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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

杉山重雄

2011-10-29 15:52:35 | 日記
フォーム・・・左オーバースロー

球種・・・カーブ、シュート、胸元を突くストレートが武器


・ヤクルト入団時は、コントロールをつけることが課題だった。最初から巨人にはいきたくなかったという。当時の弱小・ヤクルトを自分

の力で上位に導きたいという反骨精神を持ってのプロ入りだった。

プロ初勝利

・ことしのドラフト1位指名・杉山が9月23日の広島戦「広島球場」で待望の初白星を挙げた。「うれしくってとびあがりたい気持ち

です。この1勝を踏み台に、もうことしは残りわずかですけど1勝でも2勝でもしたい」と、全身で喜びを現していた。

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横山晴久

2011-10-29 15:52:21 | 日記
フォーム・・・183センチ・85キロの巨体から投げ下ろす投球は威圧感十分だが、その反面、恵まれた体格を生かしきれていない

面があり、投球時に胸のハリがない、腕の力だけに頼っているなどの欠点が指摘されていた。


球種・・・重い球質の速球、シュート


1972年の資料

・ドラフト1位で入団した横山はいぜんとして低調だ。初先発したイースタンリーグ・大洋1回戦で9安打の7失点という苦い敗戦。

続く5月2日のロッテ3回戦「東映多摩川」の登板二戦目も、左の問矢に1号ホーマーを許し、9安打を浴びて二戦二敗という

現状となっている。土橋二軍監督は「配球がもうひとつ甘い。どこといって欠陥はないんだが、全般に球威不足だ」と

6月に一軍昇格をメドにしていた横山の不振に渋い顔だった。

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日高晶彦

2011-10-29 15:51:34 | 日記
フォーム・・・右オーバースロー

球種・ストレート、カーブ、シュート、スライダー


1971年、3月14日・徳山で行われた対広島のオープン戦に、日高、皆川、杉田の三人の新鋭が相次いで登場した。

田宮監督の狙いは、むろん新人の中から一人でも使える投手のメドをつけたい、というもので、その狙いはズバリと当たって

三人ともなかなかの好投をして監督の期待に応えた。なかでも出色は先発して4イニング投げ、わずか3安打に抑えた日高。

日高は広島商業の出身ということもあって、先発を命じられると勇躍してマウンドを踏み、外角へピシリと決まるストレートと、

大きなカーブを武器に広島打線を牛耳った。ネット裏に陣取った、日高の高校時代を知る人の口からは「高校時代より球が速く

なった」といわれるほどだったが、本人は「自分では速いとは思いません。ただコントロールはよかった。広島のバッターが当たっていない

んじゃないですか」と変な謙そんをしていた。

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千葉剛

2011-10-29 15:50:50 | 日記
投球フォーム・右オーバースロー

球種・・・ストレート、カーブ、シュート、プロ入り後にスライダーを取得した。


1970年・「あいつ、不思議な男や」とナインにいわれているのが新人の千葉投手。練習ではまるでさえないにもかかわらず実戦になるとピシャリ。とにかく、三度の紅白戦はいずれも無失点。オープン戦・初戦の近鉄戦では先発に起用され、味方のエラーから2点は失ったが、内容は立派なもの。このため6月デビューに的をしぼっていたコーチも考えをすっかり変えた様子。「あいつは度胸と勝負運で持っているのと違うか」とは、あるベテランの話だ。日鉱日立に入社早々、まだ成人式もすんでないというのに一升五合の酒をペロリ。先輩に殴られそうになったらニッコリ笑って黒田節をうたったとか。豪快な性格に加え勝負ごとがめっぽう強いときている。「マージャンではまだ負けたことがないと胸を張るほどあいつは強いよ」とはカモにされた上垣内や西沢らの弁。だからこそカーブも曲がらないといったピッチングでも通じるのかもしれない。

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有田二三男

2011-10-29 15:50:19 | 日記
.
フォーム・・・右オーバースロー

球種・・・伸びのあるストレートが武器、カーブ、シュート


・1973年ドラフト直前・有田は「どうせ入るのだったら、在京以外のセリーグのチームがいい。満員の後楽園で王さん、長嶋さん

を相手に投げてみたい気もする。パリーグだったら絶対行きたくない。もしプロに進むようだったら、2ストライク後の投球を

じっくり研究していきたい」と語っていた。

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保坂英二

2011-10-29 15:50:02 | 日記
フォーム・・・・左スリークォーター

球種・・・169センチ・67キロのがっちりタイプで武器はストレートと、切れのよいカーブ。小細工などせず小気味いい
投球をする。

・1971年・ドラフト前の評価は「上背はないが、あのスピードは捨てがたい、やはりドラフトの対象になる」・・・阪神、河西スカウト

「あれだけストレートが速いと魅力だね。小さくても、いい素質をしている」・・阪急、丸尾スカウト

東映の他に巨人、ヤクルトも上位にリストアップしていた。


・1972年・8月9日のロッテ戦で「飛雄馬くん」の愛称で呼ばれる、ルーキーの保坂がうれしいプロ初登板をした。山根コーチから

「飛雄馬、行けッ」といわれたときは、さすがにガタガタと震えがきたという。「最高にあがった」いくなりストレートの四球だが「ストライク

を一つとってから落ち着いた」3三振、被安打0、で2イニング無失点と立派なデビュー。張本らにもよく投げたとほめられ気をよくし

た。「別にコワいバッターはいなかった。これで自信がつきましたよ」と、やや興奮気味に話した。

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中原勇

2011-10-29 15:49:12 | 日記
フォーム・・・左オーバースロー

球種・・・ストレート、シュート、決め球は落ちるカーブ
178センチ、70キロと細身の体格から投げ下ろすボールは威力があった。

1971年の資料

・中原勇が今季初勝利をマークしてオイオイ泣いた。6月20日、後楽園で行われた阪急14回戦で中原勇は先発の高橋直を8回

のピンチから中継ぎ、見事な火消しで一勝をあげたもの。しかも登板数はこの試合までで二十四試合とリーグ最多。「とにかく

一勝がなんとしてでもほしい。リーグ最多登板でゼロ勝とは格好がつかん。皆川は新人のくせに九勝もかせいでいるんだから、よけい

哀れになっちゃうよ」それだけに、今季初勝利、それも首位阪急にひと泡吹かせる大金星を立てただけに中原勇は、試合の

あと、両目から大粒なうれし涙をタラタラ流し感激しきり。インタビューもそこそこに「きょうだけはこらえてくんしゃい」と

鹿児島弁丸だしで、ただただサロンへ一目散。電話の受話器をつかむなり「おっかさん、やっと勝ちました・・・」

と鹿児島の母親に初勝利の報告をしていた。

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名取和彦

2011-10-29 15:48:47 | 日記
球種は、ストレート、カーブが主体で、投球に幅を持たせるためにフォークボールなどのタテの球も習得できれば・・・という感じです。

投球フォームは、全体に躍動感があふれていて、典型的な本格派のフォーム。一貫して上下動が軸になっており、バネの強さを

感じさせる、あえて例えるなら若い頃の星野仙一を思わせる投球フォーム。

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鵜飼克雄

2011-10-29 15:48:03 | 日記
フォーム・ノーワインドアップ投法の変則サウスポー

球種・・・ストレート、カーブ「スローカーブ?」、シュート

1975年の資料・・・・プロ初勝利
・「子連れルーキー」として昨年、話題をまいた鵜飼がドラフト1位の真価を発揮。6連勝と波に乗って独走しかかっていた近鉄をヒット2本という完璧なピッチングで完封。プロ入り初勝利を飾った。8月22日、静岡での試合だ。中西監督の握手に迎えられてベンチに帰ってきた鵜飼は興奮で肩と声をふるわせて「人生で一番うれしい・・・」と感極まった感じ。無理のない「本格派・左腕」
「新人王最有力」と騒がれながら昨年は11試合に登板したが計14回3分の2の投球回で防御率はなんと10・20だった。2年目の今年も、これといった働きもせず後期に入ってやっと近鉄戦に2度先発したが、1イニング、3イニングしかもたなかった。好調・近鉄の左打線封じへの期待に十分応えられなかったわけだ。このため、逆にこの日の近鉄には「いつでも打てる」という安易感があったのだろうが、中西監督、鵜飼も「この前は打たれはしたが、あの登板でいけるという自信がついた」と口を揃える。とはいえ「きょうは何がよかったということはわからない。全部の球を投げたが、とにかく2-0の得点を考えると、油断はできないからシンドかった」といっていたが、疲れるのは当然。先発は3日前にいわれていたが、前夜の太平洋戦に3分の2イニングだが救援で登板していた。「とにかくうれしいの一言です。さっそく女房と子どもに電話して喜ばせてやります」と最後まで感激にふるえていたが、中西監督の喜びはもっと大きい。「高橋博の好リードもあったが、スローボールをうまく使ってスイングを鈍らせたのが効いている。あれこそ左投手の特色。これでピッチングのコツをつかんでくれたでしょう」こ満悦だった。

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児玉好弘

2011-10-29 15:47:24 | 日記
フォーム・・・オーソドックスな上手投げ

球種・・・ストレート、カーブ、シュート、スライダー「主にシュート、スライダー中心の組み立てをする」


・1971年ルーキー時の春季キャンプでは児玉投手を一目見た、西本監督が「いいツラ構えをしている」とピッチングを見る前に
根性マンらしい児玉にホレ込んだという話もある。又、この年の阪神とのオープン戦で田淵幸一に死球を与えた際に
「内角のシュートだったが、あのくらいの球は相手が避けてくれないと困りますよ・・・」と発言、図太い神経の持ち主だった。

1972年の資料
・日本シリーズの伏兵の一人として首脳陣から期待され巨人サイドからマークされている児玉は10勝目をマークした。

「開幕からなんとか10勝を・・・」と手の届く現実的な目標にこの数字をあげていただけに「やはり9勝と10勝とでは気分

が違いますよ。ほんとにいいもんです」と喜んでいたが、日本シリーズの状兵だという声が高まるにつれてますます自信も

出たようだ。「巨人打線は荒れ球のピッチングに弱いらしいので、ボクの出番があるかも知れません。余り参考材料など

頭に入れずぶっつけ本番でやります」東の菅原「巨人」、西の児玉といわれるダークホース、ともに巨人、阪急が

ある意味でポイントとする投手だが「ОNでも人間ですよ、どんな球を投げても打てるわけではないでしょう。思い切って

やりますよ」と仁鶴ばりの四角いアゴをなでまわしている。巨人ー阪急・5度目の対決、果たして阪急の

宿願なるかどうか見ものである。

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奥江英幸

2011-10-29 15:46:38 | 日記
奥江英幸・投手

フォーム・・・右スリークォーター

球種・・・ストレート、内角をよぎる、えげつないシュート、タイミングが合わせづらいカーブ、決め球はスライダー

ピッチングのタイプ・・・一発を打たれるとカッとなるクセがある。インコースを強気に攻めるピッチングを身上としている。

強敵に向かえば向かうほど、本領を発揮するタイプである。


・奥江投手・痛恨の不祥事

1980年7月13日・日生球場で行われた、近鉄ーロッテ・後期2回戦の5回ウラ、押し出しの四球の判定をめぐって、これを不服

としたロッテ・奥江投手が暴行を働き退場させられた。この押し出しと判定されたと同時にマウンド上からダッシュしてきた奥江は

グラブをはめた左手で大野球審のマスクへ一撃、さらに胸を突き、足蹴りもかました。

奥江投手「審判に暴行を働いたのは悪いと反省している。あの場面ではストライクをとりにいくしかないし、自信を持って投げた球だ

った。大野球審は低いとの判定だったが、絶対に低くないと信じている」

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前田康介

2011-10-29 15:45:52 | 日記
・フォーム・左オーバースロー「中継ぎタイプ」

球種・・・ストレート、カーブ、シュート

・1972年の資料
成重、倉持が一軍入りして底をついた感じのロッテ投手陣。もちろん投手10傑にも誰一人、顔を出していないが、そんな不振ムードの中で八月中旬にファーム落ちした前田康が完封で初白星を飾った。首位ヤクルトとの15回戦「武山」がそれで3安打の6三振という投球内容。今シーズンの前田康は一軍でも出ては打たれで目下連敗中のゲンの悪さ。だからイースタンでのこの完封勝利が今シーズンの初勝利でもあるわけ。してやられたヤクルトの井上、山田らは「うまく左右へゆさぶってきた。制球も良かったし、あれだけ投げられるのにどうして一軍で勝てないのだろう」と首をかしげたほど。この前田康、東洋大から電電四国を経て45年に入団した三年生。昨年の近鉄戦で初勝利をあげ「「今年こそは左の中心投手になるだろう」と期待を持たれていた。一説にはこの初完封、先日一軍入りした左のルーキー上田がデビュー戦の阪急戦で好投したのに刺激されたという声もあるが、いずれにせよ不振続きだった前田康にとっても、再起の足がかりとなりそうだ。

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湯口敏彦

2011-10-29 15:45:19 | 日記
フォーム・・・・超・高校級の本格派・サウスポーだった。

球種・・・ストレートは同期入団の佐伯「広島」に匹敵するほどの威力があった。角度のあるカーブも投げていた。制球難が

致命傷だった。


1973年・3月22日・湯口の急死は衝撃的だった。
・湯口の死から4日が過ぎた3月26日。多摩川にこんなシーンがあった。白ユリの花束を持ったひとりの女子高生が訪れたのだ。
「これを湯口さんの霊前へあげてください」都内に住む高校2年生のこの女性は、湯口の入団したときからのファンだそうで、よく多摩川にも応援にやってきたものだという。花束には「湯口さんのご冥福を祈ります」という紙もそえてあった。さっそく、ナインの代理で2軍の鴇田トレーナーが、この心のこもったプレゼントをあずかった。「わかりました。合宿の湯口の部屋に飾ります。ほんとうにありがとうございました。」感激の鴇田トレーナー。ユリの白さが印象的だった。あれから、まだ幾日もたっていないのである。はっきりいって「湯口ショック」は巨人全体を暗くおおっている。とりわけ、ついこの間まで、同じ仲間として湯口と生活し湯口と汗を流し合ったファームの選手たちこそ、心の痛手は大きい。「なぜ、あの夜、すぐに湯口の死を教えてくれなかったんだ。たった一人で死んじゃったあいつが、可哀想で、可哀想で・・・」その死の冥福を祈って、二十四日の練習前、選手達は一分間の黙とうを捧げた。だが、悲しみとショックの大きさは、こうした多少、不満そうな声とともに、多摩川にも尾を引いていたのだ。だから長嶋が、なんとかみんなの気を引き立ててやろうと
「声をだせ」と叫んだのも、実のところ、こんな雰囲気とも関係があったといってよい。「湯口ショック」の多摩川は、こうしてミスターGの振りまく雰囲気で、ようやくにして救われていた、というのが実情だった。

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新井良夫

2011-10-29 15:44:43 | 日記
投球フォーム・・・若き日の堀内「巨人」を思わせるダイナミックな本格派のフォーム

球種・・めっぽう速いストレート、大きなカーブ、キレのよいスライダー

・ピッチングの特徴・・・ウエスタンの試合のない日には、1軍のバッテイング投手に新井が、かり出されている。「速いな、新井の球が打てたら、金田・・東映、東尾・・西鉄、の球なんか軽いぞ」打撃に自信のある長池、森本、加藤ら主力もびっくりするほどの快速球をなげる、フォームも決して悪くない、だが残念ながら、きわどいコースをつくコントロールに欠けることと配球の拙さが新井の進歩を妨げている。野口投手コーチにいわせると「いい素質をしているが、もうちょっとだね」と、まだまだ甘いようである。

・1軍入りの決意・・・「早く上で1勝を挙げたいですが、チャンスを待っていても、なかなか来ないし・・・しかし、まだ希望を捨ててません」球速ではエースの山田にも匹敵するものを持っている新井。このところ、バッテイングピッチャーを兼ねて1軍ベンチ入りしている、本格派でフォームの美しさは目を見張るばかり「あまりフォームが、きれいすぎて威圧感に欠ける」といわれるほど。ウェスタンではすでに6勝しており最多勝の有力候補だが1軍入りでタイトルの望みは消えた。「ボクはこれで良かったと思います。ことしで4年目でしょう。なんとか目ハナをつけんといけません。1昨年ちょっとチャンスを与えられたが、つかみ損ねた。だから今シーズンはなんとかして・・・と思ってました」こういって、ローテーション入りを目指しがんばっている。

・1972年の日本シリーズを控えた練習では、球質、フォームなどが堀内「巨人」に似た新井を「打倒・堀内」の試験台として連日、
シートバッテイングのマウンドに立たせた。「新井を打ち込めれば、堀内もいけるぞ」と首脳陣は冗談めかしていたが、新井の調子が良すぎて打者は押され気味だった。

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池島和彦

2011-10-29 15:44:05 | 日記
フォーム・・・右オーバースローの技巧派
球種・・・ストレート、シュート、スライダー、決め球は角度のある大きなカーブ
低めの制球力が優れていた。

1970年の資料
・「やはり二軍にいると、わびしくなりますネ」池島の口から出るこの言葉には、オープン戦で見せたピッチングのような元気さはなく弱々しい。オープン戦での池島は、ひねくれ球で、村山監督から「使えそうだ」とお墨付きをもらったものだ。スピードは決して豊かではないが、キレのいいシュートと鋭いカーブ、それにコントロールは新人とは思えないほどの巧みさを持ち合わせていた。「ひよっとすると、ドラフト1位の上田よりいいかも知れんぞ」と村山監督をはじめとする首脳陣は「秘密兵器誕生」とばかりニンマリしたものだ。それが公式戦に入ると同時に、池島の名前は一軍メンバーから消えた。二軍落ちの最大の原因は「球威不足にある・・・」と村山監督はいう。「やっぱり、プロはスピードがなければダメですね。でもボクの場合は、だいたいが技巧派でしょう。速球で抑えるというよりも変化球でかわすピッチングです。スピードをこれから増すのはムリだから、打者とのカケ引きを覚えたいですね」こういう池島は、いまのところウエスタンリーグではエース格である。特に3度目の二軍の先発を務めた5月3日の中日戦は5イニングを零封し勝利投手になった。この試合は池島にとって意義のあるものだった。中日の先発は星野仙一。星野とは明大時代にライバルとして争い、池島はいつも星野のカゲに隠れていた。「いつかは勝ってやる」と燃やしていた執念が二軍の試合とはいえ、見事達成できたことは、池島にとって大きな励みになったはずである。「投げ勝ったのはうれしいですよ。でも一軍で勝たなければ仕方ありません」と池島は闘志を新たにしている。三協精機時代、巨人にドラフト指名を約束されながら結局、指名されずコケにされた。「なんとしても巨人に勝って、あの時の恨みをはらしたい」それにはまず一軍入りを果たさなければならない。「必ずやり遂げますよ」といいきる池島からは二軍選手にありがちな、望みを失ったようなムードは感じとれなかった。

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