PLANKTON NEWS and REPORT

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フランキー・ケネディ ウインタースクールドキュメンタリー4

2009-11-29 | ケルト音楽


フランキー・ケネディドキュメンタリー3より続く)

ダヒー・スプロール「彼らは自分たちの音楽がいかに素晴らしいのか余り自覚がなかった。僕が作ったイベントは本当に大成功だったんだ。かれらは家に戻るとしばらくして教職をやめる決意をした。音楽で人々を楽しませる仕事につこうと思ったんだね。彼はとても社交的で、さびれたアメリカの土地の人たちに会う事もすごく喜んでくれた」

マレード「次に私たちがアメリカにつれていったのは、ファーマナ州出身の(現在でもメンバーである)キーラン・クラン。その4人で一緒に演奏するようになってお客さんも増えていった。そしてポール・オショーネシーにもバンドに入ってもらうように声をかけたわ。一緒にアイルランドで演奏していたし私たちの演奏の幅を広げてくれると思ったの。それでずいぶんバンドらしくなった。ブズーキとギターでサウンドも広がった」

ダヒー「当時のアイリッシュバンドはバラッドグループが中心だった。伝統音楽のバンドはあまりいなかったけど、フランキーとマレードは彼らが愛する音楽を観客に届けようと、その事に妥協はなかった。彼らが演奏したのはほとんどんがドニゴールの音楽だったのだけど当時ドニゴールの音楽はアイルランドですらあまり知られていなかった」

ポール「だいたい5年くらいアルタンと一緒に演奏したかなぁ。3枚のアルバムに参加した。いろんな場所をツアーしたよ。とても楽しかった。あの5年は僕にとっても、とても特別なものだ」

マレード「私たちにとっては本当に大きな冒険だったわ。まさか音楽が自分たちのパスポートになるなんて思ってもいなかった。アメリカやオーストラリア‥‥旅をするのは本当に楽しかったわ」

ポール「フロントマンとしてのフランキーは本当に素晴らしかった。彼はいつも自分はリーダーではないと言っていたけど、それはウソで、彼はほとんどの仕事をこなしていたね」

マレード「フランキーはいつもアルタンはこうあるべきだという強いヴィジョンを持っていたわ。私自身はあまりそういうことを分かっていなかった。ただ音楽を演奏してればいいと思って大きなイメージは持っていなかったのね。彼はいつもちゃんとしたイメージを持っていたから、今、それがないのが本当に寂しい」

ポール「バンドはたくさんあるし、名前はあげられないけど‥‥でも結局多くのバンドが目の前のオファーを拾ってしまい、それによって消えていってしまうんだよ。フランキーはその点非常に頭が良かった」

マレード「当時のアイリッシュバンドにはビジネスのセンスがなかった。それはでもバンドの成長にとってとても大事なことなのに」

トム・シャーロック(アルタンの元マネージャー)「フランキーはすごくアルタンのことについては慎重だった。エンジニアも良い人を使ったり、スタジオも良いところを使ったり、そういうことをすごく大事に思っていた。自分の得るものがちゃんと自分の欲する物かどうか、すごく努力していた」

ダヒー「完璧主義者だったね。妥協はしなかったし音楽に対する努力を惜しまなかった。フィドルのためにかかれた曲をフルートで演奏する時は、本当にいつも驚かされた。どうやったらそれが出来るのか僕には不思議で仕方がなかったよ。たとえばAのキーの曲をフルートで演奏するのはすごく難しいだ。でも彼はそれが出来ていたね」

キーラン・ムイニー(甥)「ベットルームでよく練習していたのを覚えているよ。3、4時間とかね。僕は音楽を習っていたけど、それほど面白く思っていなかった。でもおじさん(フランキー)がシンプルな曲からユニークなものを作り出すすのをみていて興味を持つようになったんだ」

「フランキーは、アルタン以外にも、音楽の深さへの理解を残していってくれたと思う」「フィドルでも演奏するのが難しい曲をフルートで演奏してね。それがコナー・バーンやハリー・ブラッドリーみたいな若いミュージシャンたちに影響を与えた」

コナー・バーン「フランキーはスローエアーを演奏するのが得意で、それが僕の演奏に多くの影響を与えた。彼のフレーズはいかしていた」

「フランキーが部屋にいると明るかった。いつも笑っていたし、すごくウイットに富んだ人で、すごく面白い人だったんだよ」

マレードの両親「フランキーはとても楽しい人だった。すごくナチュラルで」

キーラン・ムイニー「フランキーはおじさんであり、名付け親なんだ。フランキーは僕が10才のころ亡くなったのだけど、いつもフランキーとマレードが家に遊びに来てくれるのを楽しみにしていたのを覚えている。彼らは当時ダブリンに住んでいて、彼らが戻ってくるとみんなが興奮した。まだ僕は若過ぎたんだけどセッションに行って彼らの音楽を聞いていたよ」

シェイマス・ベグリー「フランキーはユーモアのセンスを失わなかった。彼はとても具合が悪い時でも、具合が悪そうにしていることがなかったよ。病気が決定的なものだと受け止めていて勇気を装っていたんだ」

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