新年を迎えました。
2016年、申年です。
今年は暖かい正月です。
例年だと2日は餅つきと決まっているんですが、今年は喪中なのでそれは中止。
代わりにどこか歩きに行こうかということになりました。
今回は大山の手前になるという「高取山」。
伊勢原駅からバスに乗ります。
このバスが曲者で、このときは午前中に3本。
7時半、8時半、9時半。
これを逃すとちょっと厄介になるみたいです。
ただ、目的のバス停はタクシーで行っても1500円くらいらしいので、時間が合わなければタクシーという手もありかと思います。
降り立ったバス停は「恵泉女学園前」というところ。
「けいせんじょがくえんまえ」と読みましょう。・・・読める読める。
正月ということもあって、バス停の周りは風の音だけのとても静かな場所です。
進行方向に向かって進んでいきます。
二股に分かれる道はありますが、道標がちゃんと設置されてて迷うことはないみたい。
今日は高取山を目指すので、正面へ。
高取山まで90分だそうです。
やっぱり急坂を登るのかなぁ・・・。
そういえば、数年前になるんだけど、高取山周辺を散策した覚えがあったりして。
あの時はゴルフ場から入って、高取山へ登ろうとしたところ入り口を見落としてしまって。
行けども行けども上り口がないから、あきらめ始めたら「大山方面」とかいう道標が出てきて。
結局大山へ登ったんですよ。
今日はそーゆーアクシデントはないだろうけど、だから待望の(そうでもないかな)高取山制覇なんです。
道は住宅街-と言っていいんだろうか-を通る舗装路。
分岐もありますが、ちゃんと道標が案内してくれます。
ここら辺は昔ながらのお家が多いのでしょう。
広い敷地にゆったりな間取りの家。
贅沢ですねー。
だんだん山に入っていくように道は続きます。
ふと脇を見るとなにやら得体の知れないものが幹に着いていました。
お年頃の私にはもう近くはピントが合わないので、相方が言うにはクモじゃないかと。
私はクモが苦手なのでスルーしたかったんだけど、相方に言われて写真に。
う~ん、気持ち悪い。
さて、分岐があります。
左は「坪ノ内バス停」と書いてありました。
今日は正面へ。
次は右に入るそうです。
高取山へは2.8kmとなっていました。
いよいよ山道かな?
このあたりには古墳があるそうです。
三ノ宮・上栗原遺跡
この付近は丹沢山地東端の丘陵部にあたり、蛇行する栗原川が深い谷を造り、そこに注ぐ無数の流れが複雑な地形を形成しています。
上栗原遺跡は谷に面した南向きの斜面に位置し、標高は約120mを測ります。
本遺構は、平成5年に市道590号線の改良工事に先立って発掘調査されました。
その結果、崖面から15基の横穴墓が発見され、そのうち工事によって影響を受ける1~12号の12基をを調査しました。
横穴墓は6世紀の後半に神奈川県内に伝播し、7世紀いっぱいまで造らられます。
崖や段丘の斜面に横穴を掘り、内部には石を敷き、入口に石を積んで塞いでいます。
入口の石を取り除けば何度でも出入りできるため、一基に複数回の埋葬がされることが一般的です。
石室を有する古墳と並んで、古墳時代後期に盛んに造られました。
伊勢原市内にも150年程の間に数百基の横穴墓が造られたと考えられます。
上栗原遺跡の横穴墓は関東ローム層を掘り込んでいるため、長い年月の間に天井が崩れ、4号と12号を除いて内部が埋まった状態で発見されました。
横穴墓の構造で興味深いのは4号、5合が小さくて古い横穴墓を作り替えて構築され、さらにその入口斜面に横穴式石室のような石積みを有していた点です。
この石積み施設は、上栗原遺跡の東側約600mに位置する下尾崎遺跡でも発見されており、横穴墓と横穴式石室をもつ古墳が混在して分布する伊勢原市域の特徴といえます。
副葬品としては、鉄鏃(矢じり)、小刀、素焼罌の皿、日まで焼いた壺やのほか、大刀の付属品の付属金具は金色に輝く耳飾り等の珍しい遺物も出土しています。
そして最も特筆すべきものが5号横穴墓出土の鉄製馬具です。
写真は馬に乗る歳に足をかける壺鐙で、出土例はこくないでも20に満たない貴重なものです。
それに伴い鉄製の轡と帯金具も出土しています。
下尾崎遺跡でも鉄製の輪鐙が出土しており、古墳時代後期の馬具については、この三ノ宮地区が県内一の集中を見せています。
この先にはコスモス畑もあるそうなので、秋に来ればすばらしい眺めが堪能できたかも。
今日は真冬なのでだめでしたが。
道沿いにはトイレもありました。
この先はトイレがないそうで、ここで済ませておくといいかもしれません。
コスモスの代わりでしょうか、梅が咲いていました。
もう梅の季節?
ちょっと早いようだけど、今年は暖冬だから。
背後を振り返ると伊勢原の町並みが。
いよいよ山道です。
この分岐を入ってハイキングコースに乗ります。
車止めゲートがありました。
しばらくは舗装路なのですが、やがて未舗装になります。
土の道は歩きやすい。
おっと、ここでゲート。
これはシカやイノシシ対策でしょうか。
「山の神社」があります。
「かみしゃ」と読むそうです。
やっぱり安全祈願ということで、寄って行きましょう。
道はどちらへいってもすぐに合流するので、気分の問題なんだろうけど、今日は右手へ。
すぐに石碑がありました。
お賽銭を収めて無事をお祈りします。
すぐ先で先ほどの道と合流します。
そこがさらに分岐点になってまして、最初の難所になります。
次の目標は「聖峰不動尊」。
「ひじりみね」と読むそうです。
左は九十九曲という、言ってみれば男坂的な。
右は女坂だそうで、たぶんこっちが楽なんだろうと。
相方は左のほうが面白そうだと言ってます。
なので、今日は勇気を振り絞って九十九曲へと進んでいきます。
こりゃ急な坂道だわぁ。
カーブはすぐに来るんだけど、なんせ急な坂なもので、イキが切れちゃう。
休み休み登って、やっと「聖峰不動尊」に着きました。
10分はかかったのかな。
坂の入り口になる道標にもそう書いてあったし。
「聖峰不動尊」に着きました。
広い敷地にお社というのかな、お堂というのかな、りっぱな建物が。
そばにはベンチなどもあって、休憩するにはちょうどいい場所です。
栗原の西方に群立する山々の中央に、お椀を伏せたような山が聖峰だそうです。
標高375メートル。
天平の頃、紀伊の国、高野山のふもとの天野郷に、阿字の長者とよばれる賢女がいたとか。
一夜一人の旅僧が夢枕に立ち、「私は世の中を救おうとする大願をもっているが、しばらく長者の胎を借りたい。」と言うと長者の口の中へ入ってしまいました。
やがて長者には立派な男の子が誕生し、長者は不思議な夢にちなみその子に「救世若」という名を付けたそうです。
「救世若」は比叡山に登り、円仁慈堂大師について修行をつみ当地に来たのは貞観のはじめ頃(859年頃)でした。
「救世若」は人々から「天野の聖」又は「子の聖」と呼ばれ当峰を選んで不動尊をまつり、また、自らの修行の場としたので、聖峰の名が起きたそうです。
「救世若」は非常に長寿であったことや、足腰の病の神として人々にまつられています。
眺めも最高で、ランドマークタワーや新宿まで見えます。
あ、日によってはですけど・・・・。
さて、休憩が終わって、先に進みたいと思います。
お不動様の左手から道が続いています。
高取山へは40分で行けるそうです。
エッチラ登っていくと、急な階段に出会いました。
ここは段差が大きく登りにくくて大変です。
やっとの思いで登った先に弘法山への分岐がありました。
弘法山といったら、秦野駅やちょっと足を伸ばして鶴巻温泉駅へと出られる、あの名所であります。
そちらへ行ってもいいかとも思いましたが、今日が初めてのこのコースなので、無難に予定の道へ。
ここまでくれば高取山はすぐそこ。
分岐から5~6分で山頂に着きました。
高取山山頂556mだそうです。
ここから大山や弘法山、蓑毛といった各終点へと行けます。
天気もいいし、体力も時間も余裕があったんだけど、今日は予定通りにということで。
機会があったら大山へと行ってみたいかも。
ここにはベンチもあって昼食にはいいところなんですが、ちょっと早く着きすぎでした。
ちょこっと休憩して先に進みます。
寺山方面へ向かいましょう。
そちらへ行くとゴルフ場を通ってバス停に出られるそうです。
山頂からはもう下るだけでいいので、楽チンです。
しばらく下るとゲートがありました。
ここを通って行きましょう。
前回このゲートを見逃したのが悪かったんですね。
で、道は左右に通っています。
前回はここを右にず~~っと歩きました。
そんな嫌な思い出があるので、左へと進みます。
下り坂って、案外歩きにくいのですね。
落ち葉が滑りやすくなってました。
やがてまたゲートが出てきました。
ここを通ればゴルフ場に入ります。
脇には獣よけの電線が。
触らないようにしなきゃ。
あとは舗装された道を下るだけ。
ただ、プレーしているそばを通るので、静かに速やかに移動しないとね。
今日は天気はいいんだけど、富士山はちょっと雲に隠れてて、頭だけ見ることができました。
カート道を下っていきます。
クラブハウスも過ぎて、各コースへの分岐もありますが、基本は直進。
側溝かな、歩くにはいいかなっていう道もあったけど、カートがあまり通ってないから、そのまま直進して下ります。
下のほうに見えるのは、一般道。
あそこを下れば、もうすぐバス道路です。
一般道からカートが入れるように開いているところ。
今日はここから車道に出ましょう。
さらに下っていきましょう。
車もほとんど通らない正月2日。
天気も気温もちょうどよくて、おまけに静かで。
いい散策ができました。
さて、バス道路に出ました。
左に行くとすぐに「東中学校前」バス停があります。
ここには「清水湧水池跡」というのがあります。
写真は忘れちゃった。
バスは1時間に2本ほどありました。
待っても30分。
楽勝です。
時間帯によっては3本もあります。
ここから秦野駅へと出られるので、駅で食事でもいいし、ちょっとバス旅がしたいっていうなら平塚駅や二宮駅へ出られます。
今日の歩いた時間は3時間弱。
余裕のあるいいコースでした。
例によって参考にしました「悠歩悠遊」さんのHP、いつもお世話になって、ありがとうございます。
初めての高取山でしたが、時間にも体力にも余裕があることがわかったので、今度は大山や弘法山へと足を伸ばしたいと思います。
2016年、申年です。
今年は暖かい正月です。
例年だと2日は餅つきと決まっているんですが、今年は喪中なのでそれは中止。
代わりにどこか歩きに行こうかということになりました。
今回は大山の手前になるという「高取山」。
伊勢原駅からバスに乗ります。
このバスが曲者で、このときは午前中に3本。
7時半、8時半、9時半。
これを逃すとちょっと厄介になるみたいです。
ただ、目的のバス停はタクシーで行っても1500円くらいらしいので、時間が合わなければタクシーという手もありかと思います。
降り立ったバス停は「恵泉女学園前」というところ。
「けいせんじょがくえんまえ」と読みましょう。・・・読める読める。
正月ということもあって、バス停の周りは風の音だけのとても静かな場所です。
進行方向に向かって進んでいきます。
二股に分かれる道はありますが、道標がちゃんと設置されてて迷うことはないみたい。
今日は高取山を目指すので、正面へ。
高取山まで90分だそうです。
やっぱり急坂を登るのかなぁ・・・。
そういえば、数年前になるんだけど、高取山周辺を散策した覚えがあったりして。
あの時はゴルフ場から入って、高取山へ登ろうとしたところ入り口を見落としてしまって。
行けども行けども上り口がないから、あきらめ始めたら「大山方面」とかいう道標が出てきて。
結局大山へ登ったんですよ。
今日はそーゆーアクシデントはないだろうけど、だから待望の(そうでもないかな)高取山制覇なんです。
道は住宅街-と言っていいんだろうか-を通る舗装路。
分岐もありますが、ちゃんと道標が案内してくれます。
ここら辺は昔ながらのお家が多いのでしょう。
広い敷地にゆったりな間取りの家。
贅沢ですねー。
だんだん山に入っていくように道は続きます。
ふと脇を見るとなにやら得体の知れないものが幹に着いていました。
お年頃の私にはもう近くはピントが合わないので、相方が言うにはクモじゃないかと。
私はクモが苦手なのでスルーしたかったんだけど、相方に言われて写真に。
う~ん、気持ち悪い。
さて、分岐があります。
左は「坪ノ内バス停」と書いてありました。
今日は正面へ。
次は右に入るそうです。
高取山へは2.8kmとなっていました。
いよいよ山道かな?
このあたりには古墳があるそうです。
三ノ宮・上栗原遺跡
この付近は丹沢山地東端の丘陵部にあたり、蛇行する栗原川が深い谷を造り、そこに注ぐ無数の流れが複雑な地形を形成しています。
上栗原遺跡は谷に面した南向きの斜面に位置し、標高は約120mを測ります。
本遺構は、平成5年に市道590号線の改良工事に先立って発掘調査されました。
その結果、崖面から15基の横穴墓が発見され、そのうち工事によって影響を受ける1~12号の12基をを調査しました。
横穴墓は6世紀の後半に神奈川県内に伝播し、7世紀いっぱいまで造らられます。
崖や段丘の斜面に横穴を掘り、内部には石を敷き、入口に石を積んで塞いでいます。
入口の石を取り除けば何度でも出入りできるため、一基に複数回の埋葬がされることが一般的です。
石室を有する古墳と並んで、古墳時代後期に盛んに造られました。
伊勢原市内にも150年程の間に数百基の横穴墓が造られたと考えられます。
上栗原遺跡の横穴墓は関東ローム層を掘り込んでいるため、長い年月の間に天井が崩れ、4号と12号を除いて内部が埋まった状態で発見されました。
横穴墓の構造で興味深いのは4号、5合が小さくて古い横穴墓を作り替えて構築され、さらにその入口斜面に横穴式石室のような石積みを有していた点です。
この石積み施設は、上栗原遺跡の東側約600mに位置する下尾崎遺跡でも発見されており、横穴墓と横穴式石室をもつ古墳が混在して分布する伊勢原市域の特徴といえます。
副葬品としては、鉄鏃(矢じり)、小刀、素焼罌の皿、日まで焼いた壺やのほか、大刀の付属品の付属金具は金色に輝く耳飾り等の珍しい遺物も出土しています。
そして最も特筆すべきものが5号横穴墓出土の鉄製馬具です。
写真は馬に乗る歳に足をかける壺鐙で、出土例はこくないでも20に満たない貴重なものです。
それに伴い鉄製の轡と帯金具も出土しています。
下尾崎遺跡でも鉄製の輪鐙が出土しており、古墳時代後期の馬具については、この三ノ宮地区が県内一の集中を見せています。
この先にはコスモス畑もあるそうなので、秋に来ればすばらしい眺めが堪能できたかも。
今日は真冬なのでだめでしたが。
道沿いにはトイレもありました。
この先はトイレがないそうで、ここで済ませておくといいかもしれません。
コスモスの代わりでしょうか、梅が咲いていました。
もう梅の季節?
ちょっと早いようだけど、今年は暖冬だから。
背後を振り返ると伊勢原の町並みが。
いよいよ山道です。
この分岐を入ってハイキングコースに乗ります。
車止めゲートがありました。
しばらくは舗装路なのですが、やがて未舗装になります。
土の道は歩きやすい。
おっと、ここでゲート。
これはシカやイノシシ対策でしょうか。
「山の神社」があります。
「かみしゃ」と読むそうです。
やっぱり安全祈願ということで、寄って行きましょう。
道はどちらへいってもすぐに合流するので、気分の問題なんだろうけど、今日は右手へ。
すぐに石碑がありました。
お賽銭を収めて無事をお祈りします。
すぐ先で先ほどの道と合流します。
そこがさらに分岐点になってまして、最初の難所になります。
次の目標は「聖峰不動尊」。
「ひじりみね」と読むそうです。
左は九十九曲という、言ってみれば男坂的な。
右は女坂だそうで、たぶんこっちが楽なんだろうと。
相方は左のほうが面白そうだと言ってます。
なので、今日は勇気を振り絞って九十九曲へと進んでいきます。
こりゃ急な坂道だわぁ。
カーブはすぐに来るんだけど、なんせ急な坂なもので、イキが切れちゃう。
休み休み登って、やっと「聖峰不動尊」に着きました。
10分はかかったのかな。
坂の入り口になる道標にもそう書いてあったし。
「聖峰不動尊」に着きました。
広い敷地にお社というのかな、お堂というのかな、りっぱな建物が。
そばにはベンチなどもあって、休憩するにはちょうどいい場所です。
栗原の西方に群立する山々の中央に、お椀を伏せたような山が聖峰だそうです。
標高375メートル。
天平の頃、紀伊の国、高野山のふもとの天野郷に、阿字の長者とよばれる賢女がいたとか。
一夜一人の旅僧が夢枕に立ち、「私は世の中を救おうとする大願をもっているが、しばらく長者の胎を借りたい。」と言うと長者の口の中へ入ってしまいました。
やがて長者には立派な男の子が誕生し、長者は不思議な夢にちなみその子に「救世若」という名を付けたそうです。
「救世若」は比叡山に登り、円仁慈堂大師について修行をつみ当地に来たのは貞観のはじめ頃(859年頃)でした。
「救世若」は人々から「天野の聖」又は「子の聖」と呼ばれ当峰を選んで不動尊をまつり、また、自らの修行の場としたので、聖峰の名が起きたそうです。
「救世若」は非常に長寿であったことや、足腰の病の神として人々にまつられています。
眺めも最高で、ランドマークタワーや新宿まで見えます。
あ、日によってはですけど・・・・。
さて、休憩が終わって、先に進みたいと思います。
お不動様の左手から道が続いています。
高取山へは40分で行けるそうです。
エッチラ登っていくと、急な階段に出会いました。
ここは段差が大きく登りにくくて大変です。
やっとの思いで登った先に弘法山への分岐がありました。
弘法山といったら、秦野駅やちょっと足を伸ばして鶴巻温泉駅へと出られる、あの名所であります。
そちらへ行ってもいいかとも思いましたが、今日が初めてのこのコースなので、無難に予定の道へ。
ここまでくれば高取山はすぐそこ。
分岐から5~6分で山頂に着きました。
高取山山頂556mだそうです。
ここから大山や弘法山、蓑毛といった各終点へと行けます。
天気もいいし、体力も時間も余裕があったんだけど、今日は予定通りにということで。
機会があったら大山へと行ってみたいかも。
ここにはベンチもあって昼食にはいいところなんですが、ちょっと早く着きすぎでした。
ちょこっと休憩して先に進みます。
寺山方面へ向かいましょう。
そちらへ行くとゴルフ場を通ってバス停に出られるそうです。
山頂からはもう下るだけでいいので、楽チンです。
しばらく下るとゲートがありました。
ここを通って行きましょう。
前回このゲートを見逃したのが悪かったんですね。
で、道は左右に通っています。
前回はここを右にず~~っと歩きました。
そんな嫌な思い出があるので、左へと進みます。
下り坂って、案外歩きにくいのですね。
落ち葉が滑りやすくなってました。
やがてまたゲートが出てきました。
ここを通ればゴルフ場に入ります。
脇には獣よけの電線が。
触らないようにしなきゃ。
あとは舗装された道を下るだけ。
ただ、プレーしているそばを通るので、静かに速やかに移動しないとね。
今日は天気はいいんだけど、富士山はちょっと雲に隠れてて、頭だけ見ることができました。
カート道を下っていきます。
クラブハウスも過ぎて、各コースへの分岐もありますが、基本は直進。
側溝かな、歩くにはいいかなっていう道もあったけど、カートがあまり通ってないから、そのまま直進して下ります。
下のほうに見えるのは、一般道。
あそこを下れば、もうすぐバス道路です。
一般道からカートが入れるように開いているところ。
今日はここから車道に出ましょう。
さらに下っていきましょう。
車もほとんど通らない正月2日。
天気も気温もちょうどよくて、おまけに静かで。
いい散策ができました。
さて、バス道路に出ました。
左に行くとすぐに「東中学校前」バス停があります。
ここには「清水湧水池跡」というのがあります。
写真は忘れちゃった。
バスは1時間に2本ほどありました。
待っても30分。
楽勝です。
時間帯によっては3本もあります。
ここから秦野駅へと出られるので、駅で食事でもいいし、ちょっとバス旅がしたいっていうなら平塚駅や二宮駅へ出られます。
今日の歩いた時間は3時間弱。
余裕のあるいいコースでした。
例によって参考にしました「悠歩悠遊」さんのHP、いつもお世話になって、ありがとうございます。
初めての高取山でしたが、時間にも体力にも余裕があることがわかったので、今度は大山や弘法山へと足を伸ばしたいと思います。