β3受容体(15年ぐらい前に発見された)に結合して膀胱の弛緩作用を増強し、膀胱の容量を増大させることで、排尿(夜間も含む)回数、尿失禁回数などの減少を目的とした薬です。
ただし飲める人の制限があり、誰でもというわけにはいかないようです。
新薬のため平成24年9月末日までは、14日までとなります。
㈱ピーエムシー企画・ひまわり薬局 ホームページ http://www.pmc-kikaku.jp/
β3受容体(15年ぐらい前に発見された)に結合して膀胱の弛緩作用を増強し、膀胱の容量を増大させることで、排尿(夜間も含む)回数、尿失禁回数などの減少を目的とした薬です。
ただし飲める人の制限があり、誰でもというわけにはいかないようです。
新薬のため平成24年9月末日までは、14日までとなります。
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こんにちは、専務の石田です!先日、出張で神戸に行きました・・・
今回は、神戸出張の帰りに是非、立ち寄りたい場所がありました・・・
それは、「神戸・長田区」です!最近では、震災復興・地域活性化のシンボルとして完成した「鉄人28号」のモニュメントで話題の街です。
会議が終了し、タクシーで「鉄人28号のある長田区までお願いします」というと・・・
運転手さん「長田区?鉄人28号だけを見に行かれるのですか?」
わたし 「実は、阪神淡路大震災の時、長田区に支援に入っていたので、復興した長田区を16年ぶりに訪れてみようと思います。」
運転手さんは、「あの時は、お世話になりました!」と言うなりメーターをガチャリと下ろし、1時間あまりタクシーで長田区を廻ってくれました!
あの時は、震災後2日目の支援入りでした・・・
夜の10時に救急車に支援物資を詰め込み、広島を6名の仲間で出発しましたが、交通規制や道路の欠落などがあり、目的地の「神戸協同病院」に到着したのが午前3時ごろでした。
深夜だというのに病院のスタッフは、慌しく働きロビーの待合や階段さえもベッド代わりに使用し、毛布に横たわり点滴をしている患者さんで溢れていました。
私達は、現地のスタッフから「申し訳ないのですが、明日は6時に起こしますのでお手伝いをお願いします。」と、本が倒れ落ちている図書室に案内され医学書をベッド代わりに寝袋で睡眠を取りました。
朝6時に起床しても、病院の慌しい風景は変わりません・・・病院の人たちはいつ寝たのかな?と聞いてみると「実は、震災から3日間、ドクターもナースも一睡もしていません!家にも帰っていない人が多いのです・・・」というのも、緊急処置の必要な患者さんが、引切り無しに運ばれてくるので、眠る時間も無いのです。
そんな中で、私の役目は・・・
1月の寒さの中、余震が続き、まだ火災の消えきれていない長田区やその周辺の学校、公民館等に既に全国から支援に来ている民医連のドクターやナースが診療にあたっており、そこへ行き必要な医薬品を手帳に書きとめ、病院に戻り医薬品を用意して配達するという任務でした。
その時の神戸の状況は、携帯電話はまだ普及してなくPHSが主流でしたが、震災の影響でつながらない、道路は崩れたビル等に埋もれクルマは使えないという状況です。
わたしは、ママチャリを支給され、瓦礫の上は自転車を担いで移動し、また自転車で走るという繰り返しを朝6時~23時まで行いました。
途中の道路や公園では、博多からラーメンの屋台(自動車)を持ってきて無料で配っている方や、食料品を配っているトラック野郎の方がいらっしゃり、日本のボランティア精神も大したものだと感心したり、消防団員の方たちが、今まさに瓦礫の中から人を引っ張り出しているのを配達途中で手伝い、3日ぶりに下敷きになっていた方が救出された瞬間には、感動しました。
しかし、わたしの任務は楽なほうで、広島から一緒に来た他のメンバーは、病院の電気が止まりポンプの使えない水を、屋上(6階)の貯水タンクまで朝から晩までひたすら運ぶという過酷で変化の無い任務でした。
私達の支援は3~4日程度でしたが、全国のボランティアの方々や、自らが被災者であるにもかかわらず不眠の救援活動をされていた現地の民医連スタッフには頭が下がりました。
当時の様子は「不眠の震災病棟」という本となり出版されていますので興味のある方はこちらをクリック↓
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1101257255
タクシーの運転手さんのご好意で回った長田区の商店街は、当時は木造建築であったため、戦後の焼け跡のような状態でした・・・
現在は、立派な商店街に生まれ変わり、高層マンションが立ち並んでいます。それを見守るかのように「鉄人28号」が立っています!
もう少し走ると見覚えのある建設物が・・・
ここには、民医連のドクターが常駐して診療を行い、何度も配達に通った思いで深い場所です!
学校の外壁の色は変わっていましたが、無傷で避難所になった戦前の立派な建築物の「二葉小学校」です。昭和4年に建設され、戦災・震災を乗り越えた地域のシンボルである旧二葉小学校は、現在は「地域人材支援センター」として生まれ変わっていました。
http://futabasyo.jp/modules/pico/index.php?content_id=1
この、たった3日間の支援は、わたしの人生観を変えるほどの体験であり民医連を誇りに思う経験でした・・・
震災時、全国から延べ1万3000人を超える民医連の仲間や組合員が駆けつけ、献身的な活動を展開しました。わたしたちは、震災のなかで再確認した民医連の原点と全国の連帯を貴重な財産として今後も歩みつづけます。
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