plainriver music: yuichi hirakawa, drummer in new york city

ニューヨークで暮らすドラマー、Yuichi Hirakawaのブログ

アート作品を入れ替え中の駅多数

2022年02月12日 | ニューヨークあれこれ
ニューヨークの地下鉄構内にはさまざまなアート作品があります。

壁に直接描かれている様々な平面画や彫刻やオブジェ。一昨年辺りからは薄型の動画画面が設置されており、今は主に広告ですがこれからはアート作品も映し出されるのではないでしようか。





このように設置準備中のものや見出し画像にある空の額縁を見ると、公共の交通機関で受ける芸術作品が穏やかな過渡期を迎えている気がします。

郊外と郊内?

2021年11月11日 | ニューヨークあれこれ

先週のある晴れた日、日帰りで紅葉狩りに出かけました。



久しぶりに見るマンハッタンの西側。コロナ禍で引きこもりがちだったオジサンには見慣れない建物が並んでいます。







都市と都市、そしてその間の多数の町を繋ぐ高速道路。





出発から2時間ほどでこんなにのどかな所へ。





今から百年前、このキャタピラの付いた作業車で道路を舗装していたそうです。



Parker Dam. 豪快な放流はありませんが、こじんまりとしてのどかな良いダムでした。







日がとっぷり暮れてからニューヨーク市内に戻ったので、、、





晩ごはんに自宅近所に常駐しているフードトラックで素早くモモを頂き、ようやく日常生活圏内に戻りました。



不思議な形をした建物だらけの細長い島は、川越しからだとまた違って見えて飽きません。




まるで半年間留守していたかのように近所が変わっていた

2020年08月27日 | ニューヨークあれこれ
新型コロナ拡大で異常になってから初めて自宅近辺を陽が落ちてから歩いてみました。多くの飲食店が各店舗前の歩道に客席を設け、8時過ぎた辺りで店によっては繁盛していたり、大音量の音楽で景気良くしていても閑散としていたり。。。いずれにしても路上席で客が来られるのは夏のうちだけです。これからの商いさらには厳しくなるでしょう。

最後に自宅周りを歩いたのは3月中旬。今日歩いてみたらまるで半年間ここを留守にしていたかのように感じました。
ずっと同じ場所で生活していたのに、全く違う所にいるのではないかという錯覚をしたのかもしれません。

帰宅してからそのことを考えていたら13年前のちょうど今頃のある暑い日、アメリカ東部の大停電を思い出しました。
いきなり日常生活に異変が起き、一昼夜開けて電気が戻るまで長く感じました。
半年前からいつまで続くのかはっきりしない状況で停電当時自分が書いた記事を読むと、当時困惑した自分に「まだまだこんなもんでは異常では無いよ」と言ってやりたくなります。と同時に最近のこの先行きの見えない毎日を少し違う態度で過ごせそうな気がしてきました。

自然災害による停電はこの時ほど広範囲で起こったのはしばらくありませんが、毎年夏には台風で、冬には大吹雪であちこちで停電しています。つい先月も台風以下の規模の雷雨でブロンクス地区の一部で停電しました。停電とパンデミック、日常生活にどれだけ支障をきたすかという点で並べられるものではありませんが、心身ともに健全に過ごすための拠り所になるなら、このパンデミック時に停電発生時のことを思い出すのは悪くないかもしれません。もっとも今停電が起きたらたまりませんが。。。。。

以下2003年8月14日に起きた停電のことを書いた記事を少し修正して添付します。

「滅多に起きないことが起こった。殆どの人には絶対起こって欲しくないことが起きてしまった。13時間以上の完全停電。(予備のない民間レベルで)NY州は全滅、隣接州のニュージャージー、コネチカットから西はオハイオ州、北はカナダのオンタリオまでかなりの人たちが真っ暗な夜を過ごした。NY市では普段から使い慣れていない蝋燭が原因の火事が約60件、普段はエレベーターを使うところを階段を降りている時に心臓発作をおこして亡くなった人がいた。これは8月15日の現地時間午後2時17分での情報。

自分自身の経過はこんな感じだった。 


14日の夕方4時過ぎニュージャージーの知人と携帯電話で話している最中に彼の家の電気が切れた。こちらから何回かかけ直しているとこちらの部屋の明かりが急に1/3ほどに暗くなり、1~2分その状態が続く。そのうち完全消灯。隣の住民がかけていた大音量音楽が止まったのは言うに及ばず。

この日は運良くというか何というか、夏の間毎週あった演奏仕事がキャンセルされていたので自宅にいた。もし仕事があってドラムセットを担いで地下鉄に乗っていたら、、、。運が良かった。夜になっても地下鉄はまだ動いていない。電力が復旧して6~8時間点検が必要なのだそうだ。

自宅で停電直前に洗濯物を乾燥機に移そうとしていた。無電のまま30分経過して乾燥はギブアップ。 濡れて重~い洗濯物を部屋中に拡げる。この日は風が無かったのでそんな部屋に居ると気が滅入りそうだったし夕食時間でもあったから散歩がてら徒歩で少し遠くの食堂へ。途中で喉が乾き、アイリッシュパブでビールを飲む。その店にはまだ氷が残っていたようで注文した瓶入りコロナはありがたく冷たかった。 アイリッシュビールは大抵サーバーで出されるからこの日は飲めなかっただろう。

近所の人は、表に出てラジオを聴いたりおしゃべりしたり。パブ内の照明は蝋燭の灯りと入り口から僅かに入ってくる日光だけ。暇そうな従業員とお客が近所で買ったサンドイッチを頬張っている。これではどの飲食店でも食事はできんだろうと思い、少し歩いてスーパーマーケットに。そこは非常灯に切り替わっていて、レジに並んでいる間に"We are closing in 15 minutes!!!"という放送が。危ない危ない、もう少しで今晩ひもじい思いをするところだった。この頃7時半。主要道路沿いに大勢の人が徒歩でマンハッタンからクイーンズの自宅へと帰宅しているのを見て911同時多発テロを思い出さずにはいられなかった。

帰宅してすぐに空が暗くなったので蝋燭を灯した。この晩はテレビ無し、ラジカセ無し、メール・ネット無し。本を読むにも少々灯りが暗い。スーパーマーケットで買った本日最後の冷えたビールを飲み、サルサとコーンチップスをボリボリ食べていたら眠くなった。

夜中2時に眠りが切れた。電気はまだ来ていない。復旧直後に過剰な電量が来るかもしれないからパソコンやテレビの電源プラグは抜いておいた。復旧したかどうか知るため枕元の電源に繋げた目覚まし時計の首を何度もひねってみるがダメ。室内は生乾きの洗濯物で湿気ていて暑苦しい。表に出ると光は100パーセント月明かり。地上に全く灯りが無いので、少し青みがかった夜空を久しぶりに見ることができた。そよ風が気持ちいい。

明け方5時半ごろ空もだいぶ明るくなった。うとうとしてるとファックス機が音を立てた。おぉ!やっと動いたか!うちの近所は比較的復旧が早かったようだ。周囲にはまるで復旧できてない世帯が多い。

発生時の市長声明で復旧まで数時間と発表された。原因は未だに確定されてない。ナイアガラの電力施設を巡ってアメリカとカナダが責任をなすりつけ合っていたのが見苦しい。 また多くの報道で何度も何度も原因不明なのに発生直後から一貫して「テロではありません。」と。相変わらず強がりの国だな、アメリカは。実際軍事力はすごいけれどさ、今の世界では。」


最近のNYC外食事情の一部と未来のスーパードラマー達

2014年01月24日 | ニューヨークあれこれ
随分久しぶりにマンハッタンのチェルシーで昼ご飯を食べた。氷点下の外から店に入った途端にメガネが曇りまくり、3回拭ってもまだ店員のお姉さんに紙ナプキンをもらう有り様。店内はお世辞にもイケて無いが、こんな寒い日に暖かい部屋で座って食事ができるのはありがたい。

注文したのは 'rice with chicken', ラテン系の味付けをしてある鶏飯$2。味はまあまあ、この値段で文句は言えない。でもこのロケーションでこの値段はどゆことだ?この店の売りは$1ピザ。ふと見るとキャスター付きの棚にジャストフィットされた直径18インチのホールパイが1段に1枚ずつ入って奥から次々と転がって来る。それはいいけどキャスター1台でフルサイズピザを1ダース持って来るので一番下のピザは床から25cm離れているかどうか。。。最下位のピザはあまり頻繁に食べない方が良いだろう。ちなみに18インチは約46cmで、ジャズドラムにおけるバスドラbass drumの標準的な口径と一緒。ロックドラムだと22インチ、約56cm。

ここは過去数年間でマンハッタンのミッドタウン西側を拠点に確実に店舗数を増やしてきた。全店舗に入った訳では無いけれど、おそらく居抜きで借り上げた店内はあまり内装に予算を掛けず、ひたすらに薄利多売に精を出しているのだろう。従業員は最低限しか居ないので椅子とかはてんでバラバラに放置されて綺麗では無い。あまり毎日ここで食べないほうが良さそう。客層はその辺を余り気にしない人達が多い。そのうち陽気に歌を歌いながら学生達が入って来た。近所にあるDrummers Collectiveというドラム専門学校の生徒か?ならばその中には将来凄いドラマーになる子がいるかも知れない。そう思うとなんでもかんでも物価が高いマンハッタンでこういう店があるのは、経済的には余裕が無いけれど夢を追いながら頑張っている人達の助けになっている。

ゆっくりと、しかし確実に

2012年10月29日 | ニューヨークあれこれ
昨日午後7時からニューヨーク市の鉄道が全て運行見合わせになり、今日の午後には隣のニュージャージー州へのトンネルが封鎖された。数時間前のニュース番組ではマンハッタンのど真ん中で90階建ての超高級コンドミニアムを建設中のクレーンの腕部分が地上75階の所で壊れ、風で少し揺れていると報道していた。そして今、夕方になってクイーンズの自宅近辺にも強風が吹いてきた。
幸い自宅は強制避難区域には入っていない。電気・ガス・水も今のところは、まだ来ている。今晩8時頃には市周辺の水高が通常より3メートル以上高くなるらしい。

個人的にはつい2週間前、それまで15年続いた日曜日と月曜日のブルースバンドのギグが無くなったので、昨日今日は自主休暇中。こういう時に今回の「複合型ハリケーン」が来ているのはある意味グッドタイミングだと思う。でもこのままだと明日のジャズバンドも無しになりそうな気配。異常気象時にプチ失業するのはフリーランサーの宿命。ひたすら失業期間が延びないように祈るばかりです。

それにしても、緯度で言ったら青森県くらいの位置にあるニューヨーク市で、紅葉になり終えていないもみじの葉が熱帯性低気圧の暴風で吹き散らされるのを眺めることになるとは・・・。


街中での初体験

2010年11月19日 | ニューヨークあれこれ
先日地下鉄構内で、警察官に"Excuse me, sir."と呼び止められ、持っていた肩掛け鞄の中身を改められた。ニューヨークには16年間住んでいるが、街中で呼び止められたのは初めての経験だ。ちなみに昨年の夏、JFK空港で日本行きの便に搭乗する直前の通路で同じ鞄を改められたことはある。

後日聞いたところによると、最近再び警戒レベルが上がったらしいので、そのせいかも知れない。それとも、その日僕は濃い色をしたレンズの眼鏡をかけ、頭をすっぽり覆う黒い帽子を被っていたので不審人物に見られたのか?

ここ数年何度も同じ帽子と眼鏡を身に付け、大きなシンバルバッグやドラムケースを抱えて地下鉄に乗ったが、一度たりとも呼び止められたことは無かった。なので今回は単に運が悪かっただけだと思う。けれど完全に忘れ去るのには少し時間がかかりそうだ。何故だか判らないが何かがすっきりしない。

Already snowed here?

2010年11月13日 | ニューヨークあれこれ
暖かい日差しの下アップルストア5番街店に行く途中、セントラルパークの南東に位置する5番街と59丁目付近の歩道脇にだけ、雪が積もっていた。昨日この辺りだけに降ったのか?あり得ない。では何かのイベントで大量に氷を使ったのか?本っ当にどーでもいいんだけれど、どうも気になる。

この夏のNYでの風景

2010年09月03日 | ニューヨークあれこれ
隔週で出稼ぎをした今年の夏。その慌ただしい日々が始まる直前、ニューヨーク市立博物館を訪れた。マンハッタンのアッパーイーストサイドとハーレムの境界にあるこの博物館で先の5月にジャズ演奏の仕事をした。その際6月開催の、日本初の遣米使節団到来150周年の展示会に招待されたので、遠慮なくお邪魔した。









150年前の日本人の写真を見て勿論それなりの感慨はあったけれど、この市立博物館には殆ど足を踏み入れたことが無かったので、その他の所も見学。



まだアメリカが独立する前に持ちまれたというような家具。

1950年代から80年代のニューヨークの様子と、50年代60年代の自動車を展示している所に興味をそそられた。





今から60年も前にこんなSFっぽいデザインの車を作ろうとしていたらしい。





博物館の建物の外壁は赤煉瓦が主体で、ニューイングランド地方の古い建物に共通した雰囲気がある。その隣にはもっと古めかしいというか、ヨーロッパの影響が濃厚という具合のビルも。





博物館のある105丁目と5番街の角から2ブロック東に歩いてふと辺りを見渡すと、周りの建物とあまりに違う色使いのビルがすぐさま目に付いた。



色合いからして50年代後半に建てられたような気がする。これらの様々なビルは全て徒歩数分以内の狭いエリアにある。そこにはアパートがあり公園があり、小売店がひしめき合っている。そんな日常生活の場に突然フラフラっと歩き、束の間旅行者になった気分を味わう。住んでいる所からさほど遠くないのに。



コンピューターアート見学

2009年12月19日 | ニューヨークあれこれ
スクール・オブ・ヴィジュアルアーツ(SVA)で教授をしている人が、僕名義のジャズライブをよく聴きに来てくれる。彼の紹介でSVAのコンピューター・アート専攻生の作品を見に行ってきた。会場は僕が普段から使っているリハーサルスタジオから地下鉄でほんの2駅だったので短時間で行けた。





専門外なので、具体的に展示作品について書けなくて悔しいが、なんとなく今まで使ったことの無い脳の部分を刺激されたような感触は強く残った。それはただ作品を見たり触ったりするだけでなく、制作者の生徒に説明してもらったり、こちらから質問したからだと思う。

http://mfaca.sva.edu/

長かった今年の春

2009年05月23日 | ニューヨークあれこれ
この国の暦では明後日から「夏」な訳だけれど、今日になってもようやく夏かな?という程度にしかなっていない。

今日から一週間前の午後、10年振りくらいにブルックリンのキャロル・ガーデン地区へ。友人が以前から一度行ってみたいと思っていたワイン屋さんを訪れ、翌日招待されていた知人宅での夕食会に持参するワインを購入。



開店時間より小1時間ほど早く着いたので、近辺を散策。僕がブルックリンのパークスロープ地区に住んでいた頃までは、イタリア系アメ人が多い地区だった。今もそんな感じだと思う。





ここには昔ながらの外観のアパートや小売店がまだ沢山残っている。中身だって相当古いだろうが、人がまともに住めるうちは不必要な改装をしない、というのなら良いことだ。でもここいらの不動産屋で見たアパートの家賃は決して安くはない。マンハッタンではこの不況下で下がってきているというのに。

遅い昼飯を、と近所のカフェやベーカリーを覗いたけれど、大してそそられるものが無い。2、3分ほど散歩していると軒並み連ねるピザ屋のうちで少し鄙びた一店が気になり、そこでピザを2枚注文。



一枚目は正統派というべき薄いパイ生地に、薄切りの茄子とトマト、バジル、リコタチーズ、トマトソース、粉チーズがバランス良く載っている。





2枚目は、もの凄い量のザク切りチキンカツと、これまたざっくばらんに切った大量のトマトとタマネギが、厚めのパイ生地にてんこ盛りになっている・・・。さらにぶちまけたような格好でリコタチーズまで。これ一枚だけでも一日に必要なカロリー半分弱くらい取れたかも。個人的にはトマトソースがやや甘過ぎだけど、2枚とも美味い。さすがイタリア系地区、不味いピザ屋は淘汰されているようだ。

開店直後のFat Cat Winesに入った途端、日本語で「こんにちは~」と迎えられた。巷に出回っている大量生産のワインは殆ど無く、ワインが大好きな店主さんお勧めが店の大半を占めている。初来店だったこの日、店主さん夫婦の奥さんはこちらの幾つもの質問に、丁寧にそしてフレンドリーに答えて下さった。おかげで購入したワインは、赤も白もロゼも全て「当たり」。特に彼女が一押ししたアルゼンチンの赤は香り豊かで、肉料理との相性が良いバランスの取れた味で、素晴らしい一本だった。



Fat Cat Wines Carrol Garden

一昨日は散歩に出た途端に小腹が空いたので、自宅近所のメキシコ系の屋台に初めて寄る。他の客がいなかったし、サクッと食べられるものを、とナチョスを注文。すると屋台の鉄板がジュージュー音を立て始めた。普通ナチョスってただチップスの上に溶かしたチーズをかけて、サルサやオリーブなどの出来合いの具をトッピングするだけなのだが。なんだか調理している。それが焼き上がる間、店のおっちゃんはただボケッと突っ立っていた、のではなくトマトやアボガドを切ったり、チップスをオーブンで温めたり、と大忙し。"made from scratch"、上手く訳せないけれど、もし「出来合い殆ど無し」で正解ならばまさにこれ。



5分後に5ドル払って受け取ったナチョスは、ズシリと重い。それもそのはず、敷き詰められたトルティーアチップの上にグリルしたチキンのこま切れがたっぷり、ついさっき切ってくれたアボガボの半分が1.5センチ幅スライスでたっぷり、さらに酢漬けのハラペーニョもたっぷり。そして沢山のレタスの千切りで暈増しをしていないところに好感が持てた。塩辛くない味付けで美味い美味いと頬張ってしまったので小腹どころか、夕食無しでも大丈夫になってしまった。







その後、帰宅途中に、今月オープンしたばかりの「ビヤガーデン」があるのを思い出して寄ってみる。廃業した工場の一階と二階がドイツ風ビアガーデンになっていた。まだ陽が明るい上に風通しが良いので、ビールを注文。やはりオフの平日は素晴らしくくつろげる。

師走のタイムズスクエア

2008年12月07日 | ニューヨークあれこれ
ここ数年間月1・2回演の割合で演奏しているB.B. King's Blues Clubに行くと、メインルームではB.B. King本人が出演していた。御歳83だそうだ。

その並びにある日本屈指の牛丼屋の前に、"Try our fresh SUSHI"と書かれた看板がある。



今更寿司屋になるつもりでなく、大盛り牛丼ですら腹一杯にならない人達のためだろう。それにしても・・・。わざわざフレッシュってあるけれど、新鮮ではない寿司なんて誰が食べたがるのだろうか?

意味を知っていれば書けるはずの言葉

2008年11月23日 | ニューヨークあれこれ
クィーンズのとあるスーパーマーケットで買った胡麻の袋に、3つの胡麻レシピが。明らかに日本国外で印刷された文字の数々。

今までにも「ジャイアントコーン」ではない「ジャイアントコーソ」や「マーガリン」ではない「アーガンリ」などの腰砕け誤字を沢山見たが、今回のはそうあからさまではなく、ここまで日本語らしくしながら惜しい、というもの。

まず最初の「煮出汁」に「し」を挿入すればダシ汁の正しい呼称なのだが、このままで加工食品の包装に書かれたことはあまり無いだろう。

次の「化学調味料」は昨今のわざとらしくも紛らわしい添加物名の列挙に比べればあまりにもストレートな表示で、むしろ清々しささえ感じられるが、最近の表示にはあまり使われないか、列挙の最後に辛うじて載るかどうかというところ。

最後は「砂醤」。レシピから考えてこれは砂糖だろうが、あまりにも見当違いの漢字が堂々と「砂」と組み合わさっているので、実は粉々にした醤=ひしおというものがあるのか?とググってしまったほど。

このようにところどころの「日本人だったらこうは書かないという言葉」が少し気になる。でも真の問題はこんなことではない。

中身が人間にとって無害なものだけで作られていれば、包装にどんな誤字があっても良い。でも現実には包装がいい加減なら中身もいい加減だろうと思われて当たり前。そうでなく、完璧な日本語で印刷された包装の中身には有害物質がテンコ盛りというのは、見ただけではどうにも判らないのだから怪しいだけではない。恐ろしい。

消費者が本当に中身を知り、食品を自分で選べるようになるのは一体いつなのだろうか?

Recently....???

2008年11月16日 | ニューヨークあれこれ
「歴史的」大統領選が終わってから既に10日が経ち、



再来週の木曜日は七面鳥の丸焼きを食べる日だというのに、今日通り道の一角に散らばった色鮮やかな落ち葉を撮った時、上半身に着ていたのは長袖Tシャツに薄手のパーカーのみ。まるで10月初旬並みの暖かさ。



こんな日の後いきなり冬将軍が現れたら、さぞ寒く感じるにちがいない。



その時はその時で、いろんな生き物が駈けずり廻るのだろう。



でいろいろな人達は火を噴いて暖まって酒を呑んでいることだろう。


不要になった道具はただ放り出せば良いのか

2008年11月13日 | ニューヨークあれこれ
先週散歩中にふと道端を見たら、青色のiMacがゴミ袋の横に捨てられていた。モニターとデスクトップがおむすびみたいなケースに入っている。3世代目のiMacだと思う。



確かに毎年のように高性能で低価格のコンピューターが発売される昨今だが、これを捨てた奴は今まで散々世話になったはずの道具を祖末にしすぎている。それに今ニューヨーク市では家電を勝手に捨てるのは禁じられている。ここに利己的な能率が最優先されるお国柄の一端がよく表れていると言ったら言い過ぎだろうか?更にこれを見かけた散歩から帰宅した時、今度は自宅のあるアパート前のゴミ捨て場にまた一台、緑色のiMacが捨てられていた。

近所の救世軍salvation armyの小売店に持って行けば再利用されるし、雀の涙程度だけれど節税にもなるのに・・・。