今日は寒い朝です。
そろそろ衣替えをしなきゃいけないと思いつつ。まだタンスの中は夏物で。
さて、今回の日曜日はいい天気なので、今日も散策に行ってきました。
久しぶりの友人との二人旅。
今日は足柄峠を目指そうということに。
海抜759mにあるこの峠は、古くから足柄路として知られ、東国と西国を結ぶ重要な路としてにぎわったところだそうです。
峠には、足柄聖天堂や、新羅三郎義光吹笙の石、足柄の関所跡、足柄城址などがあり、風光明媚な観光名所だということなので、ちょっと楽しみ。
今日はいつもより早めの出発になります。
最寄り駅から横浜駅経由相鉄線に乗り、海老名駅で乗り換えて新松田駅に着いたのが7時台後半。
近くの小田急ストアーで買出しを済ませても、まだバスの時間まではずいぶん待つことになっちゃった。

ここから関本(大雄山駅)経由で地蔵堂まで行きます。
この駅から座れる確立と、路線バスの旅をもくろんで乗ったわけですが、案の定立ち客が大勢いて、私たちは座れてよかったぁ。
ただ、関本に着いたときは空席がありましたが。
なんだ、関本から乗ってもよかったじゃん!?
さて、バスは快適に走っていきます。
地蔵堂行きのバスは、あまり本数がありません。
今日も8時10分発のバスに乗りましたが、これは地蔵堂行き。
ほかのほとんどが関本止まりになります。
地蔵堂バス停へは40分くらいで着きました。
期待通りの長閑な雰囲気です。

ここからは万葉公園へ行くバスにアクセスしているそうです。
が、今日は歩いて行く事に。
近くにあるお堂をパチリ。

さて、いつものように遊歩悠遊さんを参考にさせてもらってと。
どちらに行けばいいのかな?
バス停を降りたところにある分岐、お堂の脇ですが、道標がありました。
足柄峠は右の道ということで、そちらへと進みます。

すぐのところに地図があるので、参考にと思って撮っておくことに。

このまま直進かと思ったら、なんと、あの路地を入れと・・・。

右に降りる路地を入っていくと、うどん屋さんがありました。
まだ営業はしていないので、今日は素通りです。

この道は先ほどのバス通りに出るんじゃ・・・?
じゃ、バス通りをそのまま登る・・・?
いやいや、そーじゃないみたいです。
道路の向かい、ちょっと右手にハイキングコースの入り口がありました。

ファミリーコースって案内板には書いてあったので、あまり過激な道ではなさそうです。
でも、山道っぽいので、期待しちゃいました。

大体1時間くらいで万葉公園に着くそうなので。
じゃ、歩き始めましょう。

最初は畑などへの道です。
少し登ると茶畑がありました。
お茶の葉の緑がきれいでしょ?

こんな調子で続いていくのかと思ったんだけど、緩やかな上りはここだけのようで、すぐに山道となりました。
ちょっと分岐が続きます。

左へ行ったり右へ行ったりと、ややこしくなりそうですが、このコースには道標が整備されていて、目的地がわかっていれば迷うことはないみたいです。

万葉公園へ65分と書いてあります。
そんなに遠くないみたい。

道はどこぞの(例えば葉山とか)山道とは比べ物にならないくらい歩きやすくなっています。
道標もちゃんと付いてるし。

ただ、ほとんど登りというのがちょっと・・・。

しばらくすると東屋に着きました。
小休止できますね。

ここで分岐がありました。
万葉公園や矢倉岳、あしかりの郷。
万葉公園は直進らしいので、このまま上りです。

あしかりの郷って興味あるなぁ。
ま、それはまたのお楽しみ。

道は広いけど、広すぎてわかりにくいということもあるんですね。
とりあえず登ればいいかぁということで、えっちら登っていきます。
どこを目指していいか不安になるころ道標が現れます。

それを確認しながら登っていきましょう。
30分くらい登ったかな。
ここら辺は急勾配と感じました。
わかりづらい分岐がありました。
万葉公園は左だということで、道を探します。

これかな?

どうやら道は合ってるみたい。
迷わなくてよかったぁ。
さて、先に進みます。

分岐はいくつかありました。
それでも道標に助けられて公園に向かってます。

山道でも広めで見渡せるので、安心感。

草を掻き分けて進むどこか(葉山や逗子あたり)と雲泥の差かも。
と、このコースを持ち上げている、そんなとき・・・。

く、クマ~?
それはちょっと怖いかもしれません。
あまり襲わないだろうけど・・・。
さて、ここの分岐はどちらでもいいようです。
なので、右手を上がっていくことにしました。

広場に出るとのこと。
どんな広場なんでしょう?
景色は楽しめるのかな?

登りますね!


どうやらここを左みたいです。
右は駿河小山駅へ行くみたい。

じゃ、左へと。

なんてことない尾根みたいです。
眺望もよくないし。
これなら山道を進んでもよかったかも。

ところどころに句碑がありました。
これは登山番組でやっていた木の実。
名前は・・・忘れちゃった。

公園だけあって、散策路がいろいろとあります。
どこを通っても公園入り口まで行けそう。

また東屋があるので、一休み。

周りを見回してみると、紅葉しているじゃありませんか!
今シーズン初めての紅葉。
ちょっと感動です。

道標はこの先を示しているので、直進すればいいみたい。

やがて散策路の分岐がありました。
ここを右に降りていくと本コースだそうです。

舗装路に出ちゃった。
バス道路みたい。
右手の脇を入っていくみたいです。

ちゃんと道標がありました。
足柄峠はこちらでいいそうです。
トイレもあるそうなので、そろそろスッキリしたいな。

下界がちょっと見えます。
ずいぶん登ってきたみたい。

やっと公園の入り口に着きました。

足柄万葉公園は、神奈川県(相模の国)と静岡県(駿河の国)の県境にある足柄峠を主とし、南には箱根、東に足柄平野や遠くに相模湾が見渡せ、自然を破壊することなく、市民や観光客が自然の中で憩いながら歴史にふれ、文化的教養の向上を図ることを目的として開設されました。
ここ足柄峠は、奈良・平安の時代には東国と西国とを結ぶ官道(足柄道)であり、東海道の交通の要所でもありました。
当時、東国から西日本の防備のために赴いた防人が、足柄山や足柄地方を詠んだ歌が万葉集の中に多いことでも知られています。
また、峠の足柄城址から見る富士山は、長い尾をひく裾野から雪をかぶった頂上まで手に取るように大きく壮大です。
園内は「歴史散策、自然の景勝、万葉集を味わう」の三区分からなっており、万葉集に出てくる足柄ゆかりの歌を刻んだ石碑(根府川石)と、歌に出てくるネズ、エゴノキ、アセビ等約90種の植物などが植栽してあります。
また、アブラチャン(油瀝青 別名;ムラダチ)が多く自生し、早春(3月~4月)には黄色い小さな花が園内を彩ります。

りっぱな方位盤も。

ここからもバスは出ているようです。

時間表は・・・あら、こんだけしかないの~?

あまりメジャーな公園じゃないってことでしょうか。
車での移動がメインと考えているんでしょうか。
もしバスでの移動のときは気をつけなくちゃ。
さて、先に進みましょう。
まずはトイレを探さなきゃ。

車道を進んでいきます。
静岡県の境にきました。
ここからは駿府だぞっと。

県境のそばには足柄明神への分岐がありました。
ホントならお参りしていけばいいんだろうけど、ちょっとトイレ事情が・・・。

なので、説明文だけ撮って先を急ぐことに。

現在、神奈川県南足柄市苅野274に鎮座する「足柄神社」は、社伝によれば、天慶3年(940年)に明神ヶ岳に祀られたのが創始で、足柄峠、矢倉岳に遷座した後、鎌倉時代末期に現在地に遷座したとされています。
このため、明治時代には「矢倉神社」と称しましたが、昭和14年に「足柄神社」に改称したそうです。
主祭神は天照皇大御神だそうですが、伝承によれば、日本武尊東征のとき、明神ヶ岳から足柄峠を越えようとして道に迷い、白鹿に導かれて無事に峠を越えたといい、これを神霊の導きであるとして祀ったものというとか。
足柄峠の「足柄明神跡」は、その足柄峠の神社跡とされ、いわば足柄峠越えの守り神です。
創建伝説に日本武尊が関わるということは、古代東海道沿いの神社には、よくあります。
矢倉岳山頂(870m)には、今も石祠があり、いわば「足柄神社」の奥宮とされているそうです。
さて、トイレはどこかな?
車道を進んでいくと、あったあった、あれがそうですね。
割とキレイじゃん!

トイレを済ませて、さてこれからどちらに行けばいいのやらと思っていると・・・。
トイレの向かいに関跡がありました。
ちょっと寄っていきましょう。

足柄の関は昌泰2年(899年)、足柄坂に出没する強盗団、シュウ馬の党を取り締まるために設けられたそうです。

顔はめしながら写真を撮る気にはなれず。
まだまだ修行が足りないと自覚しました。
人目を気にすることなく、撮ってくればよかったかも。
さて、ここから左手の階段を登っていくそうです。
どこに階段があるのかと思ったら、ほら、あの案内板のところ!

足柄城址公園の遊歩道の案内板でした。

足柄城は、北条氏によって築城された戦国時代の出城です。
この城は、足柄峠を中心に尾根上のいくつかの城郭群に守られた堂々たる城でしたが、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めの後廃城となりました。
足柄城は悌郭式(ていかくしき)という方式でつくられた城で、郭(くるわ)と呼ばれるひとくぎりの備えが串だんごのように並び、自然の山地をうまく利用した城で、虎口(こぐち)という小高い丘がひとくぎりの陣地である郭への入口となっています。
このため、敵が攻めてきても城内のようすがわからないようになっています。
足柄城址は、攻撃を守るためにつくられた城で、どの郭からも打って出るのに都合のよい工夫がされており、隠し郭と考えられている三の郭、長く続く二の郭などはいずれも銃撃戦に備えて築かれている形で本丸にせまっています。
橋を渡って公園内へ。

一気に開けました。
天気は上場。
芝生の緑と青い空。
すぐそばには雄大な富士山。
きもちい~い!!

こんなキレイな富士山を見たのは久しぶりでした。
裾野まで広がった姿。
登山道まで見える!
いつかは登りたいと思ってます。

さて、散策路を行ってみましょう。

道標にしたがって郭(くるわ)と呼ばれる場所を辿っていきます。
一から順番に道標が案内してくれます。

ベンチも整備されているので、いい時間ならここらでお弁当を広げるのもいいかもしれません。
いくつか郭をすぎていくと井戸跡に出ました。

その先が五の郭。
これが最後らしいです。

散策路はやがて車道に出ました。
交通量は多くは無いけど、結構往来しています。
気をつけて歩かないと。

左は先ほどの城址公園。
なので、右に降りていきます。
もう下るだけになってきたようです。
旅の後半ですね。
少し歩くとお地蔵様がありました。

六地蔵。
「六」の所以は、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)を彷徨う、迷える衆生を救済する六人の菩薩さま、ということらしいです。
その先には下六地蔵といわれているが8体の地蔵が祀られていました。

この地蔵像は享保の頃に江戸本所の人々により両親の供養や自分たちの死後の安楽を願って建てられたものだそうです。
芭蕉の歌碑もありました。

「目にかかる 時やことさら 五月富士」
句の内容は、山越えの時に曇り空で富士の姿が見えないと思っていたところ、突然雲が切れてあざやかな富士の姿が現れた。
予期もしない時に目に入った山容の美しさはことさらであるということらしいです。
句碑の向かい側にこれから向かう「足柄古道」がありました。
ここを降りていくそうです。

道はすぐに車道に出ました。

すぐの向かいにまた古道が。
どうやら車道で分断されているみたい。

県道まで670メートルということなので、またすぐに車道なんでしょう。
ともかく降りていきましょう。

それでも県道に出るのに15分近くかかりました。

やっと県道です。
ここを右に降りていきます。
足柄駅まで45分だそうです。

車道を通る車は多くないみたい。
ちょっと安心して歩いていけます。
あ、あそこに分岐が。
ここはダートじゃないですかぁ!

足柄駅はこちらから行けるそうなので、こっちに進みましょう。

広めの林道を進みます。
車も通れるような未舗装路を見ると、ジープ時代が懐かしく思います。
入り口から数分で分岐がありました。
「虎御前石」というのがあるそうなので、ちょっと寄っていくことに。

500メートルって道標にはあったけど、山道での500メートルは結構距離があるように感じますね。
しかもすべて登り。
やっと着いたとおもったら、石はいずこや?
あ、トラ目ロープがはられている。
ってことは、ちょっと左に下ったところにあるらしい・・・。

あった。

建久4年(1193)5月、源頼朝が富士の裾野に巻狩りの折、曽我兄弟は父の仇の工藤祐経を討ちとり本懐を遂げ、この時、兄十郎祐成を慕う大磯の長者の娘虎女(後に虎御前)はひそかに相模国を発ち、足柄峠を越えて富士の見える古道の傍らの石に座し、兄弟の悲願達成と安否を気づかい夜を明かしたという。
後に里人たちは虎女の愛情を称え、この石を虎御前石と命名したそうです。
さて、本ルートに戻りましょう。
分岐っぽい道もありますが、本道は広く降りていく方です。

歩きやすく、しかも下りということで、軽口まで出ました。
この先は滝があるらしいのですが・・・。

銚子ヶ渕というところに着きました。

昔、花嫁が厳粛な祝言の最中に「おなら」をして大笑いになりました。
年若い初(うぶ)な嫁は、これを深く恥じて席にいたたまれず抜け出し、銚子を抱いてこの渕に身を投げてしまったと。
その後、女の履いた草履が時々水の面に浮かぶので村人たちは恐れ、地蔵を安置してねんごろに弔ったので、再び浮かんでこなかったと云う。
この悲しい物語を忘れるため、里人はこの池を縁結び「銚子ヶ渕」と名づけ伝えたので、良縁を望む多くの男女が池にがんをかけ成就したと伝えられています。

こんな言い伝えがあったんですね。

川沿いに遊歩道があります。
戻って林道を通ってもいいし、川沿いを歩いてもいいし。
この先で合流するので、どちらでもお好きに。
さて、先に進みましょう。
もうずいぶんと降りてきていると思います。
次は不動之滝だそうです。

由来は、足柄峠から源頼光は赤い雲のたなびく峰を見つけ家来の渡辺綱に、あの雲の下には偉人がいるにちがいないとして急いで見てくるように命じました。
渡辺綱は金太郎親子に頼光の意を告げ、この場所まで二人をともなってきました。
頼光は早速金太郎を家来の一人に加え渡辺綱、碓井貞光、卜部季武の四人を頼光の四天王としました。
初めて金太郎が頼光に対面した場所の滝としてこの名がつきました。

先ほどの銚子が渕よりも滝らしい滝です。

すぐそばに建物がありました。
道場だそうですが、ガラスも割れていて、使えるのかどうか?

ちょうど日に当たった場所に虹が出ていたのでパチリ。
わかるかなぁ・・・?

ちょっと見えにくいですね、すいません。
さて、戻って先に進みましょう。
林道は快適に続いています。
嶽之下宮奥宮がありました。

今回は素通りでしたが、パワースポットらしいので、機会があったら寄ってみたいです。
さて、今回の散策も終盤です。
駅までの道標がありました。
6分で駅に着くそうです。

民家がありました。
これで街中に入ったみたいです。
直進していけば御殿場線の踏切があります。

踏み切りを渡ればすぐ左手が足柄駅になります。

足柄駅は昭和22年に開設されましたが、その設置実現については地元の並々ならぬ運動背景がありました。
その実現への意欲は、足柄地区住民が用地及び資材を提供し、駅舎建設、ホームや線路の土盛り・切り土工事などに住民総出で取り組み、「眺める汽車から乗れる汽車にしよう」という意気込みでした。現在は駅前整備が平成10年に完成し、良好な住宅地となっています。
駅前には足柄地区観光案内版と金太郎が。

ここは無人駅みたいで、切符も車内で買うそうです。
長閑なホームに御殿場線が入ってきました。
ここから国府津駅へ出て、東海道線で大船まで。
座っていけるといいなぁ。

今回の散策は天気にも恵まれて、久しぶりにすがすがしく歩くことができました。
富士がとてもきれいで、なにかご利益がありそうです。
前半は登りばかりでしたが、それほどきつい勾配ではなく、楽しんで歩くことができました。
地蔵堂バス停から足柄駅まで約5時間の散策でした。
そろそろ衣替えをしなきゃいけないと思いつつ。まだタンスの中は夏物で。
さて、今回の日曜日はいい天気なので、今日も散策に行ってきました。
久しぶりの友人との二人旅。
今日は足柄峠を目指そうということに。
海抜759mにあるこの峠は、古くから足柄路として知られ、東国と西国を結ぶ重要な路としてにぎわったところだそうです。
峠には、足柄聖天堂や、新羅三郎義光吹笙の石、足柄の関所跡、足柄城址などがあり、風光明媚な観光名所だということなので、ちょっと楽しみ。
今日はいつもより早めの出発になります。
最寄り駅から横浜駅経由相鉄線に乗り、海老名駅で乗り換えて新松田駅に着いたのが7時台後半。
近くの小田急ストアーで買出しを済ませても、まだバスの時間まではずいぶん待つことになっちゃった。

ここから関本(大雄山駅)経由で地蔵堂まで行きます。
この駅から座れる確立と、路線バスの旅をもくろんで乗ったわけですが、案の定立ち客が大勢いて、私たちは座れてよかったぁ。
ただ、関本に着いたときは空席がありましたが。
なんだ、関本から乗ってもよかったじゃん!?
さて、バスは快適に走っていきます。
地蔵堂行きのバスは、あまり本数がありません。
今日も8時10分発のバスに乗りましたが、これは地蔵堂行き。
ほかのほとんどが関本止まりになります。
地蔵堂バス停へは40分くらいで着きました。
期待通りの長閑な雰囲気です。

ここからは万葉公園へ行くバスにアクセスしているそうです。
が、今日は歩いて行く事に。
近くにあるお堂をパチリ。

さて、いつものように遊歩悠遊さんを参考にさせてもらってと。
どちらに行けばいいのかな?
バス停を降りたところにある分岐、お堂の脇ですが、道標がありました。
足柄峠は右の道ということで、そちらへと進みます。

すぐのところに地図があるので、参考にと思って撮っておくことに。

このまま直進かと思ったら、なんと、あの路地を入れと・・・。

右に降りる路地を入っていくと、うどん屋さんがありました。
まだ営業はしていないので、今日は素通りです。

この道は先ほどのバス通りに出るんじゃ・・・?
じゃ、バス通りをそのまま登る・・・?
いやいや、そーじゃないみたいです。
道路の向かい、ちょっと右手にハイキングコースの入り口がありました。

ファミリーコースって案内板には書いてあったので、あまり過激な道ではなさそうです。
でも、山道っぽいので、期待しちゃいました。

大体1時間くらいで万葉公園に着くそうなので。
じゃ、歩き始めましょう。

最初は畑などへの道です。
少し登ると茶畑がありました。
お茶の葉の緑がきれいでしょ?

こんな調子で続いていくのかと思ったんだけど、緩やかな上りはここだけのようで、すぐに山道となりました。
ちょっと分岐が続きます。

左へ行ったり右へ行ったりと、ややこしくなりそうですが、このコースには道標が整備されていて、目的地がわかっていれば迷うことはないみたいです。

万葉公園へ65分と書いてあります。
そんなに遠くないみたい。

道はどこぞの(例えば葉山とか)山道とは比べ物にならないくらい歩きやすくなっています。
道標もちゃんと付いてるし。

ただ、ほとんど登りというのがちょっと・・・。

しばらくすると東屋に着きました。
小休止できますね。

ここで分岐がありました。
万葉公園や矢倉岳、あしかりの郷。
万葉公園は直進らしいので、このまま上りです。

あしかりの郷って興味あるなぁ。
ま、それはまたのお楽しみ。

道は広いけど、広すぎてわかりにくいということもあるんですね。
とりあえず登ればいいかぁということで、えっちら登っていきます。
どこを目指していいか不安になるころ道標が現れます。

それを確認しながら登っていきましょう。
30分くらい登ったかな。
ここら辺は急勾配と感じました。
わかりづらい分岐がありました。
万葉公園は左だということで、道を探します。

これかな?

どうやら道は合ってるみたい。
迷わなくてよかったぁ。
さて、先に進みます。

分岐はいくつかありました。
それでも道標に助けられて公園に向かってます。

山道でも広めで見渡せるので、安心感。

草を掻き分けて進むどこか(葉山や逗子あたり)と雲泥の差かも。
と、このコースを持ち上げている、そんなとき・・・。

く、クマ~?
それはちょっと怖いかもしれません。
あまり襲わないだろうけど・・・。
さて、ここの分岐はどちらでもいいようです。
なので、右手を上がっていくことにしました。

広場に出るとのこと。
どんな広場なんでしょう?
景色は楽しめるのかな?

登りますね!


どうやらここを左みたいです。
右は駿河小山駅へ行くみたい。

じゃ、左へと。

なんてことない尾根みたいです。
眺望もよくないし。
これなら山道を進んでもよかったかも。

ところどころに句碑がありました。
これは登山番組でやっていた木の実。
名前は・・・忘れちゃった。

公園だけあって、散策路がいろいろとあります。
どこを通っても公園入り口まで行けそう。

また東屋があるので、一休み。

周りを見回してみると、紅葉しているじゃありませんか!
今シーズン初めての紅葉。
ちょっと感動です。

道標はこの先を示しているので、直進すればいいみたい。

やがて散策路の分岐がありました。
ここを右に降りていくと本コースだそうです。

舗装路に出ちゃった。
バス道路みたい。
右手の脇を入っていくみたいです。

ちゃんと道標がありました。
足柄峠はこちらでいいそうです。
トイレもあるそうなので、そろそろスッキリしたいな。

下界がちょっと見えます。
ずいぶん登ってきたみたい。

やっと公園の入り口に着きました。

足柄万葉公園は、神奈川県(相模の国)と静岡県(駿河の国)の県境にある足柄峠を主とし、南には箱根、東に足柄平野や遠くに相模湾が見渡せ、自然を破壊することなく、市民や観光客が自然の中で憩いながら歴史にふれ、文化的教養の向上を図ることを目的として開設されました。
ここ足柄峠は、奈良・平安の時代には東国と西国とを結ぶ官道(足柄道)であり、東海道の交通の要所でもありました。
当時、東国から西日本の防備のために赴いた防人が、足柄山や足柄地方を詠んだ歌が万葉集の中に多いことでも知られています。
また、峠の足柄城址から見る富士山は、長い尾をひく裾野から雪をかぶった頂上まで手に取るように大きく壮大です。
園内は「歴史散策、自然の景勝、万葉集を味わう」の三区分からなっており、万葉集に出てくる足柄ゆかりの歌を刻んだ石碑(根府川石)と、歌に出てくるネズ、エゴノキ、アセビ等約90種の植物などが植栽してあります。
また、アブラチャン(油瀝青 別名;ムラダチ)が多く自生し、早春(3月~4月)には黄色い小さな花が園内を彩ります。

りっぱな方位盤も。

ここからもバスは出ているようです。

時間表は・・・あら、こんだけしかないの~?

あまりメジャーな公園じゃないってことでしょうか。
車での移動がメインと考えているんでしょうか。
もしバスでの移動のときは気をつけなくちゃ。
さて、先に進みましょう。
まずはトイレを探さなきゃ。

車道を進んでいきます。
静岡県の境にきました。
ここからは駿府だぞっと。

県境のそばには足柄明神への分岐がありました。
ホントならお参りしていけばいいんだろうけど、ちょっとトイレ事情が・・・。

なので、説明文だけ撮って先を急ぐことに。

現在、神奈川県南足柄市苅野274に鎮座する「足柄神社」は、社伝によれば、天慶3年(940年)に明神ヶ岳に祀られたのが創始で、足柄峠、矢倉岳に遷座した後、鎌倉時代末期に現在地に遷座したとされています。
このため、明治時代には「矢倉神社」と称しましたが、昭和14年に「足柄神社」に改称したそうです。
主祭神は天照皇大御神だそうですが、伝承によれば、日本武尊東征のとき、明神ヶ岳から足柄峠を越えようとして道に迷い、白鹿に導かれて無事に峠を越えたといい、これを神霊の導きであるとして祀ったものというとか。
足柄峠の「足柄明神跡」は、その足柄峠の神社跡とされ、いわば足柄峠越えの守り神です。
創建伝説に日本武尊が関わるということは、古代東海道沿いの神社には、よくあります。
矢倉岳山頂(870m)には、今も石祠があり、いわば「足柄神社」の奥宮とされているそうです。
さて、トイレはどこかな?
車道を進んでいくと、あったあった、あれがそうですね。
割とキレイじゃん!

トイレを済ませて、さてこれからどちらに行けばいいのやらと思っていると・・・。
トイレの向かいに関跡がありました。
ちょっと寄っていきましょう。

足柄の関は昌泰2年(899年)、足柄坂に出没する強盗団、シュウ馬の党を取り締まるために設けられたそうです。

顔はめしながら写真を撮る気にはなれず。
まだまだ修行が足りないと自覚しました。
人目を気にすることなく、撮ってくればよかったかも。
さて、ここから左手の階段を登っていくそうです。
どこに階段があるのかと思ったら、ほら、あの案内板のところ!

足柄城址公園の遊歩道の案内板でした。

足柄城は、北条氏によって築城された戦国時代の出城です。
この城は、足柄峠を中心に尾根上のいくつかの城郭群に守られた堂々たる城でしたが、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めの後廃城となりました。
足柄城は悌郭式(ていかくしき)という方式でつくられた城で、郭(くるわ)と呼ばれるひとくぎりの備えが串だんごのように並び、自然の山地をうまく利用した城で、虎口(こぐち)という小高い丘がひとくぎりの陣地である郭への入口となっています。
このため、敵が攻めてきても城内のようすがわからないようになっています。
足柄城址は、攻撃を守るためにつくられた城で、どの郭からも打って出るのに都合のよい工夫がされており、隠し郭と考えられている三の郭、長く続く二の郭などはいずれも銃撃戦に備えて築かれている形で本丸にせまっています。
橋を渡って公園内へ。

一気に開けました。
天気は上場。
芝生の緑と青い空。
すぐそばには雄大な富士山。
きもちい~い!!

こんなキレイな富士山を見たのは久しぶりでした。
裾野まで広がった姿。
登山道まで見える!
いつかは登りたいと思ってます。

さて、散策路を行ってみましょう。

道標にしたがって郭(くるわ)と呼ばれる場所を辿っていきます。
一から順番に道標が案内してくれます。

ベンチも整備されているので、いい時間ならここらでお弁当を広げるのもいいかもしれません。
いくつか郭をすぎていくと井戸跡に出ました。

その先が五の郭。
これが最後らしいです。

散策路はやがて車道に出ました。
交通量は多くは無いけど、結構往来しています。
気をつけて歩かないと。

左は先ほどの城址公園。
なので、右に降りていきます。
もう下るだけになってきたようです。
旅の後半ですね。
少し歩くとお地蔵様がありました。

六地蔵。
「六」の所以は、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)を彷徨う、迷える衆生を救済する六人の菩薩さま、ということらしいです。
その先には下六地蔵といわれているが8体の地蔵が祀られていました。

この地蔵像は享保の頃に江戸本所の人々により両親の供養や自分たちの死後の安楽を願って建てられたものだそうです。
芭蕉の歌碑もありました。

「目にかかる 時やことさら 五月富士」
句の内容は、山越えの時に曇り空で富士の姿が見えないと思っていたところ、突然雲が切れてあざやかな富士の姿が現れた。
予期もしない時に目に入った山容の美しさはことさらであるということらしいです。
句碑の向かい側にこれから向かう「足柄古道」がありました。
ここを降りていくそうです。

道はすぐに車道に出ました。

すぐの向かいにまた古道が。
どうやら車道で分断されているみたい。

県道まで670メートルということなので、またすぐに車道なんでしょう。
ともかく降りていきましょう。

それでも県道に出るのに15分近くかかりました。

やっと県道です。
ここを右に降りていきます。
足柄駅まで45分だそうです。

車道を通る車は多くないみたい。
ちょっと安心して歩いていけます。
あ、あそこに分岐が。
ここはダートじゃないですかぁ!

足柄駅はこちらから行けるそうなので、こっちに進みましょう。

広めの林道を進みます。
車も通れるような未舗装路を見ると、ジープ時代が懐かしく思います。
入り口から数分で分岐がありました。
「虎御前石」というのがあるそうなので、ちょっと寄っていくことに。

500メートルって道標にはあったけど、山道での500メートルは結構距離があるように感じますね。
しかもすべて登り。
やっと着いたとおもったら、石はいずこや?
あ、トラ目ロープがはられている。
ってことは、ちょっと左に下ったところにあるらしい・・・。

あった。

建久4年(1193)5月、源頼朝が富士の裾野に巻狩りの折、曽我兄弟は父の仇の工藤祐経を討ちとり本懐を遂げ、この時、兄十郎祐成を慕う大磯の長者の娘虎女(後に虎御前)はひそかに相模国を発ち、足柄峠を越えて富士の見える古道の傍らの石に座し、兄弟の悲願達成と安否を気づかい夜を明かしたという。
後に里人たちは虎女の愛情を称え、この石を虎御前石と命名したそうです。
さて、本ルートに戻りましょう。
分岐っぽい道もありますが、本道は広く降りていく方です。

歩きやすく、しかも下りということで、軽口まで出ました。
この先は滝があるらしいのですが・・・。

銚子ヶ渕というところに着きました。

昔、花嫁が厳粛な祝言の最中に「おなら」をして大笑いになりました。
年若い初(うぶ)な嫁は、これを深く恥じて席にいたたまれず抜け出し、銚子を抱いてこの渕に身を投げてしまったと。
その後、女の履いた草履が時々水の面に浮かぶので村人たちは恐れ、地蔵を安置してねんごろに弔ったので、再び浮かんでこなかったと云う。
この悲しい物語を忘れるため、里人はこの池を縁結び「銚子ヶ渕」と名づけ伝えたので、良縁を望む多くの男女が池にがんをかけ成就したと伝えられています。

こんな言い伝えがあったんですね。

川沿いに遊歩道があります。
戻って林道を通ってもいいし、川沿いを歩いてもいいし。
この先で合流するので、どちらでもお好きに。
さて、先に進みましょう。
もうずいぶんと降りてきていると思います。
次は不動之滝だそうです。

由来は、足柄峠から源頼光は赤い雲のたなびく峰を見つけ家来の渡辺綱に、あの雲の下には偉人がいるにちがいないとして急いで見てくるように命じました。
渡辺綱は金太郎親子に頼光の意を告げ、この場所まで二人をともなってきました。
頼光は早速金太郎を家来の一人に加え渡辺綱、碓井貞光、卜部季武の四人を頼光の四天王としました。
初めて金太郎が頼光に対面した場所の滝としてこの名がつきました。

先ほどの銚子が渕よりも滝らしい滝です。

すぐそばに建物がありました。
道場だそうですが、ガラスも割れていて、使えるのかどうか?

ちょうど日に当たった場所に虹が出ていたのでパチリ。
わかるかなぁ・・・?

ちょっと見えにくいですね、すいません。
さて、戻って先に進みましょう。
林道は快適に続いています。
嶽之下宮奥宮がありました。

今回は素通りでしたが、パワースポットらしいので、機会があったら寄ってみたいです。
さて、今回の散策も終盤です。
駅までの道標がありました。
6分で駅に着くそうです。

民家がありました。
これで街中に入ったみたいです。
直進していけば御殿場線の踏切があります。

踏み切りを渡ればすぐ左手が足柄駅になります。

足柄駅は昭和22年に開設されましたが、その設置実現については地元の並々ならぬ運動背景がありました。
その実現への意欲は、足柄地区住民が用地及び資材を提供し、駅舎建設、ホームや線路の土盛り・切り土工事などに住民総出で取り組み、「眺める汽車から乗れる汽車にしよう」という意気込みでした。現在は駅前整備が平成10年に完成し、良好な住宅地となっています。
駅前には足柄地区観光案内版と金太郎が。

ここは無人駅みたいで、切符も車内で買うそうです。
長閑なホームに御殿場線が入ってきました。
ここから国府津駅へ出て、東海道線で大船まで。
座っていけるといいなぁ。

今回の散策は天気にも恵まれて、久しぶりにすがすがしく歩くことができました。
富士がとてもきれいで、なにかご利益がありそうです。
前半は登りばかりでしたが、それほどきつい勾配ではなく、楽しんで歩くことができました。
地蔵堂バス停から足柄駅まで約5時間の散策でした。