先日、読売新聞の『米で心臓移植希望の女児支援HP、中傷相次ぐ』という記事の中での私のコメントに対して、補足を致しました。それについていくつかコメントを頂きましたので、私のほうからもコメントさせていただきます。まずは事実(少なくとも私がそう考えている)について述べます。
1)当然のことですが、コメントを含めて私が書いた記事ではありません。また、これも当然ですが、新聞記事内のコメントについて、事前に了承を求められたわけではありません。
2)記者さんからの電話での取材では、「さくらちゃん」関連の件について、コメントを求められたわけではありません。記者さんも私も「さくらちゃん」という言葉は一切使いませんでしたし、それを想定して話したわけでもありません。記者さん側からは、「以前から移植手術等での寄付に関して、ネットで批判が起こり、誹謗中傷も増えているがどう思うか」という質問です。「さくらちゃん」の基金やその他特定の団体、人の寄付行為に対してコメントを求められたわけではありません。したがって、一般的な内容のコメントをさせていただきました。もちろん、紙上に書かれている数行を話したのではなく、30分近く話しています。
3)紙上のコメントだけを読むと、一般的で、ほとんど内容のないものであるため、このブログで頂いたコメントでは、「何も状況もしらず、調べもしないでコメントするな」と解釈できるコメントを頂いています。確かに独自の調査や私自身が動いての取材はしていません。しかし、ネットで話題となっている「死ぬ死ぬ詐欺」については完璧にネット上での議論には目を通しているとは言いませんが、少なくとも主だったスレッドには目を通していますし(ずいぶん以前から)、まとめサイトの存在も知っており、概観しています。
4) 2)と3)に関係しますが、取材を受けた際に、「さくらちゃん」について一切頭に浮かばなかったかというと、確かに浮かんだことは確かです。また、記者さんの断片的に話される内容から、「さくらちゃん」関係の件をイメージしているであろうということは察しました。しかし、取材内容はあくまでも、特定の団体や人の寄付行為ではなく、一般的な寄付を求める行為(子供に対する手術費用捻出)に対するネット側の対応についてです。
5) 「誹謗・中傷が多いとは思えず、意見が整然と述べられており、若干の雑音があるものの、正当な討論となっているのでは」というコメントもいくつか頂きました。これについては同意します。紙上のコメントの中で、またそれを補足したブログ記事で「中傷」と書いたのは、中傷がすくなくなく、スレッドによっては中傷も多いことから、一般的な事柄として述べました。
6) 「かならずしも(紙上での)正確なコメントが載らないとわかっているなら、コメントするな。あるいは新聞社に抗議しなさい」ということですが、コメントを一切しなければ、当然ですが、私の意見はまったく掲載されません。少々、はずれた内容になったとしても、あるいははずれる可能性があるとしても、コメントに応じているのは、誰かがコメントしなければ、適当なコメント(特に記事内容、そして新聞ですから、事実の羅列ではなく、ある程度の意図を持った内容にそった)が掲載されてしまうからです。今回でも、記事の最初の意図は、「ネットで叩くのは問題だ」ということだったのを察しましたので、そうではなく、「今までのように表面的な事柄だけで正義のレッテルを貼り、その正義において何をしても許される時代ではない。具体的には子供の命が一番だからといって、募金行為が正当化されるわけではなく、説明責任もある。実際、疑惑をもたれている募金行為も少なくない。募金行為を否定されたからといって、その原因を認識しない側にも問題がある。特に誰でも自分と同じ考えであるというような認識は甘い。いわれのない誹謗・中傷は問題外だが、募金を募る側にも襟を正す必要があるのでは。」というような趣旨を言いました。そうした中で、新聞社として、その内容を最大限抽出した結果が、「募金に反感を持つ人もいる」という一文だったのでしょう。何も言わなければ「ネットは悪だ」というコメントになってしまう可能性があります。今回、コメントを頂いた方は新聞というメディアを自分の考えを持って認識しておられる方々でしょうが、一般には、そのままの形で受け入れてしまう人も多いようです。その人たちの中で幾人かでも踏みとどまって自分で考えてくれる人がいればと思い、コメントしています。
7)「ネットの負の側面」という言葉が私のコメントで使われていますが、これを言った覚えはありません。むしろ、いくつかの掲示板のスレッドで書かれていたように、「正の側面」も垣間見れると考えています。
1)当然のことですが、コメントを含めて私が書いた記事ではありません。また、これも当然ですが、新聞記事内のコメントについて、事前に了承を求められたわけではありません。
2)記者さんからの電話での取材では、「さくらちゃん」関連の件について、コメントを求められたわけではありません。記者さんも私も「さくらちゃん」という言葉は一切使いませんでしたし、それを想定して話したわけでもありません。記者さん側からは、「以前から移植手術等での寄付に関して、ネットで批判が起こり、誹謗中傷も増えているがどう思うか」という質問です。「さくらちゃん」の基金やその他特定の団体、人の寄付行為に対してコメントを求められたわけではありません。したがって、一般的な内容のコメントをさせていただきました。もちろん、紙上に書かれている数行を話したのではなく、30分近く話しています。
3)紙上のコメントだけを読むと、一般的で、ほとんど内容のないものであるため、このブログで頂いたコメントでは、「何も状況もしらず、調べもしないでコメントするな」と解釈できるコメントを頂いています。確かに独自の調査や私自身が動いての取材はしていません。しかし、ネットで話題となっている「死ぬ死ぬ詐欺」については完璧にネット上での議論には目を通しているとは言いませんが、少なくとも主だったスレッドには目を通していますし(ずいぶん以前から)、まとめサイトの存在も知っており、概観しています。
4) 2)と3)に関係しますが、取材を受けた際に、「さくらちゃん」について一切頭に浮かばなかったかというと、確かに浮かんだことは確かです。また、記者さんの断片的に話される内容から、「さくらちゃん」関係の件をイメージしているであろうということは察しました。しかし、取材内容はあくまでも、特定の団体や人の寄付行為ではなく、一般的な寄付を求める行為(子供に対する手術費用捻出)に対するネット側の対応についてです。
5) 「誹謗・中傷が多いとは思えず、意見が整然と述べられており、若干の雑音があるものの、正当な討論となっているのでは」というコメントもいくつか頂きました。これについては同意します。紙上のコメントの中で、またそれを補足したブログ記事で「中傷」と書いたのは、中傷がすくなくなく、スレッドによっては中傷も多いことから、一般的な事柄として述べました。
6) 「かならずしも(紙上での)正確なコメントが載らないとわかっているなら、コメントするな。あるいは新聞社に抗議しなさい」ということですが、コメントを一切しなければ、当然ですが、私の意見はまったく掲載されません。少々、はずれた内容になったとしても、あるいははずれる可能性があるとしても、コメントに応じているのは、誰かがコメントしなければ、適当なコメント(特に記事内容、そして新聞ですから、事実の羅列ではなく、ある程度の意図を持った内容にそった)が掲載されてしまうからです。今回でも、記事の最初の意図は、「ネットで叩くのは問題だ」ということだったのを察しましたので、そうではなく、「今までのように表面的な事柄だけで正義のレッテルを貼り、その正義において何をしても許される時代ではない。具体的には子供の命が一番だからといって、募金行為が正当化されるわけではなく、説明責任もある。実際、疑惑をもたれている募金行為も少なくない。募金行為を否定されたからといって、その原因を認識しない側にも問題がある。特に誰でも自分と同じ考えであるというような認識は甘い。いわれのない誹謗・中傷は問題外だが、募金を募る側にも襟を正す必要があるのでは。」というような趣旨を言いました。そうした中で、新聞社として、その内容を最大限抽出した結果が、「募金に反感を持つ人もいる」という一文だったのでしょう。何も言わなければ「ネットは悪だ」というコメントになってしまう可能性があります。今回、コメントを頂いた方は新聞というメディアを自分の考えを持って認識しておられる方々でしょうが、一般には、そのままの形で受け入れてしまう人も多いようです。その人たちの中で幾人かでも踏みとどまって自分で考えてくれる人がいればと思い、コメントしています。
7)「ネットの負の側面」という言葉が私のコメントで使われていますが、これを言った覚えはありません。むしろ、いくつかの掲示板のスレッドで書かれていたように、「正の側面」も垣間見れると考えています。
大変ですね。
纏めると言いっ放しで何が悪いんだ、と
そう云う事ですか。
教授のお話に私自身は、その時、納得いたしました。
ただ、私の周りにはまだ、ネットに触れることの無い人たちが数人おります。
また、読売を購読している方もその中におります。(実家の母もです)
彼ら(彼女ら)とって、新聞はTV同様の情報源です。疑う事も無く、信用してしまう「情報源」なのです。
その新聞に今回の偏った記事が載りました。
私はネットと言う手段で、教授の記事に対するお気持ちを知るに至りましたが、ネットを知らない周りの人たちには、黙っている限り伝わりません。
その記事に、追い討ちの様に偉い教授(母はその様に表現しましたので)の
『多くは無責任な意見』
と言う、コメントが加わる事で「ネットは無責任であり、新聞が書いている事が正義」と言わんばかりの主張が通ってしまうんです。
信じてしまうんです。
母はまだ、私を通じて真実を知る術がありますが、真実を知る術を持たない方は、教授のネット上のお考えに触れる機会もございません。
提訴しろとは申しませんが、記事の訂正を求める等、何らかの形でネット環境に触れる事の少ない方達に、真実を伝える方法はない物でしょうか。
じゃあ新聞には誤ったこと書かれても黙っとけ! ということですか?
別に読売からたいした取材費もでてないんだし、先生にとってマイナスなことってそんなにあるのかな(売名はできないか)。
別にそれ、リスクじゃないでしょ?
ニュースソースをねじまげて「ほら、こんな偉い人がこんなこと言ってたよ」
といって自分たちの意見を正しいかのように広め、結局教授も読売の道具に使われたというだけでした。
お金が絡むことだけにいろいろな利害関係が発生しているのでしょう。
この億というお金目当てにいったいどれだけの狢みたいなものが寄ってたかってくるのか。
当の本人のさくらちゃんには見せたくない光景です。
このままでは「悪いヤツほどよく太る」がまた実証されたモノとなってしまいます・・・
幾人かがかかれていますが、あなたがどう思おうと新聞上でグレーな募金の「お墨付き」を与えてしまった。
私のように2ちゃんでも見ない限り、ここでの弁解などみる機会はありません。
やはり問題は、先生の「できるだけ公平な視点に立って判断すべき」という意見趣旨を、恣意的な形で抽出して文意を偏らせて用いた新聞社側かなと思いますので、それはあらためて個人的に新聞社側に質問を送ってみようと思います(正直、握りつぶされて終わりと悲観していますけれど)。
本当に残念なのは、幾人かが踏みとどまるよりも、その他大多数の思いこみへの背中を押す効果の方が、高かったのではないかと懸念できてしまったところです。
先生が、コメントすることそのものについて、十分考えた上で望まれていることは理解できました。基本的に、私が書いたようなことはちゃんと分かられていて、そのうえでコメントを出すことを選んだ、先生の個人の選択を尊重したく思います。
丁寧な回答を、どうも有り難う御座いました。
是非こちらのブログにかかれることを希望します。
教授が新聞社に抗議>新聞社は「扱いにくいコメントを寄せる教授」として以後無視>やがてメディアに出てくる有識者はネット有害論しか展開しない人ばかりに
ってことじゃない?どーせ訴えてもどうにもならないんだから、教授が抗議しても無駄。
我々の声が届くこともどうやらなさそうだし。
もう俺らはブログ燃やし続けるしかないんだよ。その被害規模ぐらいしか世間に知らしめる手段がないんだから。
効果はともかく、リスクって何がある?
記者個人が目覚めて多少なりとも行動変えるきっかけになる(その可能性がある)なら、その効果が紙面にあらわれずとも、皆無とは思いません。
おそらくコメントの扱いの善悪について、一般世間と新聞業界でかなり大きな意識差があるのかと思われます。
(ご自身の意見の記載について冷めている印象を受けましたので)
それを改善したい為、取材時に記事の意図に沿わない考えを述べられ、blogでも書かれているのかと思いました。
仰られてる通り、はずれた内容になってもコメントすべきと思います。
新聞社への直接的な抗議は、手段としては効果が低い且つリスクだけ高いんじゃないかな?
二枚舌っぷりがイカスぜwww
そんな無知のフリに騙されるほど馬鹿じゃありません。自己負担3割を求める医療保険制度を持つ日本という国家にはどんな「負の側面」が現われているんですかね(笑
3000万なら2割未満なんだけどね
多少のスタンスの違いはあるとはいえ、マスコミの方にはいまだに悪しき啓蒙主義のようなものが残っていると思います。「ネットの負の側面」の過剰な強調なんかはまさにそれですし、昨今流行の歴史認識問題から、BSE、格差、と最初からバイアスの網を張って記事を書き「識者、専門家」のコメント類を操作し、時には事実をも操作する。
そしてこの問題にしてもマスコミは「ネットの正の側面」なんか書いても記事にならないから人が犬を噛むような「負の側面」の強調をこれでもかと強調する。
誰か正負の両面を捉えた「既存メディアへのアンチテーゼとしてのネット言論」を体系的に研究しないモンでしょうか?
そんな・・・酷過ぎ。
現状では、この「一般の方」に対するフォローが全くないのではないでしょうか。
ネットしか情報収集手段を持たない人は少なくありません。
そのような人はこのブログに目を通すこともなく、ネット=悪、募金者=被害者、絶対善 と勘違いしたままです。
森井先生の名前が出ている以上、ご本人の意向と異なる論調に摩り替えた読売に対しては、抗議すべきだと思います。
それが「ネット文化に詳しい発言者」としての先生の責務かと存じます。
よろしくお願いいたします。
・誹謗:他人の悪口を言うこと
・中傷:根拠のない悪口を言い,他人の名誉を傷つけること
・批判:是非・善悪を批評し判断すること
とありますが、新聞記事には「批判や中傷など」とあります。
「(根拠のない)中傷」を残しつつも、わざわざ「批判」を入れたあたりに新聞社の「逃げ」を感じました。
「意見が整然と述べられており、若干の雑音があるものの、正当な討論となっているのでは(…に同意)」かつ「スレッドによっては中傷も多いこと」でなんとなく納得。
07 17:40:23に書き込みをされた方の仰るとおり、次からは他の人に頼むだけ。
読者とコメンテーター両方の抗議があって初めて、紙面でお詫びをするべきだと気付くんじゃないでしょうか。
識者から戴いたコメントを都合の良いように編集し、時には捏造まがいの事をするなんて、社会の公器と言えども今さらですからね。
それでも読売に抗議しない、というのはやはり、読者や関係者(まじめにこの問題に取り組んでいる人)に対して不誠実きわまりないです。
直接抗議しても無駄かもしれませんが、その意を伝える方法はほかにもいろいろあるでしょう。
今後はマスコミを相手にしないほうがいいですよ。
情報信用度は
ネット>マスコミ
ですから。
本人たちとは関係ないところで
勝手に盛り上がって捨てられていく。
この「森井教授」とかいうオッサンも
「さくらちゃん」という病人も
カードゲームのカード。
あの記事では「ネット→悪」としか思わないと思う。
背景を何も考えずに募金をしてしまう、「善者」があの記事により増えたことでしょう。
このブログを読んでようやくすっきりしました。
森井教授のおっしゃることはもっともだと思います。
「読売に抗議をしたほうがいいのでは?」
という意見も出てくるかと思います。
実際、私もそのように感じました。
ただ、ここで抗議しても読売は次から別の人に
コメントを求め、また都合よく編集するのでしょう。
結果掲載された記事は、メディアと言動を異にするネット世論に対しての「誹謗中傷」のように思います。
そしてそれに対して記者は撤回する意図も毛頭無いでしょうし、コメントを寄せた教授も「若干主旨の異なった取り上げ方をされた」ので、記事は自分の思いとは異なると言う。
これって(責任追及のしようがないという点では)無責任な誹謗中傷じゃないんでしょうか?
まるで違う内容なので驚きました。
ブログの内容のほうは、凄くもっともだと納得できました。
どうして新聞のほうはあんな内容になってしまったのでしょう?
この一件は現状ではまだグレーであり、白でも黒でもありませんから、こういう意見になるのだな、と素直に思いました。
ただ、教授の書いた意見をねじ曲げて掲載した読売新聞に対しては、何等かのアクションを起こすべきだと思います。
このままではマスコミという物そのものの存在意義に関わってくると思います。
この一件(教授の意見が曲げられたという事です)に関しても、マスコミは他者の意見を自分たちの都合のいいようにねじ曲げ、掲載するという事がわかりました。
前から言われていた事とはいえ、目の当たりにしてみるとマスコミの信用度そのものが揺らぐ事です
信頼を失ったマスコミは、ただの落書きです。
2ちゃんねるを便所の落書きと言っているマスコミ自体が落書きに成り下がるのです。
これは大問題だと思います。
そして、今こそがマスコミそのものに対して意見を投げかける、良いチャンスなのではないかと思います。
もし、この件に関して教授がマスコミに対して問題提起するのであれば、支援させていただきたいと思います。