ゴールデンウィーク最終の日曜日。
よく晴れた・・・とはいかないまでも、まずまずの天気に恵まれ、行ってきました湯河原。
連休中はあまり出歩けなかったので、ここぞとばかりに遠出(自分では)しちゃいました。
今日は「しとどの窟」というところから幕山公園をかすめて南郷山へとルートを設定しました。
いつものように朝早くから出かけたかったのですが、湯河原駅でのバスの時間もあるため、いつもよりちょっと遅れて出発です。
湯河原駅で「箱根町」行きのバスに乗ります。

一番早くて9時45分発だったので。
バスに揺れること30分くらい。
椿ラインを通ります。
湯河原と箱根を結ぶ県道沿いに咲く約5,000本の椿と眼下に相模湾、遠く伊豆の島々が一望できる景観は実に見事です。
「しとどの窟」バス停で降ります。

道路を渡って「しとどの窟」へ。
入口には、「城山ハイキングコース(いしだたみ))」という道もありますが、今日は右方向、窟方面へ。

今日はまだGWということでしょうか、単車がずらりと駐車してありました。
ツーリングでしょうね、いいなぁ。
道は歩きやすい舗装路。
やがてトンネルです。

トンネルの中は風邪が強くて。
暗いし、夜に来るようなところじゃないな。
トンネルを抜けると正面は白銀林道でしょうか、ゲートはあるものの、平らなダートが続いていました。

今日は右にそれて窟へと下りていきます。


変わった虫がいたのでパチリ。

ここからは急坂を下ります。
300m降りるということで、早くも膝が心配。

灯篭などを眺めながらやっと着いた分岐は、幕山方面へと行くハイキングコースでした。
今回はここから幕山公園を目指します。
が、まずは窟へ。

直進するとすぐに窟へ着きます。

窟の由来についてはいつも参考にさせていただいているHPからいただきました。
源頼朝としとどの岩屋の由来
源頼朝は14才の時、父義朝が平治の乱で破れ、頼朝は捕われて清盛の母池の禅師のなさけによって一命を助けられ、伊豆の蛭が小島に流され、平兼隆の監視によって23年間をすごした。
治承4年8月、望仁王が平家討閥の宣旨が全国の源氏に伝えられた。
頼朝は機を窺っていたが、 8月16日、三島大社の祭典の晩、北条時政らと平兼隆の首を取り、伊豆の源氏に組する者たちを集め、 19日伊豆を出発、土肥実平を道案内で日金山を越え、土肥郷(現湯河原町)に着いた。
土肥実平の館において作戦を練り、300騎を以て館を出発、いよいよ平家追討の旗挙をし、石橋山に於て平家の軍勢総大将大庭景親3000余騎と戦ったが、十対一の多勢に無勢で破れ、一旦土肥へ引返し堀口の合戦(鍛冶屋瑞応寺附近)にも敗れ、土肥実平の守護とみちびきによって土肥の椙山に逃げかくれ実平のお陰で人の知らない谷底しとどの岩屋や大木の洞(土肥の大杉)にかくれたり、又小道地蔵において僧純海の気転により床下にかくれ一命を救ってもらった。
この岩屋に5日間かくれていた。
その間、食糧を運んでくれたのは土肥の女房である。
源平盛衰記に残っている。漸くして敵も引揚げたので山から降りて来たら、吾が家が盛んに燃えていた。
この情況を見た実平は頼朝を勇づけるため延年の舞を舞った慰めた。
あづま鑑にはじょうもうの舞と記されている。
この岩屋は関東大震災にため入口が崩れたが、水は一年中湧いている。実平のお陰で平氏を滅し、鎌倉幕府大業成功させた実平の功績を称え、土肥会では昭和55年湯河原駅前に実平の銅像を建立した。
このたび小沢通大氏の寄進によって案内板を建立した。
(平成8年12月吉日 桜郷史跡保存会)

神奈川県指定史跡 土肥椙山巌窟(伝源頼朝隠潜地)
このあたりは、今から7・8百年前には杉林でおおわれていたので、土肥椙山と呼ばれていた。
新崎川の上流の山間に杉の埋れ木が発見されるので、当時を想像することができる。
「吾妻鏡」には、源頼朝が治承4年(1180)8月17日、伊豆の蛭島に兵を起し、相模に入って土肥の館に集結、23日、300の兵で石橋山に陣し、大庭景親3000、伊東祐親300の兵と戦って敗れ、24日夜明け、椙山に追撃され山中の巌窟に潜んで九死に一生を得、その夜は箱根権現の永実坊にやどり、再び椙山にもどって3日間椙山の山中に隠れ、28日真鶴から安房に向かったとある。
この巌窟は、頼朝を救い、後の歴史を大きく変えることになったところ、と伝えられている。
(平成14年3月 神奈川県教育委員会)

湯河原町指定文化財 :土肥椙山巌窟内観音像群
この観音像群は、立像及び座像61体で、小松石に彫刻され、これが安置されている巌窟と共に中世以後、近郷庶民の信仰習俗を知る上に貴重な資料である。
観音像は無銘が多く、銘があっても解読不能であるが、中に嘉永6年、元治元年、新しいもので大正15年のものがあり、これらが近郷の人々により長期的に奉安され続けて来たこと、ひいては巌窟を含むこの地が古くから観音信仰の聖地であったことを物語るものである。
(湯河原町教育委員会)
さて、出発しましょう。
先ほどの分岐まで戻ったら、「湯河原梅林」方面へ。
左に下りていきます。
ここから山道になります。

道は細いけど、歩きやすいじゃん・・・なんて思っていたら、なんと木が倒れてました。
道が塞がれているので、ちょっとした段差を降りなきゃ。

降りるって、結構怖いですね。
登るほうが楽かも。
最初の難所を超えてしばらくすると、今度はロックセクションになりました。
岩だらけって、案外歩きづらいですね。
膝が心配。

ま、普通に歩いていても物足りないかもしれないので、こんなポイントがあってもいいのかもしれません。
次の難所は沢でした。
水量が多くて、飛び石の間隔が遠いんですよぉ。

左を見ると滝のようになっていたので、取り敢えずパチリ。

数カ所沢を渡らなきゃならないんだけど、連休中盤まで天気が悪かったせいでしょうか、流れが多いぞー!

ようやっと林道に出ました。
ここからは歩きやすいダートです。
右に行けば幕山の梅林です。

下りばかりです。
右手に公園が見えてきました。
もうすぐ分岐です。
ほら、あった。

右は公園の梅林へ。
左は白銀林道へ行くみたいです。
私たちは左に進路を取りました。
ちなみに、右は桜の名所だそうです。
今日は時期が遅いから寄らなかったけど。

左のすぐのところには神社が。
せっかくなので、散策の無事をお祈りして。

さて、上りになります。
といっても、車も通れる広めの道。

単車で通れば気持ちいいかも。
やがて橋がありました。
給水菅が橋と並行して走っていたので、水道の設備が近くにあるのかも。

ここが大石平というところらしいです。

ここから幕山に上るルートがあります。
以前はそちらを通ったのですが、今日は真っ直ぐ行ってみようかと。

だって、幕山方面は道が急だし、ぬかるんで歩きにくいしで。

さ、歩きやすい正面へと進みましょ!
道は相変わらず車の通れるダート。
空はなんとか晴れました。
暑くなってきちゃった。
おやぁ、ホントに水道施設になっちゃいましたよ~。
ゲートは鍵がかかっているみたい。
ということは、ここから山道に入るみたいです。
右の道がそうみたい。

結局山道かぁ。
ってなことをグチっていたら、またまた渡りづらい沢。

あの岩に飛び移るように渡って、ホッと一息です。
やっと林道に出ました。
多分この道は白銀林道。

右へ行きましょう。
未舗装路だけど、歩きやすい道。
実はこんな道が結構好きで、単車で走りたい!
と、思っていたらオフロードバイクが走ってきました。
とても羨ましい~!!
いいや、私たちは歩きに来たんだし。
ゆっくりな移動も緑の中なら楽しいのさ!
道はやがて舗装路になりました。

この先は座れるところがないと困るので、ちょっと休憩を入れることに。
縁石に座って昼食タイムです。
誰も通らない道。
樹木に囲まれて眺望は期待できないけど、緑が眩しくなってきたのがちょっと嬉しいかな。
さて、お腹も満ちたので、歩き始めましょう。
もうちょっと行くと幕山への分岐が。

私が知っている分岐は・・・。

すぐの左手に自鑑水分岐があります。
今日はここを入っていきましょう。

石橋山の合戦に破れ敗走した源頼朝が、この池で喉を潤し水鏡で乱れた髪を結い直していると、平家を破り天下を納める自分の姿が映り自害を思い止まったという。
それが「自鑑水」の由来だそうです。


道はさらに登っていくようなので、たどってみましょう。
白銀林道へもでられるようだけど、ここも直進。

登りがちょっときつくなってきた頃、丁字路に出ました。

左は小道地蔵堂寺屋敷跡だそうで、私たちは南郷山を目指して右へ。
山頂へは数分で着けるということでした。
途中にある分岐は白銀林道に降りる道。

山頂はたいして広くはなかったけど、ここは開放感があって眺めが最高です。

南郷山、海抜610mだそうです。
そんなに高くないけど、真鶴半島が見下ろせて、気分は上々です。

一休みしたら、今度は下りましょう。
正面に道があるので、そこを通ります。

ほら、絶景ポイント。

この道は白銀林道へと続きます。
こちらのほうが緩やかに降りて行けるので、結構オススメかも。
白銀林道に出ました。
ここを右です。

今度は五郎神社を目指します。

数分歩くと五郎神社への分岐がありました。
ここから山道です。
でも、あとは降るだけ。

松が目立つようになるとゴルフ場の脇に出ます。
ゴルフ場に沿ってぐんぐん下る道。
10分ほどでゴルフ場端の簡易舗装された道に出ました。

道はどんどん急になってきます。
いつもならもう膝が悲鳴を上げているはずなんだけど、今日はまだなんとかなっているみたい。
今のうちに降りれるだけ降りなきゃ。
ベンチがあるので、座りたい病が。
でも、勝手に座っていいのかな?

なんとか急坂をクリアしました。
出てきた道は幕山公園と五郎神社を結ぶ道。
左へ行けばバス停です。

この時期はシャガが咲き誇ってます。
ここでも綺麗に咲いていたので、パチリ。


すぐに神社です。
ここに「鍛冶屋」バス停があります。

ここから湯河原駅まで10分強。
1時間に1本から2本の便があるので、時間がある時は神社にお参りを。

今日も無事に歩くことができました。
ありがとうございました。
お賽銭はこの時のために貯めていた5円玉を。

今日もよく歩いたぞぉ。
だいたい4時間くらいだけど、急な下りのせいで思ったより疲れちゃいました。
帰ったら何をつまみに飲もうかなぁ。
帰りの東海道線は、ちょっと贅沢をしてグリーンに座りましょう。
普通席とは乗り心地がまったく違うから。
お疲れ様でしたー。
よく晴れた・・・とはいかないまでも、まずまずの天気に恵まれ、行ってきました湯河原。
連休中はあまり出歩けなかったので、ここぞとばかりに遠出(自分では)しちゃいました。
今日は「しとどの窟」というところから幕山公園をかすめて南郷山へとルートを設定しました。
いつものように朝早くから出かけたかったのですが、湯河原駅でのバスの時間もあるため、いつもよりちょっと遅れて出発です。
湯河原駅で「箱根町」行きのバスに乗ります。

一番早くて9時45分発だったので。
バスに揺れること30分くらい。
椿ラインを通ります。
湯河原と箱根を結ぶ県道沿いに咲く約5,000本の椿と眼下に相模湾、遠く伊豆の島々が一望できる景観は実に見事です。
「しとどの窟」バス停で降ります。

道路を渡って「しとどの窟」へ。
入口には、「城山ハイキングコース(いしだたみ))」という道もありますが、今日は右方向、窟方面へ。

今日はまだGWということでしょうか、単車がずらりと駐車してありました。
ツーリングでしょうね、いいなぁ。
道は歩きやすい舗装路。
やがてトンネルです。

トンネルの中は風邪が強くて。
暗いし、夜に来るようなところじゃないな。
トンネルを抜けると正面は白銀林道でしょうか、ゲートはあるものの、平らなダートが続いていました。

今日は右にそれて窟へと下りていきます。


変わった虫がいたのでパチリ。

ここからは急坂を下ります。
300m降りるということで、早くも膝が心配。

灯篭などを眺めながらやっと着いた分岐は、幕山方面へと行くハイキングコースでした。
今回はここから幕山公園を目指します。
が、まずは窟へ。

直進するとすぐに窟へ着きます。

窟の由来についてはいつも参考にさせていただいているHPからいただきました。
源頼朝としとどの岩屋の由来
源頼朝は14才の時、父義朝が平治の乱で破れ、頼朝は捕われて清盛の母池の禅師のなさけによって一命を助けられ、伊豆の蛭が小島に流され、平兼隆の監視によって23年間をすごした。
治承4年8月、望仁王が平家討閥の宣旨が全国の源氏に伝えられた。
頼朝は機を窺っていたが、 8月16日、三島大社の祭典の晩、北条時政らと平兼隆の首を取り、伊豆の源氏に組する者たちを集め、 19日伊豆を出発、土肥実平を道案内で日金山を越え、土肥郷(現湯河原町)に着いた。
土肥実平の館において作戦を練り、300騎を以て館を出発、いよいよ平家追討の旗挙をし、石橋山に於て平家の軍勢総大将大庭景親3000余騎と戦ったが、十対一の多勢に無勢で破れ、一旦土肥へ引返し堀口の合戦(鍛冶屋瑞応寺附近)にも敗れ、土肥実平の守護とみちびきによって土肥の椙山に逃げかくれ実平のお陰で人の知らない谷底しとどの岩屋や大木の洞(土肥の大杉)にかくれたり、又小道地蔵において僧純海の気転により床下にかくれ一命を救ってもらった。
この岩屋に5日間かくれていた。
その間、食糧を運んでくれたのは土肥の女房である。
源平盛衰記に残っている。漸くして敵も引揚げたので山から降りて来たら、吾が家が盛んに燃えていた。
この情況を見た実平は頼朝を勇づけるため延年の舞を舞った慰めた。
あづま鑑にはじょうもうの舞と記されている。
この岩屋は関東大震災にため入口が崩れたが、水は一年中湧いている。実平のお陰で平氏を滅し、鎌倉幕府大業成功させた実平の功績を称え、土肥会では昭和55年湯河原駅前に実平の銅像を建立した。
このたび小沢通大氏の寄進によって案内板を建立した。
(平成8年12月吉日 桜郷史跡保存会)

神奈川県指定史跡 土肥椙山巌窟(伝源頼朝隠潜地)
このあたりは、今から7・8百年前には杉林でおおわれていたので、土肥椙山と呼ばれていた。
新崎川の上流の山間に杉の埋れ木が発見されるので、当時を想像することができる。
「吾妻鏡」には、源頼朝が治承4年(1180)8月17日、伊豆の蛭島に兵を起し、相模に入って土肥の館に集結、23日、300の兵で石橋山に陣し、大庭景親3000、伊東祐親300の兵と戦って敗れ、24日夜明け、椙山に追撃され山中の巌窟に潜んで九死に一生を得、その夜は箱根権現の永実坊にやどり、再び椙山にもどって3日間椙山の山中に隠れ、28日真鶴から安房に向かったとある。
この巌窟は、頼朝を救い、後の歴史を大きく変えることになったところ、と伝えられている。
(平成14年3月 神奈川県教育委員会)

湯河原町指定文化財 :土肥椙山巌窟内観音像群
この観音像群は、立像及び座像61体で、小松石に彫刻され、これが安置されている巌窟と共に中世以後、近郷庶民の信仰習俗を知る上に貴重な資料である。
観音像は無銘が多く、銘があっても解読不能であるが、中に嘉永6年、元治元年、新しいもので大正15年のものがあり、これらが近郷の人々により長期的に奉安され続けて来たこと、ひいては巌窟を含むこの地が古くから観音信仰の聖地であったことを物語るものである。
(湯河原町教育委員会)
さて、出発しましょう。
先ほどの分岐まで戻ったら、「湯河原梅林」方面へ。
左に下りていきます。
ここから山道になります。

道は細いけど、歩きやすいじゃん・・・なんて思っていたら、なんと木が倒れてました。
道が塞がれているので、ちょっとした段差を降りなきゃ。

降りるって、結構怖いですね。
登るほうが楽かも。
最初の難所を超えてしばらくすると、今度はロックセクションになりました。
岩だらけって、案外歩きづらいですね。
膝が心配。

ま、普通に歩いていても物足りないかもしれないので、こんなポイントがあってもいいのかもしれません。
次の難所は沢でした。
水量が多くて、飛び石の間隔が遠いんですよぉ。

左を見ると滝のようになっていたので、取り敢えずパチリ。

数カ所沢を渡らなきゃならないんだけど、連休中盤まで天気が悪かったせいでしょうか、流れが多いぞー!

ようやっと林道に出ました。
ここからは歩きやすいダートです。
右に行けば幕山の梅林です。

下りばかりです。
右手に公園が見えてきました。
もうすぐ分岐です。
ほら、あった。

右は公園の梅林へ。
左は白銀林道へ行くみたいです。
私たちは左に進路を取りました。
ちなみに、右は桜の名所だそうです。
今日は時期が遅いから寄らなかったけど。

左のすぐのところには神社が。
せっかくなので、散策の無事をお祈りして。

さて、上りになります。
といっても、車も通れる広めの道。

単車で通れば気持ちいいかも。
やがて橋がありました。
給水菅が橋と並行して走っていたので、水道の設備が近くにあるのかも。

ここが大石平というところらしいです。

ここから幕山に上るルートがあります。
以前はそちらを通ったのですが、今日は真っ直ぐ行ってみようかと。

だって、幕山方面は道が急だし、ぬかるんで歩きにくいしで。

さ、歩きやすい正面へと進みましょ!
道は相変わらず車の通れるダート。
空はなんとか晴れました。
暑くなってきちゃった。
おやぁ、ホントに水道施設になっちゃいましたよ~。
ゲートは鍵がかかっているみたい。
ということは、ここから山道に入るみたいです。
右の道がそうみたい。

結局山道かぁ。
ってなことをグチっていたら、またまた渡りづらい沢。

あの岩に飛び移るように渡って、ホッと一息です。
やっと林道に出ました。
多分この道は白銀林道。

右へ行きましょう。
未舗装路だけど、歩きやすい道。
実はこんな道が結構好きで、単車で走りたい!
と、思っていたらオフロードバイクが走ってきました。
とても羨ましい~!!
いいや、私たちは歩きに来たんだし。
ゆっくりな移動も緑の中なら楽しいのさ!
道はやがて舗装路になりました。

この先は座れるところがないと困るので、ちょっと休憩を入れることに。
縁石に座って昼食タイムです。
誰も通らない道。
樹木に囲まれて眺望は期待できないけど、緑が眩しくなってきたのがちょっと嬉しいかな。
さて、お腹も満ちたので、歩き始めましょう。
もうちょっと行くと幕山への分岐が。

私が知っている分岐は・・・。

すぐの左手に自鑑水分岐があります。
今日はここを入っていきましょう。

石橋山の合戦に破れ敗走した源頼朝が、この池で喉を潤し水鏡で乱れた髪を結い直していると、平家を破り天下を納める自分の姿が映り自害を思い止まったという。
それが「自鑑水」の由来だそうです。


道はさらに登っていくようなので、たどってみましょう。
白銀林道へもでられるようだけど、ここも直進。

登りがちょっときつくなってきた頃、丁字路に出ました。

左は小道地蔵堂寺屋敷跡だそうで、私たちは南郷山を目指して右へ。
山頂へは数分で着けるということでした。
途中にある分岐は白銀林道に降りる道。

山頂はたいして広くはなかったけど、ここは開放感があって眺めが最高です。

南郷山、海抜610mだそうです。
そんなに高くないけど、真鶴半島が見下ろせて、気分は上々です。

一休みしたら、今度は下りましょう。
正面に道があるので、そこを通ります。

ほら、絶景ポイント。

この道は白銀林道へと続きます。
こちらのほうが緩やかに降りて行けるので、結構オススメかも。
白銀林道に出ました。
ここを右です。

今度は五郎神社を目指します。

数分歩くと五郎神社への分岐がありました。
ここから山道です。
でも、あとは降るだけ。

松が目立つようになるとゴルフ場の脇に出ます。
ゴルフ場に沿ってぐんぐん下る道。
10分ほどでゴルフ場端の簡易舗装された道に出ました。

道はどんどん急になってきます。
いつもならもう膝が悲鳴を上げているはずなんだけど、今日はまだなんとかなっているみたい。
今のうちに降りれるだけ降りなきゃ。
ベンチがあるので、座りたい病が。
でも、勝手に座っていいのかな?

なんとか急坂をクリアしました。
出てきた道は幕山公園と五郎神社を結ぶ道。
左へ行けばバス停です。

この時期はシャガが咲き誇ってます。
ここでも綺麗に咲いていたので、パチリ。


すぐに神社です。
ここに「鍛冶屋」バス停があります。

ここから湯河原駅まで10分強。
1時間に1本から2本の便があるので、時間がある時は神社にお参りを。

今日も無事に歩くことができました。
ありがとうございました。
お賽銭はこの時のために貯めていた5円玉を。

今日もよく歩いたぞぉ。
だいたい4時間くらいだけど、急な下りのせいで思ったより疲れちゃいました。
帰ったら何をつまみに飲もうかなぁ。
帰りの東海道線は、ちょっと贅沢をしてグリーンに座りましょう。
普通席とは乗り心地がまったく違うから。
お疲れ様でしたー。
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