何時もの様に、街からアストラムライン沿いに歩いて牛田の町に入ろうと、
工兵橋の所に来ると黄色い囲いがされています。
「工兵橋の歩板をなおしています」と書かれた看板が立てられています。
工兵橋は吊橋で、歩く所は木の板です。
木ですから何年かすると木が腐って穴が開いてきたりします。
穴から川の水が見えたりします。危ないです。
ですから、何年かで部分的に踏み板を張りかえています。
昔の板はヒノキでしたが、最近張りかえている板は腐りにくい板です。
名前は知りませんが外材の様ですが、ヒノキより硬く腐りにくいようです。
最近はこの板で改修されているので、この板でこの工事がされると
この歩板補修工事は5年に1回になるかも知れない。
12月7日、新工兵橋と工兵橋の間に桜の花が咲いていました。
苗木の様に背が低いのですが、花が付いています。
寒桜だと思って、撮影していると3本目の木に「十月桜」と書かれた札が付けて有りました。
冬の寒い時に咲く桜の花は全部「寒桜」だと思っていました。
「十月桜」は初めて聞く名前です。
家に帰って、ネットで「十月桜」を調べました。
“冬に「季節はずれに桜が咲いてるな」というときは、この十月桜であることが多い”と書かれている。
「十月桜」の、こちらの花弁は八重で、白。
「十月桜」の、うすピンク色。
寒桜とは別の桜なのだ。
知識不足だった。
お蔭で冬に咲く桜の花の名前を知ることが出来た。
「十月桜」・「冬桜」・「子福桜」。
「寒桜」・「大寒桜」・「修善寺桜」・「河津桜」。
「
「寒緋桜」・彼岸桜」。
こんなに沢山、寒い時期に咲く「桜」が有るのだ。
「季節の花 300」 で詳しいことは、調べてください。
とりあえず「十月桜」を「季節の花300」より
・薔薇(ばら)科。
・学名 Prunus × subhirtella cv. Autumnalis
(十月桜)
Prunus : サクラ属
subhirtella : やや短い剛毛のある
autumnalis : 秋の、秋咲きの
Prunus(プラナス)は、
ラテン古名の「plum(すもも)」が語源。
・開花時期は、10/20頃~翌1/10頃。
(二度咲き→ 3/25頃~ 4/10頃)。
・花弁は八重で、白、または、うすピンク色。
・全体のつぼみの3分の1が10月頃から咲き、
残りの3分の2は春に咲く。2回楽しめる。
春の花のほうが少し大きいらしい。
冬に「季節はずれに桜が咲いてるな」というときは
この十月桜であることが多い。
・冬、春ともに、葉があるときに咲くことが多い。
・同様に秋から冬にかけて咲く桜が「冬桜」。
似ているが、
花弁は、十月桜は”八重”で、冬桜は”一重”。
群馬県藤岡市鬼石(おにし)に冬桜の名所がある。
十月桜も含めて、秋から冬にかけて咲く桜のことを
総称して「冬桜」と呼ぶこともあるようです。
・秋冬に咲く「桜」には 子福桜 もある。
工兵橋の「十月桜」は12月10日も咲いていました。
12月2日の月は満月でした。
飲み屋街は忘年会季節にもかかわらず、平日の為か人も少なく静かな気がしました。
月夜の明るい夜道を飲み会の後、歩いて家まで帰りました。
平和大通りはイルミネーションで綺麗だけど、
途中に見つけたイルミネーションは広島女学院高中学校の校舎のクリスマスツリー。
少し歩いて、ブルーにライトアップされたアーバンビュー・グランドタワーを見上げます。
神田橋では、満月がもう高い所に上がっていたので、川面に写った満月を狙いましたが、波でうまく撮れません。
神田橋を渡った所の個人の家のイルミネーション。建物のデザインに合わせてシンプルがイイ。
月夜の道を、少し冷たい風に吹かれながら気持ちよく歩けました。
10月10・11日に牛田町内はお祭りでした。
9日に家の周りにしめ縄を張り、御幣を取り付けました。
11日は御神輿を担いで、早稲田神社に奉納に行きます。
神輿は小さくても本神輿の造りです。
屋根の上には金属製の鳳凰が羽ばたいています。
まずは町内を練り歩きます。
狭い路地は車が来ないので子供神輿が勢いよく練ります。
町内を半分ぐらい回り、一休み。
大人にはお酒、子供にはジュースで一服。
今度は神輿を早稲田神社に奉納で町内を練ります。
本神輿は、台車に載せて運びます。担ぎ手の中高生が出てこないので・・・。
俵神輿は、若いお父さん達が担いでいます。
神社への坂道を一生懸命押します。
早稲田神社の境内は、各町内の神輿の奉納で混んでいます。
やっと順番が来て、町内会長の2拝2拍1拝に合わせて、参拝します。
早稲田神社の参拝の後は、又全員で昼食をしながらの懇親です。
特に男性陣は、日頃町内の人と話をする事も少ないし、誰が町内の人かわかりませんので、
隣の人とお酒を酌み交わしながら交友を深めました。
狭い町内ですが、子供たちやお母さんたち、若いお父さんと若い老人が140名も集まってお祭りを盛り上げました。
皆さんの所のお祭りはいかがでしたか?
3月22日に広島の桜の開花宣言が出たので、次の日に牛田公園の桜を見に行って、
蕾も膨らんでいなくてもう枯れてしまってたと思い、23日のブログに枯れてしまった様に書きましたが、
その後は見に行っていませんでした。
ところが、今日公園に行くと桜が咲いていたのです。
これが、遺された2本の枝の片方です。桜の青い葉っぱが付いています。
その先の方には、まだ桜の花を付けています。
もう一本の遺された枝から伸びた2本の小枝に桜の花が沢山咲いています。
今が、丁度満開です。
4月18日は、近所の掲示板に出ていた、さくらみまもり隊の主催で「牛田公園のさくらと生きる会」が
10時から開かれるので行ったのです。
その会では、樹木医の橋本 力先生や、このさくらを応援されている牛田在住の「はら みちを先生」のトークタイムや、
木遣り、牛田太鼓組の演奏、オカリナ演奏、和田治邦さんのバルーンアートなどでさくらを元気付けて、
参加者でさくらの周りの土作りなどの行事が行われる予定でした。
だけど、もう枯れて仕舞ったと思っていた牛田公園の桜が咲いたのです。
今日の会に間に合うように、さくらが咲いてくれていたのです。
TV局も撮影しています。
和田治邦さんのバルーンアートは子供達に好評です。
オカリナ・アコーディオン奏者の野口美紀さんの演奏でより盛り上がります。
はら みちを先生も喜んで居られます。 さくらみまもり隊の隊長のチャーリーも風船を貰いました。
樹木医の橋本 力先生の話を聞く子供達。
まだ、完全に回復したわけではないので、今年の夏を乗り越えてくれて元気になるように手入れをして、
何年か後には、子供達がこのさくらに登ったり、廻りを駆け回ったりした頃の元気な姿が、又見れるかもしれない。
私も、チャーリーさくらみまもり隊長と一緒に見守ります。
無線ルーターの電波が飛んでいないようなので、モジュラープラグ付きLANケーブルを35m買って来ました。
ドアが有る所は枠を削り、目立たない様にケーブルは廻縁の溝に差込、ぐるぐる、延々と配線しました。
そして、モジュラープラグをパソコンに差すと、インターネットに接続できました。
これでブログも再開できるかな???
何を書いていいか判らないので、今日の出来事でも書きます。
5月の連休に、「105ウォークラりー」に参加するのでトレ-ニングを始めました。
「105ウォークラりー」とは、佐世保~島原までを24時間以内で歩く大会の事です。
そうです。
佐世保~島原間の105kmを歩くのです。
走ってはいけません。
あくまでも歩くのです。
ですから、トレーニングを始めたのです。
今まで、40kmのウォーキングの大会には何度も参加していますが、105kmを歩くのは初めてなのです。
我が家から牛田山に行って、帰っても歩く距離は8kmぐらいですが、
山の尾根を歩くので上り下りがあるのでトレーニングにはなります。
と言うことで、まず饒津裏の登り口から仏舎利塔のある二葉山に登ります。
途中にある大きな岩の上から、広島駅を見下ろします。ホテルグランヴィアの建物が目前に見えます。
仏舎利塔のある二葉山から、新球場の方をみますが、2棟の大きなマンションの向こうです。
新球場の(4/10)オープニングゲームに行って来ました。
3時開場の行列が動き出しました。手荷物の検査で、
行列が出来ています。 広島駅から新球場に向かう人の列。
私はチケットを持っていないので、広島駅のほうに向かって歩きます。
野次馬として、新球場の前を歩いただけです。
仏舎利塔がある二葉山を尾長山への登り口よりみる。途中の八重桜が満開です。
牛田山の山つつじのピンクが満開?
牛田山の頂上より市街地を見る。宮島がぼんやりと見える。頂上には一人先客がいたがすぐ下山したので、静かだ。
牛田山の頂上のさくらも散ってしまった。
見立山から、白島のさくら並木を見下ろすが、さくらはもう終わりだ。右端に吊橋の工兵橋。
見立山から牛田山を見ると、若々しい青葉が目に付く。さくらの花から新緑が綺麗な季節になろうとしている。
105まで、あと何回牛田山に登ろうかな
牛田公園の櫻の事を3月の初めに書きましたが、広島の櫻の開花宣言が3月22日に出ましたので、
牛田公園の櫻の様子を見に行ってきました。
昼前だったので、公園には誰も居なくて静かです。
桜の木もひっそりと痛々しく前に見た時と同じでした。
蕾も前と同じで膨らんではいませんでした。
公園のかたい土にたえてきました
雨のすくないこの夏がつらかったです
今は、もう子どもたちに木登りを
させてあげられなくなりました
あぶないので、のぼらないでネ
こんどは私に元気をわけてくださいネ
春には花を咲かせたいです
平成二十年九月五日
―公園のさくら―
毎年綺麗な花を咲かせていた桜が枯れかけています。
下の写真を見てください。
大きな枝は無残にも伐られ、2本の細い枝のみになっています。
ここ数年の天候異変で、公園のさくらは弱ってしまったのです。
その公園のさくらが訴えています。
公園のかたい土にたえてきました
雨のすくないこの夏がつらかったです
今は、もう子どもたちに木登りを
させてあげられなくなりました
あぶないので、のぼらないでネ
こんどは私に元気をわけてくださいネ
春には花を咲かせたいです
平成二十年九月五日
―公園のさくら―
残っている細い枝のつぼみはまだ固くて小さい。
今日は、平日の午前中なので、まだ子供達は遊びに来ていないが、
夕方になると多くの子供でいつも賑わっている。
元気な子供はさくらの木に登って遊んだのだろうが、今は
根の周りには、子供達が入れないように柵を作ってあります。
残った細い枝の蕾があと1ヶ月でほころべばいいが・・・。
この牛田公園は、原爆が投下された後に多くの人が牛田の町に重いキズを負って逃れて来て、
そして力尽きて亡くなられた人びとがここで火葬されました。
このさくらは、多分その後に植えられてその多くの人々を見守ってきたのですが、
そのさくらがもう風前の灯になっていますが、牛田の人がその命を懸命に守ろうとしています。
一ヵ月後に綺麗な花を咲かせるように祈っています。