おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


二岡神社と日本武尊と大森氏と

2022年06月29日 22時29分00秒 | 神社
御殿場市東田中にあるニ岡神社。
近隣の史跡や寺社めぐりを10年ほどする中で、今のところ最も好きな神社だ。



ニ岡の桜並木通りから脇にそれて車で5分ほど。
ニ岡には明治以降たくさんの著名人が別荘を建てているが、
その中でも特に外国人が多く住み、アメリカ村と呼ばれた地域の奥まったところにニ岡神社はある。







この神社のスゴいのはまず社叢。
社叢が保護されてる場所はごまんとあるがここはレベルが違う。

鳥居をくぐると立ち並ぶ樹齢数百年のスギの巨木たちが空を塞ぐ。
灯籠が案内する昼なお暗い参道はまるで森の中を行くようで神秘的。






参道から右に90度曲がったところに拝殿がある。

参道とは鳥居から拝殿までまっすぐだと思われているが、古代の神社は途中で曲がるケースが多い。左右どちらでも、90度でなくても、緩い角度を何度か曲がったり。代表的なのは伊勢神宮。

近年の土地開発で神社の境内や参道はやむを得ず縮小され改変されている。
昔からの曲がったままの参道を維持できてる神社はとても珍しい。


そして歴史の古さ。

由緒によると
この地には一岡〜七岡という七つの地名があり
日本武尊が東征の折にニ岡に木花之開耶姫、四岡に天津彦火瓊々杵尊の社を建立したのがはじまり。

日本武尊ゆかりの場所や祭神とする神社はたくさんあるけど、日本武尊本人が創建や建立したという社は少ない。
しかも昔話によると日本武尊は足柄明神の祟りでニ岡の宮に閉じ込められているので、
日本武尊がこの地を訪れる以前から何かしらの社があったことになる。






拝殿前にある灯籠。
大森頼春による寄進。
道光(頼春の法名)とはっきり読むことができる。
ただ古いだけでなく、大森氏の史跡や遺物は非常に少ないので貴重。

大森氏は藤原伊周の流れといわれ(かなり微妙)現在の裾野市に国司として赴任してきてやがて土着。地名から大森氏を名乗るようになる。
その後足柄、西湘方面に向けて着々と勢力を伸ばし、初代から9代目頼春の時に小田原城を築いた。

大森氏はニ岡神社を篤く庇護し繰り返し土地を寄進、頼春の息子氏頼は亡くなった娘の供養のためニ岡神社の神宮寺をわざわざ別の場所に再建させている。
現在まで禰宜を務める内海家は大森一族の出身で、現当主は38代目だそうだ。

この大森氏との熱い関係もニ岡神社の魅力の一つ。




これは数年前に拝殿の中に入れてもらった時の写真。



久しぶりに訪れたらこんなのできてた。

ニ岡神社では映画やドラマやCMの撮影が多い。
2年くらい前、ちょうどCMの撮影とぶつかってしまい、仕方なく帰ろうと思ったらスタッフが「お詣りはできますからどうぞ」と。

参道も境内も機材や照明や人が溢れてて落ち着いて参拝できる雰囲気ではなかったけど、いつもとは違うニ岡神社を見れて面白かった。

この時撮影されてたのは俳優○○○さんのCMで(スタッフが教えてくれた)
お姿は見れなかったけどいい思い出になった。



帰り道
乙女峠からの富士山。






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