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絵じゃないかおじさんぐるーぷ
(昭和の終わりころ~)
しばらくして、重大な忘れ物をしたのに気がついた。
サヤカのマフラーだ。
あれは、海亀やクジクジとオレを繋ぐ言語翻訳機なのに・・・
もう彼らと言葉を交わせない。
ダメだ。
「引返してくれえー」と叫ぶが通じない。
どうしよう。
二度と地上へは戻れなくなるのか?
クジクジが止まった。
パカーッ。
口が開く。
まぶしいーっ。
さわやかな晴天。
見たことのあるような、なつかしい風景。
あれっ!
後を振りかえると、
クジクジと海亀が、ニヤニヤ笑っているようだ。
海亀が、これから起こる事を、
クジクジに、教えたに違いない。
後は薄暗い砂浜、前はM市のT町だ。
M市は地方都市だ。
T町はそのはずれにある。
少なくとも海からは大分離れている。
おかしい!
人が全然いない。
ゴーストタウンか。
だが、前が明るいのと
クジクジと海亀が、後に控えているので恐くはない。
海亀が、行け行けと、手で合図しているようだった。
私は、右、左をゆっくり見ながら歩いた。
20数年前そのまま。
川があり、柳が青々と生えている。
あの曲がり角を曲がると、
青い屋根の、マッチ箱のような家が、あるはずだ。
8畳の部屋とトイレ・炊事場つき、家賃6,000円。
Oさんと結婚して、
一緒に暮らし始めた、私たちの原点のような場所だ。
今は結婚して20年は悠に越えている。
曲がり角を曲がる。
アッ、Oさん!
「居たの?」
家の前にOさんが立っている。 若い!!
「私、Oさんではありません」
「じゃ、サヤカかい?」
首を横に振る。
Oさんでもなく、サヤカでもない。
では、一体この人は何者なんだ!
「わ た し は 、 あ な た の こ こ ろ の せ い」
心の精だって! 何だ、それは!
心に精まであるもんか。
しかも、このオレの、だって?
それにしても、可愛い。
しかし、Oさんでもない、サヤカでもない。
どう対応したらよいのか分からない。
「お入りなさい。アナタのおうちじゃない」
そう言われても、もう頭の中は、メッタンタン。
{いい所}の意味が分かった。
分かりはしたがどうしたものか。
Oさんそっくりとはいうものの、
Oさんとは違う、若くて可愛い女の子。
私は、中年のオッさん。
頭の中では、
140億もあるという、
脳細胞の特定部分が、上へ下への大騒ぎ。
スーパーコンピュータ以上の処理速度で、
「入る」、「入らない」を判定をしている。
エエィ、この人を、O’さんにしてしまおう。
会心のキータッチで、「入る」ボタンを押す。
うまく「入る」で止まったみたいだ。
「お邪魔します」
部屋の中はそっくり、そのまま。
二人で初めて買った14インチのカラーテレビ。
折り畳み式の卓袱台。
小さい冷蔵庫。
すべてが、昔のまま。
「テレビでも見ていてね」
O’さんは台所に立つ。
薄汚れたコンクリート剥出しの流し。
「トイレ使っていいですか?」
「いちいち、そんなこと、何故、聞くの?」
O’さんは、Oさんそのままの口の聞き方。
もちろん、声もそっくり。
トイレは汲み取り式だった。
匂いが漂っている。
これも同じ。
変っているのは、この私だけ???
テレビをつけてみる。
わぁ、ダサイ、コマーシャル!
しかしながら、
その頃は、
それが最先端の流行品ばかりだったのだ。
あれあれ、
スカートの短い事。
あの化粧の仕方!
いちいち目につく。
といっても、その時代は、
それが一番いいと思って、
皆が真似したのだから滑稽だ。
また、そうしないと、
周りも納得しないのだから、余計に質が悪い。
さらに喜劇的なのは、その流れを追わない者を、
田舎者呼ばわりするのだから、
何をか言わんやである。
今から見返すと、50歩100歩、
同じ穴の貉の毛比べのようなものなのに、だ。
「もうご飯食べる?」
うなづく。
狭い卓袱台の上に、O’さんの手料理が並ぶ。
決して誉められた味ではない。
しかし、料理など心で食うものだと、私は思っている。
レストランのブランド品の「コシヒカリ」より、
Oさんの手で研いだ「標準米」の方が、はるかにうまい。
狭いレパートリィの中から、
必死になってm毎回違ったものを作ろうと
努力してくれる姿勢が、味付けになるのだ。
主婦し始めの頃のOさんを思いだす。
何ともいじらしい。
久しぶりに旨いものを食った感じがした。
最近では、何を食っても、そう旨くはない。
確かに口あたりは旨いのだろうが、
心は、そうとは受け取らない。
小さい頃、農閑期に作って貰った、
母の手作りの、
蒸しパンの味を超えるものは、
そう多くはない。
味は味を求めて螺旋階段を駆け上ってゆく。
しかし、頂上へはどこまで駆けあがっても辿りつけない。
当たり前のことである。
頂上自身がないからだ。
頂上があると錯覚する感覚に問題があるのである。
頂上が見えない努力は、結局は要求不満に結びつく。
殿様がサンマに涙する心境がよく分かる。
「コーヒー入れようか?」
「お願いします」
コーヒーを飲みながら、取り留めもない話をする。
誰に何を話かけているのか、わからないので話題に苦労する。
が、相手がOさんだと思うと気が楽である。
気を使わなくてもいいからである。
あっという間に時間が過ぎた。
部屋の中がだんだんと暗くなってくる。
ここは紀伊半島の近くの筈だから、
家まではバイクで3~4時間は掛かる。
あの曲がりくねった169号を、
夜中に走るのはコリゴリだ。
ずっと居たいのだが、
夜は家を空けないのが、私のツーリングの鉄則。
必ず帰ることにしている。
Oさんに、余計な心配をかけたくないからである。
「帰ります。ありがとう。心がさあーっと晴れました」
「喜んでいただけて、よかったわ。
亀を助けて貰ってすみませんでした」
「いいえ、大したこともしていないのに、こちらこそスミマセン。
アノー、それと帰りはどうしたら、いいんでしょう?」
「心配は要りません。
クジクジさん?
でしたか?
呼んであげますわ」
玄関を出ると薄暗い砂浜だった。
クジクジが口を開いて待っていてくれた。
O’さんの可愛い笑顔に送られて乗り込む。
海亀も居たので、頭を撫でて、お礼を言った。
「ありがとう、さようなら」
「さようなら」
クジクジから出ると砂浜は明るかった。
クジクジにも世話になった。
オキアミ入りのエビ煎餅でも、
コロに持たせて、お礼に来させよう、
そんな事を思った。
サヤカ、サヤカは? と。
ああっ、サヤカが居ない!
盗まれたのか!
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