鉄道写真1973~1982

青春時代に熱中して撮影した写真の数々を、じっくりと発表してまいります。

   

五能線と津軽鉄道

2007-11-04 19:33:24 | 素顔のローカル線

五所川原
  
  板柳
  
  板柳

津軽鉄道では古い電車を客車として使っていた

このディーゼル機関車も、古めかしいものに見える


 五能線はいいところでした。
混合列車と海沿いの景勝路線。
川沿いの磐越西線と双璧と言えたでしょう。
写真のような客車に乗る事で、
一段とローカル風味を楽しめました。

撮影 1977(昭和52)年

 




岬をまわる9600 興浜北線

2007-10-28 18:51:14 | 現役蒸気機関車

 興浜北線というのも廃線からだいぶ時が過ぎ、変換が面倒です。
そればかりか地図を見ると岬を鉄道と平行してまわっていた国道も、
トンネルが出来て旧道になっているではありませんか。

北見神威岬と言っていましたが、地図では神威岬になっていますね。
地名は丁度岬で分かれていて、駅名と同じ斜内~目梨泊になっています。
背景の海はオホーツク海です。

 ここで撮影するには、稚内行きの夜行急行利尻に乗り、早朝の音威子府で下車。
天北線の始発で浜頓別へ。更に興浜北線の目梨泊で下車。
そしてここまで歩いたと思います。
9600が来るのは10時半頃。
始発で来るとちょっと早すぎるので、北見枝幸まで往復乗車して時間をつぶしていたのかもしれません。

 撮影地点は、ご覧のような岩山。ちょっとした岩登り気分でした。


 撮影 1975年 興浜北線 斜内~目梨泊

C57180が門デフに

2007-10-03 23:17:17 | 現役蒸気機関車
 磐越西線でおなじみのC57180が門デフに改装されるという事を知りました。
久々におっ!と思ったニュースでした。
日豊本線に通いつめた私は、C57は門デフ以外ありえない派でしたから、ちょっと驚きました。
今までも何度も書きましたが、C5765のドイツ風門デフが最高ですね。
次に最も多かったC5557、C57117などのスッキリタイプ。門デフの標準と言えましょう。
C57180もおそらくこのタイプでしょうか。
3次型C57はボイラーサイドのくねくねしたパイプがなくなり、すっきりしたイメージです。
C57170~189がこれに相当し、わずか20両ですから現役当時何両が門デフだったのでしょうか。

私が実際に見たのはこの鹿児島機関区のC57175のみです。C57180もおそらくこんな感じなのではないでしょうか。

 会津の門デフといえば当時はC11254が有名でした。
遠く九州から転属して来て、そのままの姿で只見線、会津線を駈け回っていました。

夏のある日、会津川口~只見の間で撮影していると、この254が来ました。
これは帰りは松浦線あたりのアーチ橋を思い起こす会津宮下で撮ろうと決めました。

それがこのカットです。ちょっと九州風ですね。


当時の只見線会津宮下駅です。山小屋風の瀟洒な建物で、こうして写真に撮ってあるのは何か心に響くものがあったのでしょう。

撮影1974年
1 日豊本線 楠ヶ丘信号場~青井岳
2 只見線  会津川口~本名
3 只見線  会津宮下付近

スイッチバックの大志田駅 山田線

2007-09-10 23:38:33 | DL・DC


 スイッチバックがよくわかる大志田駅の全景。駅周辺には人家らしいものが見当たりませんね。
まさに秘境駅ですが、交換設備もあり信号場のようにも使われていたのでしょう。





 盛岡方面からDE10重連の貨物列車が通過して行く。

                     
                      乗客はいないものの普通気動車は律儀に停車し、発車する。

  撮影 1977(昭和52)年 山田線 大志田駅

  
    これは平津戸付近の川沿い区間を行く急行列車
 

高森線 再び

2007-09-05 21:47:34 | 現役蒸気機関車
        

                                   

    

 C12208というカマはあまり印象にありません。
今回アップして初めて気がついたほどです。
前回の241号はとても印象に残っているのですが、たぶんプリントしていたかどうかの差でしょう。
208号を調べると、なんと大井川鉄道にいるのですね。
それも部品取り用のスペア機だとか。
復活していれば、いくら私でも気がついていたでしょうが、
そういうわけで今日まで知りませんでした。

 撮影 1974年 高森線 立野~長陽

高森線のC12混合列車

2007-08-30 21:35:30 | 現役蒸気機関車




 高森線はC12の牽く客車列車と、1往復の混合列車がありました。
スイッチバックで有名な豊肥本線の立野から高森までの短い路線でしたが、
高森まではかなりの勾配があり、小型タンク機C12の奮闘が見られました。
撮影地の移動もSL列車になるわけですが、すさまじいブラスト音が今でも印象に残っています。



 立野に向かう帰りの列車は下りこみなのですが、その為定数が増やされていたのでしょうか。かなり長い貨物を繋いでいますね。
発車シーンは迫力がありました。

場所はこの辺だったでしょうか。

 

                      

 撮影 1974年 高森線 立野~長陽(今は第3セクターの南阿蘇鉄道になっています)


JNR C5833

2007-07-16 00:04:12 | 現役蒸気機関車

 網走駅にて。

   

 後藤工場式デフにJNRマークの入ったC5833。
門デフや後藤工デフのような切り取りデフは細身のボイラーによく似合う。

               
               
 石北本線 美幌~緋牛内を行くC58重連です。
この列車こそ、1975年3月期の白眉だったでしょう。
駅からは相当遠く、美幌からタクシー相乗りで撮影地付近まで。
高野第一というバス停のところから、この地点まで10分くらい歩きます。
ここは本来逆光なのですが、この日は程よく曇り、光が万遍なく回っていい感じです。

美幌駅までの帰りは路線バスでしたね。
今、北見バスのサイトで検索したら高野第一~美幌駅は7・4キロ360円でした。
当時はいくらだったかな。160円くらいだったような記憶があります。


 撮影 1975(昭和50)年 北海道 石北本線

宇部線の印象

2007-07-13 23:48:08 | 素顔のローカル線
                  



     







撮影 1978(昭和53)年 山口県 宇部線

常紋の朝のコーヒー

2007-06-24 19:58:14 | 現役蒸気機関車
                   

 この写真を撮った日。夜行の大雪6号で生田原まで行きました。到着は早朝の4時40分頃。
当時の生田原駅のホームには大きな寒暖計があり(ガラス管に赤い液が入った古い型)、それを見ると赤いものがありません。
「なんだ、壊れてるのか・・・」とよくよく見ると、最下部の液だまりから、わずかに伸びていました。
零下25度まで目盛りがあったと思うのですが、その下。推定零下28~29度でした。
後年北見駅前の数字表示型の温度計で零下30度を目撃しましたが、やはり快晴の朝が冷え込んだようです。 
が、当時のメカニカルシャッターは寒さに強く、トラブルはありませんでした。

 この汽車を待つ間、斜面の雪を溶かして飲んだコーヒーは美味だったなあ。
ステンレスカップにぎゅうぎゅうに雪を詰めても、固形燃料で沸かすと半分ほどに減ってしまいます。
追加で雪を足して、インスタントコーヒーを入れる。まさに至福のひとときでした。

場所はこの辺ですね。



 零下20度の撮影地から暖かい列車の中に出たり入ったり、その温度差は数十度になったのですが、
人間の身体というのは案外平気なんだなと思ったものです。
 
 撮影 1975(昭和50)年 石北本線 生田原~常紋信号場


 

早春の計呂地 湧網線

2007-06-19 23:36:11 | 現役蒸気機関車


 名寄本線(廃線)中湧別と網走の間を結ぶ湧網線(廃線)は、好撮影地が多く人気があった。
中でも計呂地は湖岸に近く、この大カーブの築堤もあり有名な場所だった。
現在の地図だとこのあたりでしょうか。

 計呂地駅は委託駅ながら国鉄OBの年配の方がいて、通常の駅と変わらぬ業務を行っていた。
この駅長さんは駅がSLファンで賑わうのが嬉しそうだった。
待合室にいる誰にでも声をかけ、「今日は貨物あるよ。いい写真撮っておくれよ」
また、赤字線で廃線の危機感もあり「旅行券買ってくれ~」が口癖だった。
私も買ったくらいだから、けっこう売れたのではないだろうか。
 独特の口調とイントネーションで漫談を聞いているようで、いつも待合室は笑いに包まれていた。
面白さで鮮明に記憶している駅は、ここくらいですね。

 撮影 1975(昭和50)年