1954年
岩手高より一昨年富士製鉄釜石に入社、同年夏東北代表として都市対抗に出場したが、一回戦に名鉄局に2-0で敗れ、昨年の産別大会には川崎トキコを接戦に破り、優勝候補大昭和製紙に善投しながら味方の貧打で惜しくも2-0と敗れている。しかしこのとき以来ノン・プロ界に小武方ありと一躍名をあげ、その後夏の都市対抗にも出場して、準決勝まで勝進んだ好投手。彼の力量は昨年末のアジア選手権大会の出場選抜メンバーに加えられていることだけでも判るが、アジア大会では三度登板して日本チームのために大いに気をはいた。南海ホークスのみではなく大半のプロ球団から勧誘を受けていた大物投手である。
岩手高より一昨年富士製鉄釜石に入社、同年夏東北代表として都市対抗に出場したが、一回戦に名鉄局に2-0で敗れ、昨年の産別大会には川崎トキコを接戦に破り、優勝候補大昭和製紙に善投しながら味方の貧打で惜しくも2-0と敗れている。しかしこのとき以来ノン・プロ界に小武方ありと一躍名をあげ、その後夏の都市対抗にも出場して、準決勝まで勝進んだ好投手。彼の力量は昨年末のアジア選手権大会の出場選抜メンバーに加えられていることだけでも判るが、アジア大会では三度登板して日本チームのために大いに気をはいた。南海ホークスのみではなく大半のプロ球団から勧誘を受けていた大物投手である。