おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


中村党を追ってみる 土肥氏館跡 城願寺

2023年05月21日 23時30分00秒 | 中村党を追ってみる
 
昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で阿南健治さんが演じた土肥実平。
 
実平は湯河原を本拠地とした土肥氏の祖であり、その館は現在の湯河原駅から城願寺周囲にあったといわれています。
 
 

湯河原駅前の土肥実平夫妻の像
 


阿南さんは昨年の武者パレードに実平役で参加されてたのですね。
湯河原町出身の船越英二さんが源頼朝役。
 

城願寺から伝土肥城の城山を抜けて、
頼朝が隠れたしとどの窟までは2時間弱のハイキングコース。

しとどの窟も城山もとても面白いのでオススメです。
(膝痛になってない頃歩いた)


源頼朝の鎌倉幕府成立に貢献したり争ったりした坂東武士たち。
土肥実平はその中の中村党、中村宗平の次男で
土肥、現在の湯河原を本領にして土肥姓を名乗ります。


城願寺は実平が持仏堂を建てた場所が始まりとか。

寺の周囲の地名は城堀といい、湯河原駅付近から城山までなかなか広範囲です。
実平の館の遺構は何も残っていませんが、やはりほぼ平地の湯河原駅あたりに居館があって、
城堀と呼ばれた館裏の山に持仏堂を建てたのかな
と想像します。



真新しい善導寺型灯籠が目を引きます。
ハートの猪目が可愛い。


そういえば昔、城願寺に行った時に
堀跡が残る場所があると聞いたのですが
どこだったのか、それとも聞き間違いだったのか、
なんでも忘れてしまうので不明です。





実平手植えと伝わる樹齢900年のビャクシン(柏槙)
国指定天然記念物













七騎堂

石橋山で敗れ、真鶴岩から漁船で房州に逃げた頼朝以下主従七騎。俗に言う頼朝七騎落ち。
昭和49年にその七人の像を納め建てられたお堂。

七騎とは
源頼朝、岡崎義実、安達盛長、新開忠氏、土屋宗遠、土肥実平、田代信綱

吾妻鏡の記述とはちょっと違います。


頼朝はあちこちに座る

実平さんも座る




伊能忠敬がお墓参りに来てくれたらしい


階段の上に土肥一族の墓


ここにも伊能さん記念碑

伊能さん来てくれたことはすごい名誉なのね





中央の大きめな五輪塔が実平や息子の墓でしょうか



たくさんあります


こちらは無縫塔が多いです。
珍しい形のもの、幼い子供の供養塔もあります。



実平の息子、遠平は早川庄(小田原)を本領としたことから小早川を名乗り
のちに実平と共に所領であった安芸国沼田庄に下り、その子孫はあの有名な戦国武将小早川一族となりました。


実平も遠平も安芸で亡くなっており、城願寺の墓は分骨されたものです。


なお、遠平の子維平は和田合戦で和田方につき、2人の息子は討死、維平は処刑されました。


維平たち親子が亡くなった和田合戦以降、
土肥一族の相模での勢力は失われてしまったようです。



墓地からの眺め

ちょっとだけ海が見えます






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