ひまわり薬局 2年目薬剤師のFです。
第8回福島被災地視察・支援連帯行動(2017.7.21~7.23)に行ってきましたのでご報告いたします!
1日目
●福島県連 鈴木事務局長
原発事故から6年経過し、今年の4月に帰還困難区域以外の地域が避難指示解除となり、目に見える部分の復旧は進んでいるとされているが、これから自分たちの目で見て感じてきて欲しいということでした。
原発に近いからといって放射線量が必ずしも高いわけではありません。谷間、山間などは線量が高くなり、ホットスポットと呼ばれるところは原発から離れているところでもあります。
●医療生協わたり病院 放射線技師 大橋主任
ホールボディカウンター(内部被曝検査)とベクレルモニター(食品放射能測定)を見させてもらいました。
ホールボディカウンター
検査の流れ
①着替え
②サーベイメーターによる体表面の検査
③ホールボディカウンターによる全身検査
測る時間は約2分 あくまで測定日当日の被曝量しか測定できません。
ベクレルモニター
きちんと測りたい場合は1L(50g)いります。ミキサーにかけてからビニール袋に入れて測ります。ミキサーにかけてしまうため測定に使った食品
は廃棄となってしまいます。
測る時間は約30分。本体の重さは130kgもあります
装置を実際に見て触ることができたので良かったです。
●社会福祉法人 わたり福祉会 さくら保育園 元園長 斉藤氏
さくら保育園は福島第一原発から60km離れているが放射線量は高い地域でした。震災前と同じように過ごしたくても外で遊ばせても良いのか、食品は安全かと色々な問題がありました。立命館大学名誉教授の安斎先生の助言を得ながら少しずつ安全を確保していったようです。
敷地内の放射線量を測って安全な場所を知り、園庭の土を取り除染を行ったり、散歩コースを測定しながら歩きどのルートなら安全かと模索したりしたようです。
↑環境用試料放射線測定装置
食品は全て測定してから使用します。最初の頃はダンゴムシなども室内で飼ってもいいかこの装置で測定してからにしていたようです。
殿上山児童遊び場↑
ごみを片付けただけで砂の除染は済んでいない。子供たちの遊び場としては空間線量はやや高いです。(基準では0.23μSv/h)
子供たちが安心して遊べる場所を広げていく必要があります。
外で遊びたい園児たち。外で遊ばしてあげたいが、安全か健康面に問題はないかと不安になる保育士、保護者たち。原発事故によって当たり前にできたことができなくなってしまう。6年たった今でも完全に復旧したとは言えないということが見てとれました。
●生協いいの診療所 松本医師
避難先での看取りについてもお話しされました。震災により家族がバラバラになった。慣れない環境となり病状が悪化することも珍しくない。自宅に帰ることができないだけでなく、仮設での看取りとなってしまい、そこに家族が揃わないことも多い。孤独死にもなりかねない。
6年が経過して慣れてきたところに避難指示解除によりまたそこで家族がバラバラになってしまう。
子供がいる世代は学校などで新しいコミュニティができているため健康面、安全面を考えて避難先から帰らない場合もある。松本医師も自分の娘の子供が産まれたときに娘には言えなかったが赤ちゃんの指がちゃんと10本そろっていて安心した。
2日目
●楢葉町に帰還した住民の方々からのお話
楢葉町は福島第一原発から16km~20kmは離れています。来年3月になると仮設住宅は解体されるため仮設住宅に住んでいた人たちはまた移動しなければなりません。
家は畳も壁も障子も全てリフォームしないといけなかった。掃除をしていないため畳が湿っていたりかびていたりしていた。ねずみなどの動物も入っていた。
楢葉町の住民たちは4世代など大家族で住むのが一般的だったが、避難解除され、帰って来たのはおじいちゃん、おばあちゃんの2人だったり、途中で亡くなって1人だったり。→みんなで集まってご飯を作ったりしている。
ふるさとをなくしてはいけないから帰ってきたけど、息子夫婦は子供たちの健康面を気にして避難先(千葉県)に残った。息子たちが帰ってくるのを信じている。
土地や田んぼなどを合わせると3000万、4000万ぐらいになることもあり、その補償金で避難先のいわき市で家を建てる。しかし、いわき市住民には補償金がなく、1世代の家が多いため大きな家は批判をかうことになる。「被害者御殿 仲良くならない」と落書きされることもある。住民票を移してないため回覧板が回らなかったりもする。
●小名浜生協病院 國井勝義事務長によるガイド
浪江町→双葉町→大熊町→富岡町→楢葉町→広野町視察
富岡町 一部帰還困難地域を除き2017.4.1避難指示解除されました。
富岡駅建設、スーパー、マンションなど復旧は始まっているが、富岡駅の運行予定は6便。買い物客、住民は作業員が多い。5.1の居住者128人、居住
率1.0%程度。
道路1本(6m)で右側は帰還困難地域、左側は避難指示解除地域。6mの距離ということもあり、避難指示解除側の住民も誰も帰ってきてない。
「ファッションセンターしまむら」
帰還困難地域はバリケードされて駐停車禁止区域にもなっている。草も汚染物質のため放置され、伸び放題となっています。
復興支援住宅も作られていました。その住宅に入った人は避難者人数からは減らされます。そのため避難している人数は減っていき復旧はより進んでいると思われてしまいます。復旧は確かに進んでいるのかもしれません。しかし、新しい建物はたくさんできていてもそこに住んでいる人は見えません。復興にはまだまだだと感じました。
東北大震災は震災だけでなく原発事故もあったため6年経過したあとでも放射能の不安は続いています。福島以外でも起こりうる事故です。原発が安全ではないことをもっといろんな人に知ってもらわなければならない。
福島という大きな括りでしか認識していませんでしたが、地域によっても、おかれている立場によっても違いがあるということを知ることができました。
自分が同じ立場にならないと分からないことはたくさんあるのだと感じました。今回参加して少しでも福島のことを知ることができたので、今後他の人たちにも伝えていければと思いました。
最後にみんなで記念撮影!
ホームページは、こちらをクリック 株式会社ピーエムシー企画 ひまわり薬局
第8回福島被災地視察・支援連帯行動(2017.7.21~7.23)に行ってきましたのでご報告いたします!
1日目
●福島県連 鈴木事務局長
原発事故から6年経過し、今年の4月に帰還困難区域以外の地域が避難指示解除となり、目に見える部分の復旧は進んでいるとされているが、これから自分たちの目で見て感じてきて欲しいということでした。
原発に近いからといって放射線量が必ずしも高いわけではありません。谷間、山間などは線量が高くなり、ホットスポットと呼ばれるところは原発から離れているところでもあります。
●医療生協わたり病院 放射線技師 大橋主任
ホールボディカウンター(内部被曝検査)とベクレルモニター(食品放射能測定)を見させてもらいました。
ホールボディカウンター
検査の流れ
①着替え
②サーベイメーターによる体表面の検査
③ホールボディカウンターによる全身検査
測る時間は約2分 あくまで測定日当日の被曝量しか測定できません。
ベクレルモニター
きちんと測りたい場合は1L(50g)いります。ミキサーにかけてからビニール袋に入れて測ります。ミキサーにかけてしまうため測定に使った食品
は廃棄となってしまいます。
測る時間は約30分。本体の重さは130kgもあります
装置を実際に見て触ることができたので良かったです。
●社会福祉法人 わたり福祉会 さくら保育園 元園長 斉藤氏
さくら保育園は福島第一原発から60km離れているが放射線量は高い地域でした。震災前と同じように過ごしたくても外で遊ばせても良いのか、食品は安全かと色々な問題がありました。立命館大学名誉教授の安斎先生の助言を得ながら少しずつ安全を確保していったようです。
敷地内の放射線量を測って安全な場所を知り、園庭の土を取り除染を行ったり、散歩コースを測定しながら歩きどのルートなら安全かと模索したりしたようです。
↑環境用試料放射線測定装置
食品は全て測定してから使用します。最初の頃はダンゴムシなども室内で飼ってもいいかこの装置で測定してからにしていたようです。
殿上山児童遊び場↑
ごみを片付けただけで砂の除染は済んでいない。子供たちの遊び場としては空間線量はやや高いです。(基準では0.23μSv/h)
子供たちが安心して遊べる場所を広げていく必要があります。
外で遊びたい園児たち。外で遊ばしてあげたいが、安全か健康面に問題はないかと不安になる保育士、保護者たち。原発事故によって当たり前にできたことができなくなってしまう。6年たった今でも完全に復旧したとは言えないということが見てとれました。
●生協いいの診療所 松本医師
避難先での看取りについてもお話しされました。震災により家族がバラバラになった。慣れない環境となり病状が悪化することも珍しくない。自宅に帰ることができないだけでなく、仮設での看取りとなってしまい、そこに家族が揃わないことも多い。孤独死にもなりかねない。
6年が経過して慣れてきたところに避難指示解除によりまたそこで家族がバラバラになってしまう。
子供がいる世代は学校などで新しいコミュニティができているため健康面、安全面を考えて避難先から帰らない場合もある。松本医師も自分の娘の子供が産まれたときに娘には言えなかったが赤ちゃんの指がちゃんと10本そろっていて安心した。
2日目
●楢葉町に帰還した住民の方々からのお話
楢葉町は福島第一原発から16km~20kmは離れています。来年3月になると仮設住宅は解体されるため仮設住宅に住んでいた人たちはまた移動しなければなりません。
家は畳も壁も障子も全てリフォームしないといけなかった。掃除をしていないため畳が湿っていたりかびていたりしていた。ねずみなどの動物も入っていた。
楢葉町の住民たちは4世代など大家族で住むのが一般的だったが、避難解除され、帰って来たのはおじいちゃん、おばあちゃんの2人だったり、途中で亡くなって1人だったり。→みんなで集まってご飯を作ったりしている。
ふるさとをなくしてはいけないから帰ってきたけど、息子夫婦は子供たちの健康面を気にして避難先(千葉県)に残った。息子たちが帰ってくるのを信じている。
土地や田んぼなどを合わせると3000万、4000万ぐらいになることもあり、その補償金で避難先のいわき市で家を建てる。しかし、いわき市住民には補償金がなく、1世代の家が多いため大きな家は批判をかうことになる。「被害者御殿 仲良くならない」と落書きされることもある。住民票を移してないため回覧板が回らなかったりもする。
●小名浜生協病院 國井勝義事務長によるガイド
浪江町→双葉町→大熊町→富岡町→楢葉町→広野町視察
富岡町 一部帰還困難地域を除き2017.4.1避難指示解除されました。
富岡駅建設、スーパー、マンションなど復旧は始まっているが、富岡駅の運行予定は6便。買い物客、住民は作業員が多い。5.1の居住者128人、居住
率1.0%程度。
道路1本(6m)で右側は帰還困難地域、左側は避難指示解除地域。6mの距離ということもあり、避難指示解除側の住民も誰も帰ってきてない。
「ファッションセンターしまむら」
帰還困難地域はバリケードされて駐停車禁止区域にもなっている。草も汚染物質のため放置され、伸び放題となっています。
復興支援住宅も作られていました。その住宅に入った人は避難者人数からは減らされます。そのため避難している人数は減っていき復旧はより進んでいると思われてしまいます。復旧は確かに進んでいるのかもしれません。しかし、新しい建物はたくさんできていてもそこに住んでいる人は見えません。復興にはまだまだだと感じました。
東北大震災は震災だけでなく原発事故もあったため6年経過したあとでも放射能の不安は続いています。福島以外でも起こりうる事故です。原発が安全ではないことをもっといろんな人に知ってもらわなければならない。
福島という大きな括りでしか認識していませんでしたが、地域によっても、おかれている立場によっても違いがあるということを知ることができました。
自分が同じ立場にならないと分からないことはたくさんあるのだと感じました。今回参加して少しでも福島のことを知ることができたので、今後他の人たちにも伝えていければと思いました。
最後にみんなで記念撮影!
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