2013年2月。
シンガポール生活も残り2ヶ月を切った。
悔いの残らないように仕事・・・もするけど、やっぱり旅をしなければ!
というわけで、次の行き先に選んだのはネパール。
何と言ってもヒマラヤである。The top of the worldである。
季節は冬、乾季。ヒマラヤが見える確率は高いはず。
というわけで、シンガポールから5時間、インドのさらに先にある世界の屋根に向けて飛び立った。
私の旅先の決め方は普通じゃない、とローカルの人によく言われる。
バンコクとか、カンボジアとか、ベトナムとかのような、よりポピュラーで近場の場所があるでしょうと。
結果的にあまりポピュラーじゃない(かもしれない)場所を選んでしまっているのは、日本から行きづらいところばかり選んでいるから。去年のスリランカも然り。
シンガポールから出発することだけを考えたらもっと他の場所の方が安くて近いだろうけれど、自分の人生全体を考えて、この先行くチャンスはないかもしれない場所を優先的に選んでいるんだと大げさに言ったら、あぁoptimizationか!と妙に納得された。
ちなみに日本からネパールへの直行便は運行されておらず、バンコク、シンガポール、ソウル経由でしかも1泊必要になるパターンが多いらしい。
金曜日の昼前に出発して、カトマンズには昼過ぎに到着。
時差にして2時間15分。15分て何!?
30分刻みの場所があるのは知っていたけれど(インドとか)、15分単位の時差は初めて見た。
空港からホテルまでは大した距離じゃないのに、渋滞がすごくてなかなか進まない。
渋滞の上、車もバイクも隙間を見つけてはクラクションを鳴らして突っ込んでいく。
そんなに何度も鳴らさなくてもいいのに、と思ってしまうほどの頻度のクラクションが前後左右至る所から聞こえてくる。
道の端に寄せられた・・・というより、埋め尽くされたと言った方がいいかもしれないほどの量のゴミ。
なんか凄いところに来ちゃったな、と思わずにはいられないカオスだった。
スリランカでもそれに近いことを思ったことがあるけれど、それよりもさらに人が多い都会らしい喧騒を感じる。
ホテルにチェックイン後、半日のカトマンズ観光の予定を入れてあった。
まずはスワヤンブナート、ネパール最古の仏教寺院へ。
365段の階段を登ると、そこには夢に出てきそうな目を四方に描いた白い仏塔が、仏教のシンボルとなる五色の旗でカラフルに彩られていた。
旗といっても、よく見るとその1枚1枚にお経が書かれているらしい。
仏教とはいっても、チベット仏教の影響が強く、さらにヒンズー教と融合しているところもあってなのか、今まで見たことのないタイプの寺院だった。
だいぶ階段を上っただけあって、下を見下ろすとカトマンズの町並みが一望できる展望台にもなっていた。曇り空なのが残念。
それにしても寒い。
寒いだろうとは思っていたけれど、2月のシンガポールでは冬物はセールの残り物しか売っておらず、パーカーとフリース素材のハイネックを買うのが精一杯だった(後から気づいたけれど、スーツケースとか旅行グッズを揃えているお店にはダウンやコートが売っていたみたい)。
しかも、この日はシンガポールを出発した時の服装にカーディガンを羽織っただけ、足はCROCSのサンダルに急遽靴下を履いただけという標高1330mのカトマンズを完全に舐めきった格好だったので、夕方にはとても耐えきれなくなること必至。どうしよ。
スワヤンブナートを出てから少し近くの路上を歩いてみた。
これぞ「橋上市場」。そして、橋から川を見下ろすと・・・なんじゃこりゃ。このゴミの山は。
正直言って、カトマンズはゴミがハンパない。
川だけじゃなくて、路上もすごい。道の端にゴミが山のように集まっているところを本当にあちこちでたくさん見た。
ダルバール広場周辺を散策。
ダルバールというのは「宮廷」を意味する言葉で、王宮前の広場だった場所はどこでもダルバール広場と呼ばれるらしい。
ダルバール広場近くに、クマリの館という場所がある。
クマリというのは、神様の化身である少女のこと。様々な厳しい条件を満たして選ばれた少女は10歳ごろまで宗教的な役割を司るため、この建物から自由に出ることができず、年にほんの数回決まったときにだけ外に出られるのだそうだ。
お布施を入れて、中にいる僧侶(?)に声をかけると、2階の窓からクマリが少しだけ顔を見せてくれる。写真撮影は絶対に禁止。
21世紀のこの世の中に、国家の首都のど真ん中でこういう慣わしが続いていて、人々の深い信仰を得ているということに驚かずにはいられない。
これはカーラ・バイラヴという、ひとつの石から掘り出されたとされる像。
どこか愛嬌がありつつも、手に生首をぶら下げていたりする、結構怖い石像。
この石像にお参りしていた親子連れの子供。
ネパールでは目がくっきりしているのがいいと言われているみたいで、この子も目の周りを黒くはっきりと塗っていた。美人さんだぁ!
ところで、少し前まで、ネパールの人の結婚年齢は10歳前後と相当な早さだったらしい。
ガイドの言葉をそのまま借りると、何もわからない年齢で結婚するから、教育のためにここに連れてきて学ばせるらしい。
このレリーフはつまり、日本の四八手。ただし、ここにはその倍近く、84の様々な「教育的レリーフ」があるそうだ。いやいやなんとも。これ以上のコメントは差し控えます(笑)。
今日はネパールの暦上、春の始まる日なのだそうで、いろいろなことを始めるのに良い日なのだそうだ。
結婚もその一つ。
というわけで、あちらこちらで結婚式のパレードをたくさん見かけた。
派手な金管楽器とドラムの音が聞こえてくると、すぐに結婚式の行列だということがわかる。
楽団に先導されて、華やかに彩られた車の中にいる花嫁、その後ろを着飾った親族の行列が続く。
(写真はすべて別の結婚式の行列)
面白かったのは、行列から少し離れた場所で行われていた儀式。
雑踏の中で人だかりに囲まれるようにして会話をしている2人の男性たち。彼らは花嫁側と花婿側それぞれのお坊さんで、まず花嫁側のお坊さんが「花嫁はまだ若くて何も知らないので、家族と同じように大事にしてあげてください。決してこき使ったりしないでください」というようなことを言い、それに対して花婿側のお坊さんが「わかりました。家族同様大事にします」と呼応するという儀式なのだそうだ。
ローカルバザールを歩かせてもらった。
日も暮れてきたのだけれど、電力事情が悪く、電灯も少ないので暗くなってきたら商売はほとんど終わりになってしまうみたい。
これは歩く方も大変だ。夜遊びどころじゃないな。
広場からバザールを通り抜ける途中、あったかそうな素材のショールを発見した。
模様もとても気に入ったので、交渉して550ルピーで妥結。
日本円で600円くらいよ。安っ!
これ1枚羽織るだけで体感温度がかなり違う。
観光客向けの店だと2000ルピーくらいふっかけられたりすることもあるようで。
いい買い物した!
ディナーは、ネパールのいろいろな民族の舞踏を見ながら食べられるという有名店、ボジャン・グリハにて。
エベレストビールと、ラクシという名の蒸留酒(お代わり自由!)を飲みつつ、ネパールの伝統料理(モモ+豆のスープ+ご飯+カレー系のおかず)でお腹いっぱい。
ちなみに、お隣の中高年の日本人団体客さんを見ていたら、女性たちはみんなサリーを仕立てたみたいで、素敵なサリーをお召しでした。いいなぁ。
ラクシはお猪口みたいな小さい容器で一気飲みするので、少々酔いが回ったみたい。
しかも、標高1330mの高地にいるということと、凸凹の道を車に揺られていったことも影響したのかもしれない。
よくあるいつもの貧血がまた起きて、フラフラになりながら部屋に戻った。
明日は早起きしてマウンテンフライト。
天候はあまり良くない模様だけれど、なんとか晴れてほしい。