専務の石田です!社長と共に、全国の民医連薬局法人の代表者と専務の合同会議に行ってきました。
当初は春に北海道で開催の予定でしたが「東北大震災」の影響で延期され、今回、風評被害を少しでも援助しようと「福島県」で開催されました。
広島から新幹線で7時間・・・
東北に近づくにつれ新幹線の中の風景は、スーツ姿のビジネスマンや観光客から、いつのまにか電力系の会社員と思われる作業服姿の乗客に多くが変わっていきました。
窓からの素朴な景色を見ながら福島駅に到着すると、駅の照明は半数くらいに抑えられ暗く「がんばろう!福島」のポスターや旗がいたるところに掲げられ、街を歩く人の中にはフード付ナイロンジャケットにメガネ&マスク姿の人が少なからず見受けられ、いやでも放射能汚染被災地の現状を思い知らされます。
ちなみに、今回の会議は社長や専務が対象なので参加者160名の平均年齢は50歳前後であり、数十年経って影響が心配される微量の放射能を気にする人は居ません・・・
1日目は、「保険薬局をとりまく情勢の特徴」や「東日本大震災支援の取組と課題」、そして昨年改定された「民医連綱領」等についての報告が行われました。
2日目は、「分散会」が行われ、各薬局の現状や先進薬局の情報を得る事が出来ました。
この2日間の会議で印象的だったのは、「民医連ならではの東日本大震災支援」、「日本最大の保険薬局グループとしての今後の課題」、「高額医薬品の構造是正のための運動」です。
また、福島原発の放射能漏れについて「ヒロシマ・ナガサキの尊い犠牲の上に、我々は慌てなくてもよい事を学んだ!しかし将来はどんな結末が来るのか誰にもわからない!」という専門家の発言報告が心に深く残りました。原子爆弾と違い、微量の放射能を永く浴び続ける状況は、未だ人類の経験した事の無い事なのです・・・
福島での会議が終わり、私は仙台に向いました。
震災の直後、当社の社員の方々が集めた「支援物資」をレンタカーの大型ワゴンで被災地の仙台に届けようとしたのですが、震災直後の厳しい交通規制や燃料不足等もあり総合的判断で、東京までしか「支援物資」を届けられなかったことが心残りだったのです・・・
http://blog.goo.ne.jp/pmc-himawari/d/20110322
今回は、時間的な事もあり仙台駅から一番近い津波被災地「荒浜」に行ってきました。
「荒浜」は、平野であり、浜辺から2km程度の場所に高速道路が通っています。この高速道路が防波堤の役割をし被害を食い止めましたが、そこまでの2km程度は、津波に飲み込まれ壊滅状態でした。このあたりはコンビニや住宅がひしめいていたそうですが、今は瓦礫の処理も進み「まっ平ら」の状態です。残っているのは住宅の基礎部分と画像では伝わりませんが、土に染み込んだ強烈な臭いでした。
あと小山が残っていましたが、そこは簡易な慰霊碑が幾つか建てられていました。この近くには中学校が在ったそうですが犠牲者も多く出て・・・
子供達の手作りの慰霊碑が心を絞めつけました・・・黙祷
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