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絵じゃないかおじさんぐるーぷ
平成の初めの頃。
* 初デイト
日曜日がやってきた。
僕は朝早く目が醒めてしまったので、
例のごとく道の湯温泉に出掛けた。
今日は、3時すぎには<霧乃さんと初デイトをする日だ。
ボン先生は来てなかったので、
誰に気兼ねする事なく、ゴシゴシと身体を洗えた。
先生がいれば、何を言われるか分かったものではない。
女の子の友達など持った事が無いものだから、
半分不安だった。
何をどう話せばいいのだろう。
ずっと考え続けていたのだが、
もう成り行きにまかせる事にした。
待ち合わせの場所は、M牧場と決めていた。
あそこなら、誰と会う事もあるまい。
バスで市内から30分ぐらいのところにある、
山の麓にある牧場だった。
自宅に、帰る時に止まるバス停の一つである。
僕は、サヤカで出掛けることにした。
霧乃さんと少しつながりを持つことが出来た。
でも、どうすれば、
サヤカに彼女の心が、移植できるのだろう。
エンオッズ先生は、
なぜ好きな人の心をバイクにコピーしろなどと、
言われたのだろうか?
考えれば不可解な事だ。
しかし、先生が言われたのだから、何かあるのだろう。
僕としても、
バイクに人間の心が沁みついて、
それが、あの霧乃さんだったりすれば、
もう嬉しくて、気が狂いそうになってしまう。
霧乃さんの心を、独占する事などとは、
夢のまた夢のような話である。
僕は3時には牧場のバス停に着いていた。
霧乃さんは、3時にクラブ活動が終わるはずだから、
40分ぐらいには<来るのではないだろうか。
時間が十分あったので、下見に出かけることにした。
バスの到着時間は、35分と55分、
次は、4時15分であった。
20分置きのようだ。
牧場は、停留所から歩いて15分ぐらいの所にあり、
数十頭の牛が、放し飼いにされていて、のんびりとしていた。
人っ子ひとり見当らない静かな田舎道であった。
M市といっても、スケールは小さい。
東京出身のボン先生に、
田舎とバカにされても、仕方ないところだ。
しかし、自分で納得する事と、
他人から頭ごなしに決めつけられる事では、
全然その意味合いが、変わってくるのである。
いくら、その指摘が的確だといえども、
東京と比べて、蔑むような言い方には、賛成できない。
M市も、東京も、この国の土地に変わりはない。
ただ、東京は、色々な条件に恵まれただけのことである。
その恵まれた事を鼻にかけて、
あたかも、自分の手柄のごとく、自慢するのはどうかと思う。
僕は、どちらかと言えば、田舎の方が好きである。
しかし、好きなことと住みたい事は明らかに違う。
僕は、将来何をしたいか、よくは分からないが、
住む場所は、都会の方がいいと思っている。
田舎には、住み飽きてもいる。
たかだか、10数年住んだにすぎないが、
一挙手一投足、
監視されているような、田舎暮らしは、息苦しい。
人に生活の隅から隅まで、知られるような事も好きではない。
田舎は、自然には恵まれているが、
その空間は、他人の監視網で、
がんじがらめに、括られている感じも受ける。
家の中の出来事も、すべて筒抜けになっていて、
プライバシーも、クソもあったものではない。
一人で、暮らしていると寂しい事もあるが、
そういう面では、自由で、のびのびと、出来るのがいい。
日曜に、
何時まで、寝ていようが、
どんな服を着ようが、
どんな髪型をしようが、
あれこれと、噂になったりはしない。
ただ、これも校則という、
恐ろしい枠内に、納まっていればの事だが・・・
田舎の口は、文章化されてなく、
現状を少しでも、はみ出せば噂の種にするのだから、
校則よりも、少し質が悪いと言える。
30分になったので、バス停に戻った。
デパート帰りの子供連れのおばさんしか、降りてこなかった。
まあ、後片づけをして、飛び乗ったとしても、
5分では、バス停までは無理であろう。
20分も待つのは長かった。
通りがかりの自転車の人が、
きつい訝しげな視線を送ってきた。
僕は待つしかなかった。
サヤカで、どこかを回ってきてもいいのだろうが、
時間が、中途半端なので、そのまま待つことにした。
腕時計の針が、ゆっくりゆっくりと動いていた。
分かからない数学の試験も、
このぐらい遅く時間が、流れてくれれば、
もっといい点が取れるのではないだろうか。
遠くにバスが走ってくるのが見えた。
あれに違いない。
胸がドキドキとした。
しかし、今度は、おじぃさんとおばぁさんの二人連れだった。
もしかして、日を間違えたのではないだろうか。
僕は、幾分あせり気味になった。
場所を間違えているのかもしれない。
バス通りをM市に向かって走った。
途中、霧乃さんの乗っているバスに出会えば、
引き返せばすむことだし、
高校まで、様子を見にいってもいい。
少し走った所で、
ミニ・バイクに乗った、おばさんとぶつかりそうになった。
法規を無視して、
右側を走ってきたものだから、僕は面食らった。
事故など起こすと、厄介な事になる。
気はあせるのだが、徐行運転に撤する事にした。
こんな芸当が、出来るのも葛木修業のお陰だろう。
石足川の橋を、少し越えた所とで、
前方からバスが来るのが見えた。
僕はサヤカを止めて、バスの中を眺めこんだ。
彼女は、見当らない。
しかし、乗っていればすれ違いになってしまうので、
Uターンして、後を追った。
バスの後につくと、前の信号がよく見えないし、
停車合図のランプも分かりにくい。
そのため車間距離を長めに取った。
普通車が、すっと割り込んできた。
すれすれに追い抜いてゆく。
危ない。
僕の事など、完全に無視している。
僕は、そういう運転をする人は許せない。
道路は、強い者の独占物ではないのだ。
だけど、僕自身もバイクに乗っていると、
自転車や歩く人に対しては、恐がられる存在だ。
この事は、歩いているとよく分かる。
歩く立場に立って、運転するように心がけねばなるまい。
とりあえず、僕は前の車を、懲らしめることにした。
ええぃっ。
一心に念じる。
眉間のあたりに神経を寄せ集め、
下腹に力を集中し、呪文を唱えた。
「ボヂャ、ボヂャ、
フル、フル、
マーカ、フル・・・
目眩ましのノウハウ!」
エンオッズ先生に教えてもらったものだ。
前の運転者には、きっとこう見えるだろう。
小さいバイクを追い越したと思ったら、
急に、その数倍の大きさのバイクが、
バスと自分の車の間に突如として現われたのだ。
彼は、びっくりしたに違いない。
急ブレーキを、かける。
こんな大きなバイクあったのかなあなどと、
思う余裕もなかったに違いない。
何しろ、ハーレー・ダヴットソンの倍は、
あろうかという大きさのバイクなのだから・・・
僕は、後続車がないのを確認して、この術をかけたのだ。
彼の後には、僕しか走っていなかった。
彼が、急ブレーキを掛けるのは、分かりきっていたので、
僕は、40mぐらい間を開けて走った。
思った通り、前の黒い普通車は、急ブレーキを踏んだ。
キーキーッ。
その途端、超大型バイクは、かき消すように居なくなる。
運転者は、己が幻想を見たと思いこむはずである。
そして、今日一日は、少なくとも無謀運転は控えるであろう。
こんな些細な戒めを施したとしても、
何になるというのだろう。
でも、何もしないよりはましだろうと思った。
バスが停留所に止まった。
普通車は、追越しランプを、点滅させながら、
おそるおそる、追い抜いていった。
霧乃さんだ。
霧乃さんが来てくれた。
やっぱり間違いなかったのだ。
霧乃さん!
つづく