おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


坂東の英雄 足柄明神の苦難

2023年06月26日 19時59分00秒 | 神社
前回のつづきです。

足柄神社の起源である足柄明神社は足柄峠にありました。
足柄連発!



wikipediaによると
足柄峠(あしがらとうげ)は、静岡県駿東郡小山町神奈川県南足柄市の間にある箱根外輪山から北に伸びた尾根上に位置し、箱根峠とともに東海道を構成する。標高759m。

画像は何年も前に大雄山駅前でもらった便利な観光マップです。
愛用してるので汚れております。



足柄峠は更級日記の頃は

山の中のおそろしげなること言はむかたなし
雲は足の下に踏まる

と、山深く高く恐ろしい場所でしたが
現在は県道78号線が通り車やバスで、
または古道ハイキングなどで気軽に訪れることができます。



足柄万葉公園


足柄の関跡


聖天堂


足柄城址

などなど、足柄峠の観光スポット。



そんな足柄峠に足柄明神社跡はあります。
いや、跡ではなく現にあるので足柄明神社ですね。


県道沿いに鳥居が見えるけどちょっとわかりづらい。




鳥居近くの案内板
内容がすごいです


ヤマトタケルの時代、いえ、もっと前からこの地の神として崇められてきた足柄明神は
天慶3年(940)にここに鎮座。
前回の記事で書いたように平安時代末期に矢倉岳に遷座、
矢倉明神社と呼ばれるようになりました。
鎌倉時代末期には現在の地である苅野に再遷座します。

そして1873年(明治6)
なんと祭神から足柄明神が外されヤマトタケルと入れ替えられてしまいます。

これはいったいどうしたことか。

ヤマトタケルが通った地の神社に祭神ヤマトタケルが加えられるのはごく普通のことです。むしろ加えたい。
何しろ古代の人気者の英雄ですから。

でもその代わりに足柄明神を消すのはどうなんでしょう。
土地の人たちが何千年も崇め続けてきた古き神を消して、これからは人気者のヤマトタケルを祀りましょうなんて、
まるでシシガミ様を消してアシタカを神にしましょうと言ってるようなものです。
(でもアシタカ神ってステキかも)



鳥居の先は足柄城の一部、明神曲輪


この祭神交替劇にどのような事情があったのかは不明ですが、
氏子たちからかなりの反発があったことは
田代静平さんたち矢倉沢村の人々が氏子から抜けたという案内板の記述を見れば明らかです。
この案内板では足柄明神こそ坂東人の誇りを守った古代の英雄だと讃えています。

祭神から足柄明神を外された悔しさが伝わってきますね。
こんな案内板なかなかないです。

氏子から抜けた矢倉沢村の人たちは、遷座以来荒廃していたこの地に石祠を建て、苅野の神社から外された足柄明神を祀ります。


「明治六年酉八月吉辰」
「矢倉沢村中」と銘記あり

祭神交替したその年にすぐに建ててるんですね。怒りMAXで仕事早い。

でも年月が経つにつれこの石祠も荒れてやがて忘れられるように。
何しろ山奥ですから管理の継続が難しかったのでしょう。

案内板によると
「万葉公園からも外れ、森の陰で眠らされていました」
ここにも怒り感じる。


2001年に地元の有志たちにより再発見され
その後鳥居や案内板が作られ
足柄明神で「開眼式」 古事記ロマンに光を  | カルチャー | カナロコ by 神奈川新聞

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2015年にはチェーンソー彫刻による白鹿像と足柄明神白鹿堂が建てられました。


元気なお姿が愛らしい。

坂東の英雄と書いてあります。さすがです。


これは何かしら?


南足柄市教育委員会のこの説明、
なんかモヤモヤします。要らないんじゃないかなこれ?





足柄明神社からの眺め。
房総半島まで見えます。


人間の歴史の中で人間の都合で祀られたり鹿にされたり消されたり忘れられたり
大変な苦難の続いた足柄明神。
この峠にいらしてこその神さまだと思います。
これからも坂東の英雄として東国を守ってくださいまし。



でも
苅野の足柄神社にも明神様戻すべきだよね。
足柄峠を守ってくれるのはヤマトタケルじゃなくて明神様だと思うもの。



足柄城からの富士山ビュー