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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

小野剛

2025-06-27 19:05:44 | 日記
2001年
187㌢の恵まれた体格からMAX145㌔の速球を投げ込む。2部ではこれほどの速球を投げる投手はいない。1年から主戦投手を務め、積み重ねた白星が37個。阪神・藪が東経大時代にマークした36勝を超えて、首都リーグ2部の新記録を作った。


2004年


昨年はイタリアのセリエAでプレーして、外国人選手のポジティブな思考を学びました。向こうで覚えたシュートとツーシームを効果的に織り交ぜて、気持ちでは絶対に負けない攻めのピッチングをアピールします。


2005年


「最高のチームでプレーできて、こんな野球が楽しかったシーズンは初めてでした」
巨人、サンマリノ(イタリア)を経て、昨年ライオンズにテスト入団、一軍で11試合に登板した。今シーズンは生命線であるシュートに、さらに磨きをかけてのぞむ。「潮崎さんから教わったシンカーがいいヒントになって、これまで以上に曲がるシュートを投げられるようになりました」ライオンズ投手陣には貴重な、打者の胸元を攻める大胆な投球でアピールしていく。「今年こそは少しでも優勝に貢献して、僕を拾ってくれた球団と伊東監督に恩返しをする、それだけです」


2006年


「このオフの期間中、12球団の選手の中で、だれよりも厳しい練習をこなしてきたという自信があります」ほほの肉は削げ、真っ黒に日焼けして、一段と精かんな顔つきになった小野投手。走り込み、投げ込み、ウエートトレーニングなど、一人で黙々と取り組んだ自主トレの結果、体重は5キロも絞られた。納得のいかない成績に終わった昨シーズンを払拭し、今年にかける意気込みが全身から伝わってくる。「球の良しあしやフォームにこだわらず、どんな形でもいいから、とにかく結果を出す。打者には、生きるか死ぬかの勝負のつもりで向かっていきます。精いっぱいのピッチングをお見せしますので、温かい応援をお願いします」

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アキラ

2025-06-21 16:41:07 | 日記
1996年
注目ナンバーワンは山梨学院大付の伊藤。182センチ、76キロの恵まれた体格から、140キロを超えるストレートと球速を変えた二種類のカーブが武器。


身長182㌢、体重78㌔の左腕。最速144キロの直球を内外角に散らし、ドロップ形に落ちるカーブが武器だ。

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三上真司

2025-06-21 16:36:56 | 日記
1997年


143㌔の直球と落差のあるカーブが持ち味で夏の甲子園は8強入りを果たした。
敦賀気比の三上と前橋工の佐藤崇の投げ合いになりそう。三上は甲子園入りしてからカーブの切れがいい。ときおりスライダーやフォークも投げ、相手打線の打ち気をそらしてきた。十八日は休養も取れ、いつも通りの好投が期待できそうだ。

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小島善博

2025-06-18 21:22:15 | 日記
1993年
つかみどころのない男だ。春季キャンプで肩の痛みを訴えたかと思えば、復帰したばかりの6月24日のロッテ戦であっさり完封勝利をあげた。チームが苦手とするマリーンズ打線をなんの苦もなくゆうゆうと3安打に封じ込んだだけの力がありながらフルシーズンを乗り切れなかったのは何が原因しているのか。ことし、自分でその答えを出して欲しい。


1994年


昨年はついに一度も一軍で投げることがなかった。左肩の腱板を痛め、満足にシーズンを送ることができなかった。だましだましファームで14試合に登板、3勝をマークしたが、秋の鴨川キャンプでも肩の痛みはとれなかった。あまり闘志が表に出ないタイプだけに、首脳陣もやきもきしているが、まず肩の状態を完全にすることが先決だ。かつてのロッテ・キラーの復調を待ちたい。


1995年


一軍戦4試合の登板はすべてダイエー戦。そのうち一度は先発(5月10日・北九州)だった。投手陣のコマ不足という苦しい事情はあったが、何よりも小島の持つ独特の意外性に首脳陣は賭けたのだろう。唯一の先発も3回KO、と昨年はいいところなく終わったが、平成3,4年はロッテ相手に見事な完封劇を演じたサウスポー。持ち前のプラス思考で低迷から脱出したい。


1996年


4月1日の開幕ベンチ入りを果たしながら、2日後にはその姿を消していた。4月16日に再登録されたものの登板機会が与えられないままに登録抹消と、昨年は寂しいシーズンに終わってしまった。足、ひじ、ヒザと次から次へと襲ってくる故障に悩まされたのは素直に認めつつも、やり場のない悔しさがその表情ににじみ出ていた。ルーキー時代のあのヒョウヒョウとしたマウンドさばき、左腕不測のチーム事情だけにもう一度名乗りを上げてほしい。


1997年


グラブを激しく叩きつけたその顔が何とも悔しそうだった。昨年の名護キャンプ、右ひざを強くひねってそのままリタイヤ。「今年こそ」の意気込みに燃えていた矢先のアクシデントだっただけにやり場のない思いだっただろう。低迷した昨年はイースタン5試合に登板したのみ。右ひざの痛みがいつの間にか右ひじにも伝染し、しつような故障に泣かされ続けた。のどから手が出るほど欲しいサウスポー。そんなチーム事情があるだけに今季も首脳陣の熱い視線が光っているはずだ。一軍での実績を持つ小島の意外性に期待したい。


1998年


8月22日のオリックス戦(東京ドーム)で5年ぶりの白星を挙げた時、その顔に何とも言えない安堵(ど)の表情を浮かべていたものだ。リリーフすること18試合。人一倍の走り込みと筋力トレで故障を克服し、やっと戻ってきた懐かしい一軍戦マウンドだった。再び投げられる喜びを体一杯にみなぎらせ、後半戦はワンポイント左腕として堂々の活躍ぶり。イチローらパ・リーグには左の強打者が多いだけに、小島の復活は心強い材料だ。

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ハッカミー

2025-06-18 21:16:18 | 日記
2000年
昨年のチーム勝ち頭。シンカーとチェンジアップをボール球に配し、打たせて取る投球を展開。球団史上14人目の助っ人投手で、2ケタ勝利はブロスに次ぐ2人目。

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中西有希人

2025-06-18 21:12:23 | 日記
1997年


大石投手コーチの目に止まったのは昨秋の鴨川キャンプだ。教えられることのすべてを吸収しようとする素直でどん欲な性格。「一線級に混じってよく練習についてきている。体中がパンパンに張ってピッチングも満足に出来ないのでは・・・」というコーチ陣の心配をよそに翌日のシートバッティングで若さあふれる投球で打者を圧倒した。角度のある大きなカーブにチェンジアップ。更に走りこめばまだまだストレートの伸びも増してくるだろう。すべてが勉強の一年目だったが、自分自身の限界にあくまで挑戦していく姿勢は、いつか必ず報われるはずだ。

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本原正治

2025-06-18 21:09:50 | 日記
1986年
右の本格派投手で終速140キロをマークしたこともある速球派。コントロール、カーブのキレなど、まだ一軍入りへの時間がかかりそうだが、将来は槙原のようなタイプに育ちそう。だれと接しても笑顔を絶やさないひょうきんな男でもある。


1987年


広陵時代は岡田(西武・近大福山)と並び野球王国・広島を代表する投手。線の細い体から独特なフォームで繰り出す145キロの速球に魅力。課題は制球力と変化球。現在、スプリット・フィンガード・ファストボールをマスター中。スタミナがつけば…。


1988年


腕がムチのようにしなる変則的フォームから繰り出す速球は威力抜群。「バッターからして見ればイヤなタイプのピッチャーだ」と王監督の期待も高い。1軍はまだ未経験だが、3年目の今年はチャンス。秘密兵器として、まず中継ぎで経験を積むのが目標。


1989年


着実に成長をとげている速球派右腕。ファームでは昨年、橋本に次ぐ7勝。先発、中継ぎ、抑えと3役をこなした。ただ、線が細く1軍にままだ力不足。パワーさえつけば、上で活躍できる力は持っているだけに今年は楽しみ。「ファームの柱として頑張ってもらいたい」と須藤監督も期待を寄せている。


1990年


昨年はファームで7勝し、期待されて迎えた昨季はわずか1勝に終わった。波に乗った時はストレートがズバッと決まるが、単調になりやすい。緩急をつけたピッチングを覚えれば、ひと皮むける。素質は誰もが認めるだけに、実戦の中で潜在能力を発揮すれば・・・。

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真木将樹

2025-06-18 21:02:01 | 日記
1998年
期待の即戦力左腕ルーキーがやってきた。東京六大学リーグ戦では25勝、大学選手権でも優勝に導くなど実績は12球団のルーキーの中でも1、2を争う。猛牛投手陣には大学の先輩・高村もいる。「僕もストレートで三振が取れる本格派を目指したい。高村先輩にもいろいろと教えてもらいたい」と、エースの極意を高村から貪欲に吸収するつもりだ。MAX143キロの速球はキレがあり、一級品のスライダーも巧みに操る。フォームのバランスのよさはすでに「完成の域にある」と球団関係者は高評価。「高橋(巨人)、川上(中日)らには負けたくない」とリーグは違えど、同じ六大学出身ルーキーにライバル意識を燃やす。穏やかな風貌だが、負けん気は相当だ。小池に続く先発右腕として、期待は大きい。パ・リーグ新人王線の◎は、この男を置いていない。


1999年


昨年、シーズン途中からすい星のように現れたドラフト一位左腕にファンの視線はクギづけになった。思いきりのいいストレート。キレ味鋭いスライダーでプロ1年生が胸のすく快投を披露。東京六大学リーグ通算25勝の実績はやはりダテじゃなかった。6月13日、西武を相手にプロ初先発初勝利。新人王レースは次点に終わったものの、先発ローテーションの一角を支配した。オフには、しのぶ夫人と結婚。公私とも充実したルーキーイヤーを終え、今季はさらなる飛躍を狙っている。


2000年


新人だった98年に先発で6勝をマークしながら昨年はフォーム改造に苦しみ3勝どまり。雪辱を誓って2000年シーズンに臨む。梨田監督も小池の穴を埋めるローテーションの一角として期待。145キロを超す直球でグイグイ押す強気の投球が復活すれば、10勝以上は間違いなしだ。


2001年


飛躍を期待された昨年は、春先に調子を崩し、わずか2勝に終わった。だが、フォーム改造へ悩みぬいた1年はムダではなかった。終盤には完封勝利を挙げるなど復活の手ごたえ。今季はローテーション定着がノルマだ。

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三上真司

2025-06-18 20:57:36 | 日記
1998年

143キロの速球と大きく曲がるカーブで夏の甲子園ベスト8。「右の三上、左の川口(平安高)」と並び称された。「この右腕で野村監督の胴上げを」


1999年


ゆったりとしたフォームから繰り出すブレーキのきいたカーブが武器。近未来のエース。


2000年


強気と140キロ超の速球はさすが、好素材を感じさせる。カーブ次第で一軍昇格は速そう。


2001年


待望久しかったドラフト1位が3年目の昨年、ついに一軍デビュー。「神宮マウンド」を糧に今季どこまで伸びる?

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高塚信幸

2025-06-12 16:39:49 | 日記
1996年
2年ぶりの優勝が可能かどうかは本格派右腕エース、高塚の出来次第。180㌢、75㌔のバランスのとれた体。一年生だけに下半身はこれからだが、それでも秋の和歌山大会では球速143㌔を記録するなど、素質は高い。この速球と切れのよいカーブを武器に公式戦10試合で計50の三振を奪った。


「智弁和歌山の投手はすごい」と前評判どおり180センチの右腕、高塚は投げづらい初戦のマウンドにもかかわらず堂々と実力を出しきった。直球と縦に大きく割れるカーブだけだった。その他の球種が投げられないのではない。スライダーもフォークも投げようと思えば投げられる。「しかし、本人がこの二種類の球だけでいくというものだからその通りにさせた」と高嶋監督の説明。裏返せば高塚はよほど自信があったということだ。

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宮地克彦

2025-06-09 18:06:50 | 日記
1989年


シュート、スライダー、カーブと変化球主体で、変則フォームの左投手のため打ちにくい。

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山原和敏

2025-06-08 21:00:26 | 日記
1993年
昨年夏の都市対抗、対日本石油戦では、持ち前の速球で3回2/3を2安打ピッチング。徳永、若林らバルセロナ組を要する日石打線を完全に詰まらせてドラフトに名乗りをあげた。さらに10月の日本選手権では、都市対抗の覇者日本生命戦で5回途中からリリーフ、1安打に封じて「1位入団」を決定づけた。「どうすれば速いタマが投げられるか、ということばかり考えている」と言うスピードの申し子。即戦力の抑え投手として注目のデビューだ。


1995年


退団した大沢前監督がどれほどその復活を待ち続けたことか。右肩手術からやっと6月、待望の一軍入りを果たしたのもつかの間、ブルペンの投球練習中に再び右肩に痛みが走って登録抹消、ついに昨年は一度も一軍のマウンドを踏みしめることができなかった。その胸中、察するにあまりあるが、昨秋の黒潮リーグでは145㌔までに速球がよみがえってきている。今年、先発要員の一角にくいこんでくるのか、注目の3年目だ。


1997年


体がふっくらと厚みを増してきた。その表情にもさわやかな笑顔が戻ってきている。ここ3年間、右腕の故障に泣き続けた山原だが、勝崎コーチおすすめのアミノ酸を常用するようになってから痛みがウソのように消し飛んでしまった。昨秋の沖縄教育リーグでは3戦して3勝。㍻年のルーキー時代、抑えで起用され、開幕わずか1か月で1勝5セーブをマークしたストレートの勢いがよみがえってきている。「145キロは出ています。あとひと息」と言う150㌔速球が復活したとき、山原の4年ぶりの雄姿が見られるはずだ。


1998年


首脳陣の頭の中で「山原」の名前がいつも点滅している感じだ。どうしても波に乗り切れない。4月26日の西武戦から3試合連続してセーブを挙げたとき、そのストレートはMAX147㌔をクリアしている。ただその速球が高めに浮いて棒ダマになったとき、いとも簡単に打者の餌食にされてしまうのだ。腕の振りは完全に好調時に戻っている。あとは低めへの制球力。若い投手が雨後の筍のように伸びてきている。ウカウカとはしておれない。


1999年


4月に右ひじの手術はしたものの意欲的な取り組みで不安を克服しつつある。イースタン後半戦では抑えを務め、19試合に登板し9セーブ。防御率も1.99と安定した成績を残した。何より好感触を得たのは連投を経験できたことだ。スタミナはまだ完全とまでいかないが9月3日のイースタン・ロッテ戦ではMAX148㌔を記録し、その表情に明るさが戻ってきた。快速球・山原の復活はすぐそこに追ってきている。


2000年


4年、実に1500日ぶりの勝利に目頭を何度もこすった。昨年5月22日の近鉄戦(東京D)に先発、序盤のリードを5回まで持ちこたえ、あとをリリーフに託して涙の白星。続く29日のオリックス戦(神戸)では6回を4安打散発の無失点に封じ切って山原の完全復活は成ったかに見えた。久々の力投は、体のあちこちに少なからずダメージを与えていたのだろう。6月初めに右足を痛め、さらにはぜん息の追い討ち。そしてついには又右ひじ遊離骨の除去手術、と辛い日々が続いたが、再起への手ごたえはMAX146㌔をマークしたその右腕がしっかりとつかみ取っている。好調時なら150㌔もクリアする快速男の勇姿を今年は見ていたい。

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内山正博

2025-06-08 20:51:38 | 日記
1991年
昨年、一軍で投げた13人のなかで、先発が一度もなかったのが内山だけだった。近藤監督が、いつも手駒に置いて、いかに効果的にゲームに投入しようとしていたかがうかがえる。外見的にはまったくものおじしないひょうひょうとした風ぼう。得意のシンカーを駆使してのマウンドさばきも、とても新人とは思えない落ち着きがある。監督として、もっとも使いやすい、というより使いたいタイプではなかったか。8月2日のロッテ戦。先発角が5点のリードを守り切れず、5回途中で3点を取られKOされたあとだ。まだ無死一、三塁のピンチに「ゴー指令」が下ったのが内山だった。ディアズを遊ゴロ、初芝を二ゴロ併殺と、顔色ひとつ変えず、わずか4球でこのピンチをしのいだルーキーに、両軍ベンチとも声がなかった。「使える…」と近藤監督が強く心にキザみつけたのは、このときだろう。たのもしい中継ぎ投手の誕生だ。

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安達克哉

2025-06-08 20:48:55 | 日記
1996年
大リーグの奪三振王ランディー・ジョンソンを徹底研究。大きく曲がるスライダーと、手元で小さく逃げる安達ボールの効果的な使い分けで新境地を開拓。今年こそ、一軍に名乗りをあげる!

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林純次

2025-06-08 20:46:33 | 日記
1996年
ドラフト会議の席上で、他球団をアッといわせた隠し玉。下半身のバランスの良さが生む抜群の制球力と、タイミングよく決まるスクリューとスライダー。ドラフト同様、虎の秘密兵器として、アッと驚く活躍に期待。


1997年


ルーキーイヤーの昨季は、左のワンポイントとして開幕ベンチ入り。ストレートと同じ腕の不利から繰り出すスローカーブでアピール。オフには徹底的に体をいじめ抜くとともに、打者心理を研究。中継ぎの一角とし、その成果を試す。

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