大崎善生著「聖の青春」


 「聖の青春」は29歳で夭逝した村山聖(むらやまさとし)八段の将棋人生を描いたノンフィクションです。

 将棋のルールは知っていて遊びで指すことはできますがド素人、小学生か中学生の時に誰かと対戦して以来、少なくともこの25年はやっていないと思います。ただ、昔から新聞に毎日掲載される観戦記はちょっとした読み物として独特の面白さがあり好きで、特に大一番での緊迫したやり取りは素人が断片を読んでも大いに楽しめるものでした。
 それがキッカケは何だったか思い出せないのですが、もう少し詳しく将棋のことを知りたくなりました。観戦記ファンとして、振り飛車、棒銀といった戦術や美濃囲い、穴熊などの囲い方の名称、配置の特徴くらいは知っていてもそれぞれの効果、具体的な展開方法などは??どうせならもう少し詳しく承知していたい・・・その勉強中の将棋教本探しの中で「聖の青春」に出会いました。

 村山聖は広島県に生まれた普通の少年でしたが、5歳の時に難病の腎ネフローゼを発症しました。腎臓の機能が低下した結果、顔や手足がむくみ、高熱が出るので絶対安静にしてとにかくじっと寝て回復を待つ。この体調不良を繰り返す人生を送ることになります。入院生活の暇つぶしの中で知ったのが将棋。将棋への異常な関心が高じて大量の関連本を病床で読み漁るようになるのですが、実際に対戦を始める頃には既にかなりの実力を蓄積していました。

 そして地元の同年代では無敵となった村山聖は将棋プロへの登竜門である大阪の奨励会に入り、プロ(4段以上)をめざし、最終目標である名人への道を駆け上り始める・・・。

 このノンフィクションをとてつもなく面白くしているのは、病気に打ち克って将棋に取り組む村山聖の真摯さを主軸とするとサブシーンとして散りばめられている師匠である森信雄4段(現7段)との交流です。この森4段は若い頃にインドなどを放浪した変わり者で、雀荘通いを日課とするようなだらしない生活を送っているのですが、それが将棋さえできれば他のことはどうでもよい村山聖と妙に相性がよくて、風呂、掃除はたまで部屋は散らかし放題、食事は決まって駅ガード下の食堂という戦後の混乱期でも思わせるような生活を送ります。勝った者だけが残って奨励会で将棋を続けられるといういわば殺し合いのような緊迫感と時代が何十年か違うんではないかと思わせるほのぼのとした日常生活とのギャップが何とも可笑しくてこの2人の二人三脚での戦い、生活に楽しみつつ喝采を送るようになります。
 一方で病気は思わしくなく入退院の繰り返し、日々の生活の中でも大事な一戦を前にして高熱発症、体が動かなくなるということも頻発し、村山聖は順調にクラスを勝ち上がる中で自分には時間がないという意識を強くしていきます。

 著者の大崎善生が遭遇した2人の関係を物語る次のようなやりとりが紹介されています。
<われわれと青年は公園のほぼ中央で出会った。森が飛ぶように、青年に近づいていった。「飯、ちゃんと食うとるか?風呂入らなあかんで。爪と髪切りや、歯も時々磨き」機関銃のような師匠の命令が飛んだ。髪も髭も伸び放題、風呂は入らん、歯も滅多に磨かない師匠は「手出し」と次の命令を下す。青年はおずおずと森に向けて手を差し伸べた。その手を森はやさしくさすりはじめた。そして「まあまあやなあ」と言った。すると、青年は何も言わずにもう一方の手を差し出すのだった。
 大阪の凍りつくような、真冬の夜の公園で私は息をのむような気持ちでその光景を見ていた。それは、人間のというよりもむしろ犬の親子のような愛情の交歓だった。>

 村山聖の写真は表紙の1枚の他、本中にもいくつか掲載されていて、その朴訥とした愛らしい表情から、どうして多くの人間が村山聖を愛したかが想像できます。
 村山聖は名人への挑戦権をかけたA級リーグ(トッププロ10名の総当たり戦で最高勝率者が名人に挑戦する)まで上り詰めますが、新たな病魔が村山聖を襲い、命を賭けた壮絶な戦いを続ける中で最後は道半ばで倒れます。

 感動して読了したとはいえ直接は知らない人物にこれほどの喪失感を覚えるのはどうしてなんでしょうか。誰もが青年期に経験する好きなものへの一途な思いを20歳を超えて多くのお金を稼ぐようにもなっても持ち続けた村山聖という男への感情移入の深さ故なんだろうと思います。

 村山聖の死に際して出された谷川浩司9段のコメントが引用されていて、(死の前年である平成9年)7月14日の丸山7段(現9段)との激戦は絶対に盤に並べて彼の名人に懸ける執念を感じ取って頂きたいとあります。本の巻末に載っている棋譜を並べてみました。村山の執念を深く読み取れる棋力は私にはまだありませんが、その凄さを実感できる程度まで将棋が上達できればいいなと思います。


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