AFM = アメリカ・カナダ音楽家連盟が発行する機関誌の今月号に、「現代の十二平均律では、各調にそれぞれ固有のムードがあるとは言えない」という趣旨の記事があった。全米・カナダ版の"Music in Science and Health"という項の中の一つだ。
何をいまさら、と思った。でもこの記事をけなしたって何も始まらない。なぜなら今日までの音楽状況、とりわけ教育分野で、呆れ返るほど音に対する主観と客観とが食い違っているから。でなければAFMの機関誌にわざわざ掲載されなかっただろう。
この記事はある事を前提にしている。つい最近まで、いや今でも行われているかも知れないが「ハ長調は色で云えば白で、素朴で安定感がある。」などという、各調に特定の色なり雰囲気を連想させるという教え方だ。主音によって構成音の音程を微調整する調律法でだったら、まぁそういうことも言えるよな、程度のもんである。それにしたって相当主観的だ。この音がこの色だなんて、一体全体どこの誰が決めたんだい、と言いたくなる。
有史以来、音楽の調律方法には試行錯誤が積み重ねられ、これまで様々な方法が生み出された。長い音楽史上、ピアノにあるどの鍵盤からでも「ド、レ、ミ、ファ・・・」と同じ調子で弾ける十二平均律は、極々最近考案されたもの。だから21世紀の今日でも音楽に携わる全ての人が十二平均律を良しとしている訳ではない。
移調・転調なんて日常茶飯事であるジャズを含め、今時の電気楽器を使う音楽を演奏している限り、十二平均律をどうこう、てことは一生考えたくない。しかし今まで何度か、違う調律法で奏でられた音楽を聴き、まるで別次元での音世界の片鱗が、フッと身の周りに姿を現したかのような体験をした。少人数の吹奏合奏、女性コーラスの民族音楽・・・。でも自分で実際に音を出しながら同じような体験をしたのは一度だけだと思う。
10年程前に、指盤を十二平均律以外の方法で分割したアコースティックギターを持っているギタリストに会った。彼はスライドギターを弾く時に、普段より鋭い音感を持ちたいがために、その練習用にと知り合いのギター職人にわざわざ特別に作ってもらったそうだ。記憶が正しければ、その時僕が触らせてもらったのは31平均律のギター。それの解放弦、多分D、を鳴らした直後に弾いた長三度のF#が、とてつも無く正しく、心地良く聴こえた。その後すぐ普通のギターを借りて同じDの解放弦を鳴らし、F#を弾いた時の、なんともしっくりこない感じもなんとなく憶えている。何がどうしっくりきたのかは理屈ではどうにも説明できない。そしてこのしっくり感、あくまで単音でしか感じなかった。その場で当然コードも弾かせてもらった筈なのだがもう憶えていない。多分しっくりこなかったどころではなかったのだろう。
言うまでもなく、音楽は人の感性、つまり主観そのものに多いに関わる。でもその主観が全人類普遍の美しさを持っていたら、客観になりうる。そのレベルに達するのに有効な客観的手法は最大限に活かされるべきでしょう。で、有効な客観的手法を見つけるのには主観的手段を使い・・・、より良き未来のためにこの二つの間を延々と往復する。でもこの二つがどうにでも良いから繋がっていなければ、往復すらできない。
今日のニューヨークのローカルニュースによると、中古車ディーラーから盗まれたベンツが、市警で盗難登録された後13枚も駐車違反切符が切られてレッカーされ、ついに清掃局の采配で廃車となってジャンクヤードで鉄屑になったそうで。どうやらニューヨーク市警と市清掃局は、まるで繋がっていないようだ。音楽でも色々と繋がって欲しいところがあるが、それよりもいち早く権力を持った所同士でしっかり連帯してもらわないとシャレにならない。
何をいまさら、と思った。でもこの記事をけなしたって何も始まらない。なぜなら今日までの音楽状況、とりわけ教育分野で、呆れ返るほど音に対する主観と客観とが食い違っているから。でなければAFMの機関誌にわざわざ掲載されなかっただろう。
この記事はある事を前提にしている。つい最近まで、いや今でも行われているかも知れないが「ハ長調は色で云えば白で、素朴で安定感がある。」などという、各調に特定の色なり雰囲気を連想させるという教え方だ。主音によって構成音の音程を微調整する調律法でだったら、まぁそういうことも言えるよな、程度のもんである。それにしたって相当主観的だ。この音がこの色だなんて、一体全体どこの誰が決めたんだい、と言いたくなる。
有史以来、音楽の調律方法には試行錯誤が積み重ねられ、これまで様々な方法が生み出された。長い音楽史上、ピアノにあるどの鍵盤からでも「ド、レ、ミ、ファ・・・」と同じ調子で弾ける十二平均律は、極々最近考案されたもの。だから21世紀の今日でも音楽に携わる全ての人が十二平均律を良しとしている訳ではない。
移調・転調なんて日常茶飯事であるジャズを含め、今時の電気楽器を使う音楽を演奏している限り、十二平均律をどうこう、てことは一生考えたくない。しかし今まで何度か、違う調律法で奏でられた音楽を聴き、まるで別次元での音世界の片鱗が、フッと身の周りに姿を現したかのような体験をした。少人数の吹奏合奏、女性コーラスの民族音楽・・・。でも自分で実際に音を出しながら同じような体験をしたのは一度だけだと思う。
10年程前に、指盤を十二平均律以外の方法で分割したアコースティックギターを持っているギタリストに会った。彼はスライドギターを弾く時に、普段より鋭い音感を持ちたいがために、その練習用にと知り合いのギター職人にわざわざ特別に作ってもらったそうだ。記憶が正しければ、その時僕が触らせてもらったのは31平均律のギター。それの解放弦、多分D、を鳴らした直後に弾いた長三度のF#が、とてつも無く正しく、心地良く聴こえた。その後すぐ普通のギターを借りて同じDの解放弦を鳴らし、F#を弾いた時の、なんともしっくりこない感じもなんとなく憶えている。何がどうしっくりきたのかは理屈ではどうにも説明できない。そしてこのしっくり感、あくまで単音でしか感じなかった。その場で当然コードも弾かせてもらった筈なのだがもう憶えていない。多分しっくりこなかったどころではなかったのだろう。
言うまでもなく、音楽は人の感性、つまり主観そのものに多いに関わる。でもその主観が全人類普遍の美しさを持っていたら、客観になりうる。そのレベルに達するのに有効な客観的手法は最大限に活かされるべきでしょう。で、有効な客観的手法を見つけるのには主観的手段を使い・・・、より良き未来のためにこの二つの間を延々と往復する。でもこの二つがどうにでも良いから繋がっていなければ、往復すらできない。
今日のニューヨークのローカルニュースによると、中古車ディーラーから盗まれたベンツが、市警で盗難登録された後13枚も駐車違反切符が切られてレッカーされ、ついに清掃局の采配で廃車となってジャンクヤードで鉄屑になったそうで。どうやらニューヨーク市警と市清掃局は、まるで繋がっていないようだ。音楽でも色々と繋がって欲しいところがあるが、それよりもいち早く権力を持った所同士でしっかり連帯してもらわないとシャレにならない。