近所の青年で、よく見かける人がいます。年は30くらい、太めのころのカール・アーバン(特に髭)似で、結構何度も出くわします。彼は100メートルほど離れたアパートに住んでいるようです。朝の通勤時にいつもの時間でいつもの人を見かけるのとは違い、イレギュラーな時間に出くわすので余計気になります。先日また歩道ですれ違ったのですが、その時、挨拶をしようかどうか一瞬迷った(何しろカール似!だし)訳で。そして挨拶は結局しなかったのですが、挨拶をすることに一瞬迷いが発生したのには訳があります。彼には片足が無いのです。
彼が健常者だったら、挨拶していたのか?と考えたのが、挨拶できなかった理由です。片足であるという事実が自分の行為に影響を及ぼしているかどうかが定かではなかったから。ではもし、片足だったから挨拶しようと思ったとしたら。身体が不自由だから愛想よくしてあげなくては?なんて私は考えているのだとしたら?あるいは相手にそう受け取られたら?どこか不自由だろうと不自由でなかろうと人に親切にすることは間違っていない。路上駐車の自転車の前で立ち往生している目の不自由な方を助けることを「親切にする」と呼ぶかどうかの疑問は別として(当然の行為でしょ、それは)。少なくとも私は、もし自分に片足が無くても普通に接して欲しい。もちろん身体的に不自由であることからくる物質的障害を取り除くための「親切」ならともかく、何か身体が不自由だからという理由で意味もなく愛想よくされても、迷惑なだけではないのか。それは親切でも何でもない。自己満足。
近所の青年に挨拶することがどうしてそんなにおおごとなのか?私には過去に少々辛い経験があります。留学していたころ、同じクラスにメキシコ人の青年がいました。彼は低身長症で足が少々不自由でした。しかし明るい彼は人気者(まあメキシコ人留学生は皆人気者でしたね~)でした。ある日、教室に行くと開いている席のうち一つが彼の隣で、彼はその空席にあった自分の荷物を私が座れるようにどけてくれたらしいのです。しかし私は彼の隣ではなく隅の席に座りました。私にとっては何の深い意味もない行為でしたが、あとでクラスメートの一人から告げられたのは、彼が、私が自分の隣に座りたくないんだと言って非常に落胆しているということでした。「僕が背が低いから、嫌なんだ。」と言っていると。「彼はKei(私の呼び名)のこととっても気に入っていたのに」とまで。ええっ?なんてこったい!誤解だ誤解!そんな時ラテン系がするように、相手を抱きしめてほお擦りして「そんなこと無いよ誤解だよ」というアクションが取れれば良かったのですが(いや本当です、マジな話。)残念ながら私は自分の感情を上手く表現することが苦手でした。そのクラスメートに「誤解だからと伝えて欲しい」と頼むのが精一杯です。その後ずっと彼とはギクシャクしたままでした。私は彼に、自分が思う以上に言動に配慮するべきだったのか?そうですね、配慮すべきだったのかも知れません。彼の明るさの裏の繊細さを私は感じ取ることが出来なかった。私は彼が人とは少々違うからといって、もちろん特別扱いしませんでした。私に足りなかったのは「ほんの少しの配慮」。でも、その青年を傷つけたという事実は今思い出しても辛い。
その経験から、今回私は、その青年に気を使わなければと無意識に思っているのではないかと感じたのです。それが挨拶をためらった理由でした。しかしそうして躊躇うこと自体が、目に見える事実「彼の他人との違い」に私の思考が囚われている証明です。彼には身体的に大きな特徴かある、それは個性の一つであり、それ以上でも、それ以下でもない。私たちはまず、同じ人間であるということの前に、その人をカテゴリ分けしてしまうことがあります。人種であったり、性別であったり、職業であったり、宗教であったり。また、上記の青年のように「健常者」に対する「身体が不自由な方」であったり。自分と違う生い立ちや状況の人と接する時、私たちは必要以上に「特別扱いする」または必要以上に「消極的に接する」の両極端になることがありませんか?どんな状況にあっても相手にまず、同じ人間として接すること。それは難しいことなのでしょうか?
今度道で会ったら、元気に挨拶してみようと思います。
追記:この記事を上げたのが金曜日。そして本日日曜日、白馬(長野)からの帰り道、家からかなり離れたところにあるロイヤルホストに入り、食事を終えてかえろうとレジにいたら、同じ会社の同じ階の隣の島の人々が入ってきました・・・「あれ?こんなところで、偶然ですね!」(このロイヤルホスト、会社からはもっと離れているのです。)なんていっていたら、なぜかこの記事の彼が一緒に居ました、彼らと。はい、あまりに驚くと人間口がきけないということを発見。どうなっているんだ一体?
彼が健常者だったら、挨拶していたのか?と考えたのが、挨拶できなかった理由です。片足であるという事実が自分の行為に影響を及ぼしているかどうかが定かではなかったから。ではもし、片足だったから挨拶しようと思ったとしたら。身体が不自由だから愛想よくしてあげなくては?なんて私は考えているのだとしたら?あるいは相手にそう受け取られたら?どこか不自由だろうと不自由でなかろうと人に親切にすることは間違っていない。路上駐車の自転車の前で立ち往生している目の不自由な方を助けることを「親切にする」と呼ぶかどうかの疑問は別として(当然の行為でしょ、それは)。少なくとも私は、もし自分に片足が無くても普通に接して欲しい。もちろん身体的に不自由であることからくる物質的障害を取り除くための「親切」ならともかく、何か身体が不自由だからという理由で意味もなく愛想よくされても、迷惑なだけではないのか。それは親切でも何でもない。自己満足。
近所の青年に挨拶することがどうしてそんなにおおごとなのか?私には過去に少々辛い経験があります。留学していたころ、同じクラスにメキシコ人の青年がいました。彼は低身長症で足が少々不自由でした。しかし明るい彼は人気者(まあメキシコ人留学生は皆人気者でしたね~)でした。ある日、教室に行くと開いている席のうち一つが彼の隣で、彼はその空席にあった自分の荷物を私が座れるようにどけてくれたらしいのです。しかし私は彼の隣ではなく隅の席に座りました。私にとっては何の深い意味もない行為でしたが、あとでクラスメートの一人から告げられたのは、彼が、私が自分の隣に座りたくないんだと言って非常に落胆しているということでした。「僕が背が低いから、嫌なんだ。」と言っていると。「彼はKei(私の呼び名)のこととっても気に入っていたのに」とまで。ええっ?なんてこったい!誤解だ誤解!そんな時ラテン系がするように、相手を抱きしめてほお擦りして「そんなこと無いよ誤解だよ」というアクションが取れれば良かったのですが(いや本当です、マジな話。)残念ながら私は自分の感情を上手く表現することが苦手でした。そのクラスメートに「誤解だからと伝えて欲しい」と頼むのが精一杯です。その後ずっと彼とはギクシャクしたままでした。私は彼に、自分が思う以上に言動に配慮するべきだったのか?そうですね、配慮すべきだったのかも知れません。彼の明るさの裏の繊細さを私は感じ取ることが出来なかった。私は彼が人とは少々違うからといって、もちろん特別扱いしませんでした。私に足りなかったのは「ほんの少しの配慮」。でも、その青年を傷つけたという事実は今思い出しても辛い。
その経験から、今回私は、その青年に気を使わなければと無意識に思っているのではないかと感じたのです。それが挨拶をためらった理由でした。しかしそうして躊躇うこと自体が、目に見える事実「彼の他人との違い」に私の思考が囚われている証明です。彼には身体的に大きな特徴かある、それは個性の一つであり、それ以上でも、それ以下でもない。私たちはまず、同じ人間であるということの前に、その人をカテゴリ分けしてしまうことがあります。人種であったり、性別であったり、職業であったり、宗教であったり。また、上記の青年のように「健常者」に対する「身体が不自由な方」であったり。自分と違う生い立ちや状況の人と接する時、私たちは必要以上に「特別扱いする」または必要以上に「消極的に接する」の両極端になることがありませんか?どんな状況にあっても相手にまず、同じ人間として接すること。それは難しいことなのでしょうか?
今度道で会ったら、元気に挨拶してみようと思います。
追記:この記事を上げたのが金曜日。そして本日日曜日、白馬(長野)からの帰り道、家からかなり離れたところにあるロイヤルホストに入り、食事を終えてかえろうとレジにいたら、同じ会社の同じ階の隣の島の人々が入ってきました・・・「あれ?こんなところで、偶然ですね!」(このロイヤルホスト、会社からはもっと離れているのです。)なんていっていたら、なぜかこの記事の彼が一緒に居ました、彼らと。はい、あまりに驚くと人間口がきけないということを発見。どうなっているんだ一体?
運命の人かも~~~!きゃ~~~っ!
て、dimさんとガンダルフに言われてその気になってきたpointdpoです(爆)。
>なにかの力が、その方とponitdpoさんの間に介在しているとも考えられるよね。
こういう場合、何かあるな、と思います。
実はこういう奇妙なことは初めてではないのですが、
今回は即効でしたねぇ。
>現世における人と人の縁って、
>やっぱり前世からなんらかの形でつながっているもの
って言いますよね~ふーん。
友人に言わせると私の前世はきっと、
「飢え死にした小鳥使い」だそうで。
食い意地が張っていて、小鳥好きだかららしい。
>そういう人とは、リアルで付き合っても遠からず疎遠に
そうか!そうかも?実際に会っても些細なことを勘違いして怒ったり?(いるいる)
でも私も「勘違い選手権」に出られるほどよく勘違いします。
待ち合わせ場所のマクドナルドとロッテリアを間違える、
一社と上社を間違える(ローカルだな)なんてしょっちゅうです。
そう、その方はpointdpoさんにとって運命の人なのじゃ~~~~(爆)!!
冗談はおいといて。なにかの力が、その方とponitdpoさんの間に介在しているとも考えられるよね。きっと、pointdpoさんが昔のトラウマを乗り越えられるようにと、和製カール君を引き合わせてくれたんだよ。そう考えれば、なんだか前向きになれそうかな。現世における人と人の縁って、やっぱり前世からなんらかの形でつながっているものなんだって。
みなさん、ネット世界での言葉によるコミュニケーションの難しさに言及しておられますが、確かに顔や表情が見えないお付き合いって怖い面もありますよね。でもね、ささいな行き違いで疎遠になってしまう人ってさ、最初からそれ相応の縁しかなかったとも考えられます。そういう人とは、リアルで付き合っても遠からず疎遠になっちゃうような気もします。
筋肉痛で象に踏まれたような気分のpointdpoです~
>カールに似ているなんて素敵じゃあないですかーーー!!
似てるのは丸顔と髪形と髭です・・・
でもそれだけで似ているような気がしちゃうんですね!
>もしかして運命の人かも知れんですよ!!!
ふははは~そこまで思い込みは激しくないです、私。
ただ、偶然すぎるので何かあるのかな、とは思います。
「ほら、今度会ったらこれで挨拶できるでしょ」となにかに言われているような気がします。
でもdimさんの熱い念を送っていただけるのは嬉しいですよぉ!
よく「面白いよね」って言われますよワタシ。
でも面白くしているだけで、面白い人間ってワケではないんですよね。
その彼・・・カールに似ているなんて素敵じゃあないですかーーー!!
もしかして運命の人かも知れんですよ!!!
声かけるきっかけができたじゃないですか!!!
よかったですね。がんばれ~~~!!
うまくいくよう念を送りますわ♪
>「どうしようかな」って思っている段階で、もう迷いがあるわけですからねえ・・・
その通りです。どうしよう、って思うこと自体、なにか不安要素があるわけです。私は「私が話しかけていいんだろうか」とか「私変なこと言っちゃうんじゃないか」とか妙なこと考えちゃって・・・そんなことどうでもいいんですよね、本当は。気にしすぎ!もちろん、自分の言動には責任を持ちたいです。(言葉で毒まき散らす人、たまに居ますよね。ああいう人は一番苦手です。)
>後で「ばかっぽかったかな?」と後悔することもよくあります(笑)。
も、もしかしてよく「dimさんて面白いひとだよね」って言われます?私よく言われます。お笑いでごまかしてしまうから!何話していいか分からなかったら、まずお笑いで場を繋げ!が原則ですよね・・・
追伸:本日奇妙なことがありました。本文最後に追記しました。
>文章で相手に判ってもらえるのか、失礼になっていないのだろうか、ということはいつも感じています。
分かります!相手が見えないだけに、ちょっと言い過ぎたかも、とか、この書き方だと違う意味に取られるかも、とか心配してしまいます。私は特に、自分流に書いてしまう癖があって・・・ちょっと言い方を変えただけ、あるいは省略しただけで違う意味に取れるようになってしまう、それをもともと悪い方に勘違いしやすい人が見事に悪い意味に取ってしまう。じつはこの間も仕事で「POINTDPO爆弾」メールを流してしまいました(涙)。ある人にある事実をそのまま伝えたら、悪く受け取ったある人と、ほかの人のけんかを招いてしまい・・・POINTDPOが火を付けた!って評判になってしまいました。火をつけて逃げる「放火魔」みたいな。ネットの世界でも一緒ですよね。こうとられるかも、って考えて書かないと、と思います。文章だけだと、結構きついイメージに成るのですよね。
でも、映画関連のブログは、温和な雰囲気だと思います。
>それが人生の糧になっていくのだと思います。
糧になってくれるよう祈りつつ・・あれこれ考えないで直感で行動してみることも必要かも?
ところで、本日記事の青年にロイヤルホストで偶然会いました。顛末は文の最後に追記しました・・・
ワタシも人にどう接していいのかわからんクチだから。人見知りが激しいんです。
色々考えすぎて結局疲れてしまって、相手に対してわざとらしくなっちゃったりするんですよね~。
自然に相手に接するってすごく難しいと思います。
自然に接すれば、相手もそれを察知してくれて自然に受け入れてくれるんでしょうけれどね。
でも「どうしようかな」って思っている段階で、もう迷いがあるわけですからねえ・・・あ、何言ってんだかわかんなくなってきた自分。
自分は最終的にお笑いに徹してしまうのですが、心の中は結構バクバクいっているんですよ。
後で「ばかっぽかったかな?」と後悔することもよくあります(笑)。
でもこれが自分だから仕方ないかって諦めてます、最近は。
pointdpoさんも自分らしくあればいいと思いますよ。
神経質(笑)な部分も含めてpointdpoさんなんだから~。
ネットでもそうですが、相手が見えないだけに、この文章で相手に判ってもらえるのか、失礼になっていないのだろうか、ということはいつも感じています。
私も以前、顔文字1つで怒られたことがあって、私は緩和のつもりで使っていたのですが、相手は笑われたと思ったようでした。
対して目の前に人間がいるときには、今度はじっくりと考えて話せないので、またまた失礼なことを言っているかも。(^^;
でも、物事は自分の心の中だけであれこれ言っていても進まなくって、なにはともあれ進むために接することですね。
それが人生の糧になっていくのだと思います。
またまた熱いコメントをありがとうございます。
>相手に申し訳ないなぁと思い続けていることですよ。
>その思いに僕は心打たれましたよ。
ほめ過ぎですっ!私は根に持つタイプなので・・・いつまでも忘れないって感じです。
>学生の頃ってそういう経験は皆様、多かれ少なかれあるんじゃないでしょうか
その通りです。私は大学行っていた頃、人間関係でノイローゼ気味になり文字通り3ヶ月引きこもりました。ぴったり3ヶ月で復帰(笑)。いまでこそなんであんなことで?ってきっかけでしたが・・
>努力していい人間になりたいです。
いい人間に成りたいって言うモチベーションは素晴らしいことだと思います。自分のあるべき理想を持ち、努力できたら凄いな、と思います。でも、今のShit_headでいいじゃないですか?ブログを拝見する限り、素直に物事に感動できてそれを他人にも伝えることのできる素晴らしい才能を持っていますよ、あなたは。「いい人間」になる努力なんかしなくいいです。
んじゃ4時起きなのでこの辺で・・
いまだ会社から帰れないPOINTDPOです(涙)。まあいいや、今日は仕事の合間に記事書いちゃったし。
>友達にそれを言ったら「そんなことはあまり考えない」>と言われてしまい、とても羨ましく思えました。
そういう人もいますね。でも他人がどう感じるかを常に気にする人は、他人の痛みにも敏感な人です。YuKkoさんもそうなのでは。
この記事はずっとず~っと考えていたことを書きました。微妙なテーマで、書くべきか迷いました(かなり)。多分私は人間関係に関して神経質で、考えすぎなんだと思います。無神経な人よりはいいと思いますが、どうしてもう少し気楽に世の中生きられないのだろうと思うことも多いです。(本当ですって)
>「してする後悔」よりも「しない後悔」の方が後味が悪いですよね。
それですそれ。とりあえず「当たって砕けろ」そりゃ違うか・・・
業務連絡:Kill All Your Friends和訳完成してるんですけどFrankのイラストが描けない・・・
思慮が普通の人よりずっとずっと深いし、自分のことを客観的に冷静に見つめられる方なんですね。
学生の頃ってそういう経験は皆様、多かれ少なかれあるんじゃないでしょうか。誤解されて、無意識に相手を傷つけてしまって、でもどうしていいか分からず、関係が気まずくなる。その逆に傷ついたこともありますよ。学生時代はその手の辛い思い出とか色々ありますね。まだまだ不器用な年代ですからねぇ、そんなに上手に感情表現できる人いないと思いますよ。人の気持ちを感じ取る事だってすごく難しいですもの。僕なんてこの年齢になっても分からないことだらけですよ。
pointdpo様の素晴しいところは、そのことをいまだに気にかけ、相手に申し訳ないなぁと思い続けていることですよ。その思いに僕は心打たれましたよ。
大好きです!(これホント!)
人との接し方って難しい。ついつい見た目に惑わされたり。自分の中の偏見や先入観と向き合うのっていつだって困難なんですよね。自分勝手になったりもします。そうじゃない人の方が実際は少ないと思います。
僕は反省点いっぱいです。pointdpo様に叱られるような事ばっかりです。(笑)
努力していい人間になりたいです。
私は日本人同士でも、クラスメイト同士でも悩みます。
「どうすれば自然体であるのか?」とか考えてしまいます。
どういうタイミングであるにせよ自分がされたら悪い気持ちにならないのに。
友達にそれを言ったら「そんなことはあまり考えない」と言われてしまい、とても羨ましく思えました。
海外だったら「ありがとう」も自然にたくさん言えるのにと思ってました(ごめんなさいと言う単語を知らないし、ボンジュールとメルシしかしらないというのが良かったのかもしれません…笑)
でも、「してする後悔」よりも「しない後悔」の方が後味が悪いですよね。
私も挨拶がちゃんと出来るように頑張ります。
では、また遊びに来ます♪