており、内外角へ投げ分けるコントロールは絶妙。先発組(佐藤、山沖、星野、古溝)にホフマンが加わり、これで5本柱が完成。「日本人向きのピッチャーだ。最低2ケタは期待できる。エエで」上田監督もまんざらでもなさそう。門田効果が打線に与えた影響は大きいが、ホフマン加入による投手陣のそれもまた大きい。大リーグ仕込みのチェンジ・アップを学ぼうと、エース佐藤自ら教えを受けた。「マスターできそうだ。今年は打たせて取る幅の広いピッチングをする」と佐藤も意欲満々。一見神経質そうだが、根はいたって陽気なジェントルマン。優勝のカギを握る男ホフマンはもうチームの空気にすっかり溶け込んだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

迫田七郎

2017-12-24 16:34:24 | 日記
1965年

「負けたくなかった。そう思って必死に投げた」きっぱりそういった。池永正を意識したか、の質問には口をつぐんだ。負けたくなかった、というのは、もちろん池永正をさしている。シーズン初めこういっていた。「ぼくはテスト生。高い契約金をもらってプロにはいった人には絶対負けたくない。テスト生あがりでこれだけやれるんだ、というところを見せてやりたい」相手はその高い契約金でプロ入りした池永正。闘志がわいたに違いない。きゃしゃなからだつき、子供っぽい顔。だが、からだの中には気の強い薩摩っぽの血が流れている。池永正と並んで6勝。新人王争いは激しくなってきた。「新人王?池永正?関係ない。ひとつでも多く勝てば、それでいいんです」新人王のライバル池永正のことにはふれたがらない。池永正の名前を聞くたびにふくれっつらをしてプイと横を向く。「はじめて池永正と顔合わせをしたんです。勝ったといったって・・・。この次はぼくが負けるかもしれません。池永正はきっときやしがっているでしょう。その気持ちを次はぼくが味わうことになるかもしれないですよ。そんなにいばれませんよ」池永正のことより、久しぶりに満足のいく投球ができたことの方がうれしいといった。「スライダーがよかった。五番までを警戒したんです。チームが負けつづけていたでしょう。また負けたらたいへんだと思っていた。よかったな、勝てて」最後にやっと笑顔を見せた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

迫田七郎

2017-12-24 16:03:30 | 日記
1963年

大毎は十六日、東京スタジアム内の球団事務所で静甲いすゞの須藤鉄男投手ら三選手の入団を発表した。

投手 須藤鉄男(19)藤枝北高ーノンプロ静甲いすゞ、1㍍76、72㌔、右投右打。
迫田七郎(18)照国商、1㍍76、76㌔、右投右打。
内野手 林孝彦(19)大谷高ー京都大丸、1㍍74、76㌔、右投右打。
三選手とも背番号は未定。研修期間は百試合。

1965年

「勝ちたい、勝利投手になれるなら少しぐらい打たれてもかなわない。ゆうべは下宿の寝床の中で神にそう祈りました」プロにはいってはじめて味わった勝利投手の喜び。しかも完封というおまけつき。一昨年テストで入団し、とうとうつかんだ勝利投手の実感。目だけをギラギラさせた。「うれしい。そういう以外にどういっていいかわかりません。低めにボールを集めたのがよかったようです」武器は落ちる球。意識しないでも自然に落ちてしまうという。「おもしろいピッチャーをみつけたぞ。ボールがみんな沈むんだ。ひょっとするとこれは大物になる」一昨年秋のテストのあと、青木スカウトが得意そうに迫田のことをいっていた。故郷は鹿児島。「鹿児島市からちょっとはずれた海辺の町で育ちました」子供のとき、海が大好きでよく舟をこいで沖まで出たそうだ。うすい胸板や細い手足からは想像もつかない下半身。とくに腰のバネはこんな少年時代の海の生活の結果だ。投手が一番スタミナをつかう落ちる球を連投してもちっともヘバらない秘密がこんなところにあるのかもしれない。「オープン戦で東映には完投勝ちしているので、ちょっと自信はあったんですけど・・・。安打を六本打たれたが、みんな高めにはいった球。低めのストライクは一本も打たれませんでした」はずかしそうに小さな声でそういった。「やっとひとつ勝ってすごく気が楽になったような気もする。でも、もっともっと勝ちたいな」ことしの二月に二十歳になったばかり。口調にもまだあどけなさが残っている。ことしキャンプからつきっきりで世話をやいていきた真田コーチは「性格もまじめで努力家だ。いい球を持っているし、いまのまま努力と研究を重ねていけば、新人王はとれる。オレがとらせてやるさ。いや、黙っていてもきっととるに違いない」という。「新人王?そんなこといわないでください。やっとひとつ勝てただけなのに・・・」迫田は赤くなって下を向いてしまった。1㍍71、70㌔、右投右打。

芦屋の竹園旅館から甲子園の屋内練習場へ向かうバス。迫田は若い選手が集まる一番あとの席にすわった。昨年イースタン・リーグで12勝した二軍のエースも、一軍ではまだ新人。ボール運びも進んでやることし二十歳の青年だ。二十五日の東映戦(東京)で水原監督自慢の5点とれる左打線をみごとに完封してプロ入り初白星をあげ、一躍小山、坂井につぐ第三の投手に名のり出た。投球練習を始めると真田、植村コーチとナインの視線が集まる。打席に立った大沢は、外角球のときはよかったが、迫田の武器のシュートになると逃げ出した。「この球はどうやって打ったらいいんだ。とても手が出んぜ」「ほんとうにいい球を持っているよ」と本堂監督も満足気にうなずいた。投手としては小柄(1㍍75)。スピードも西、牧には一歩ゆずる。だが、真田コーチは「投手には決め球が必要だ。サコにはそれがある。去年より技術的にとくに向上したわけではないが、データなどで打者のクセをよく覚えている。度胸もあるし、自信をつけたのも大きい」と研究熱心をほめる。迫田の成長をいちばん喜んでいるのが植村コーチだ。昨年春、ハワイに行けなかった残留組の川口キャンプ。残された四人の投手の中に迫田がいた。寒い北風の中、ディサのお古のユニホームを着た迫田に植村コーチはつきっきりだった。「自然に沈む独得の球がおもしろい。テスト生だしぶっこわしてもともと」5㍍ほど前においたボールめがけて投げつける。腰を入れるための投球練習が毎日続いた。背番号43がクルリと打者の方を向く鋭いフォームはこのときでき上がった。「ボクは野球が好きでテストを受けた。高い契約金ではいった選手にも絶対負けたくない。東映戦での1勝はほんとうにうれしかった。きのうにいさんの家(大阪市此花区)に行ったら喜んでくれた。そのときほんとうの勝利の実感がわいてきましたね」兄の賢蔵氏は、迫田が鹿児島・照国高を卒業したあと一時つとめた鉄工所で働いている。「サコに新人王をとらせるのがことしのワシの仕事のひとつ。それだけの力はある」と本人以上に意気込んでいる真田コーチ。この期待にこたえるための条件をコントロールをみがくことと真田コーチ、本堂監督は口をそろえた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする